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◇ The light and shade ◆ ― 8 ―



 理子たち一行がフォトスタジオで伝説の客となった約二十分後。


 愛娘のウェディングドレス姿を見て感極まるあまり一時錯乱状態になった礼人も散々号泣したおかげで落ち着きを取り戻し、場を仕切り直しての写真撮影が始まった。

 教会内部を模したセットの前でまず理子を単体で撮り、続いてコウと並んでのメモリアルフォト。その後、全員揃っての集合ショットをレンズに収め、礼人の号泣ハプニングの時間を除けば写真撮影自体は一時間半弱で無事終了となる。


 ―― あーあ疲れたぁ……


 ようやく撮影が終わり、本日の主役はハァ、と疲れ切った息を吐く。

 他のメンバーは入れ替わりでの撮影だったが、メインである理子は一時の休みも与えられなかったので体力的にもそろそろ限界がきていた。


「お疲れさまでしたお嬢様。さぁこちらにどうぞ」


 疲労している理子の状況を察したフォトスタジオのスタッフの一人が側に寄り添った。そして履きなれない高いヒール靴のせいで動くたびに少しふらついてしまう理子の背を支え、ドレスを試着した部屋へと誘導を始める。


「足元にお気をつけくださいね」


 はい、と返事をした理子はこの場から退場する前にスタジオ内を振り返ってみた。

 すると最後に撮影した真っ白い螺旋階段の前で自分の両親と漸次が声高に雑談しており、そのすぐ横ではコウと拓斗が何かを言い合いながら笑っている様子が見える。おそらく拓斗が今回の伝説撮影会についてまた何か軽口を叩いているのだろう。

 目の前で広がるそんな和気藹々とした両家族の光景に、胸の中がほんのりと温かくなった理子の顔にも自然と笑みが浮かぶ。


 ―― またパパとコウに振り回されたけど今日ここに来てよかった!


 そんな素直な気持ちが湧きあがってくる。

 着替えるための部屋へと戻る道すがら、一番年長の女性スタッフが、

「お嬢様、とてもよく似合ってお綺麗でしたよ。それにご婚約者の方も整ったお顔立ちをなされてますから、お写真がとても映えていました。出来上がりが楽しみですね」

 と営業的な感想を述べた。


 試着ルームに戻るとウェディングドレスを脱がせる作業が始まる。

 女性スタッフの一人が理子の背中に回り、ウェディングドレスのファスナーを下ろし始めた時、先ほどと同じようにコンコン、とドアが二度ノックされた。

 一時手を止めたスタッフが「はい?」と答えると、まだフロックコートを羽織ったままのコウが「失礼します」と扉の隙間から顔を覗かせる。


「あら新郎様、どうかなさいましたか?」


 コウは理子に軽く微笑みかけた後で、室内にいた三名の女性スタッフに

「申し訳ありません。リコさんに話があるので少しの間だけ二人きりにさせていただけますか?」

 と頼んだ。


「かしこまりました。ではお話が済みましたらお呼び下さいませ」


 スタッフは下げかけていたファスナーを元通りに上げると全員で軽く頭を下げ、すぐに試着ルームを後にする。スタッフたちが部屋を出て行くのをきっちりと見送った後でコウはスイングドアをしっかりと閉めた。そして理子の側にやって来る。


「どしたのコウ?」


 理子はコウを見上げようとしたが、履いている靴のヒールがかなり高いためにいつもよりも顔を上にあげなくても済むことに気付いた。ほんの少しだけ目線を上げると、コウが感動した面持ちで呟く。


「すごく、お綺麗ですリコさん」


 愛しい女性を見つめるコウの眼差しは穏やかで優しげだ。


「すみません。もっと何か感想を言うべきなんでしょうけど、今の僕にはそれしか言うべき言葉が見つかりません」

「うっううん! 別にいいよいいよ! それだけで充分っ!!」


 理子は真っ赤な顔でブンブンと首を振った。

 営業的な感想などではなく、真摯な気持ちで言ってくれていることははっきりと伝わってくる。

 つい先ほどこのウェディングドレス姿を初めて見せた時にしばらく黙りこくられてしまったので乙女のハートはかなり傷ついていたのだが、そんな気持ちもこのコウの賛辞ですべて帳消しとなった。


「それで話ってなに!?」


 コウはさらに理子に近づくと背中側に垂れ下がっていたベールを理子の顔にゆっくりとかけた。少女の視界は薄い純白のレースで瞬く間に覆われてゆく。


「エ……? ど、どうしてベールをかけるの……?」


 そう尋ねてはみたが、コウがここに来てくれた意味をなんとなくだが察したせいでその声は若干震え気味だ。

 なぜなら、花嫁の顔にかけられたベールをアップすることができるのはその女性を己の一生をかけて守ることを誓った男性のみ。そして婚礼下着の製作を今まで何度も手掛けたことのあるコウなら当然そのしきたりも熟知していることだろう。

 しかも先ほどベールを上げてのキスショットも撮りましょうかという流れになりかけたのだが、やっと落ち着いた礼人の心拍数をまた不用意に乱さない方がいいという意見と、皆の前でそれはどうしてもできないと理子も激しく拒んだので結局そのシーンの撮影は中止となっていたのである。


 だからこそ理子は確信する。


 スタッフに席を外してもらってまでして自分と二人っきりになりたがったのは、かけたこのベールをコウがアップしてさっきの続きをしようとしているんだ、と。


「リコさん」


 緊張で胸の鼓動が最速のビートを刻んでいる理子の背にコウがそっと手を回してきた。

 これでもう間もなく、


「愛しいリコさん、僕の生涯をかけてあなたを一生お守りすることを今日この場で誓います」


 辺りのベタでキザな台詞が出て、ぎゅっと抱きしめられ、最後はベールが取り払われて私にキスという流れになるはず! と妄想乙女ワールドを久々にフルスロットルにした理子はドキドキしながらも急いで目を閉じた。


 しかし。


 目をつぶった理子の耳に聞こえてきたのは甘ったるい愛の囁きではなかった。

 耳に届いたのはなぜか「失礼します」いうコウの断りと、ジジジジジ、という何かが下げられてゆく音。そして即座に感じる背中のスースーとした解放感。


「……やっぱり合ってない」


 理子から身を放したコウが思い詰めたような真剣な顔で呟いている。

 しかし理子にとってはそれどころではない。


「ひゃああああああああああ!?」


 ウェデングドレスのファスナーを一気に下ろされたせいでドレスの前身頃の部分がクタリ、と前方に向かって深々とお辞儀をしていた。

 おかげで上半身は今や婚礼下着(ウェディングビスチェ)のみだ。下着姿になってしまった理子は慌てて胸部分を両腕で覆い隠す。


「ちょっコウ! あんた何してんのよ!?」

「実は撮影前からずっと気になっていたんです。やはりこのウェディングビスチェ、貴女の身体にきちんとフィットしていません。このウェディングビスチェはここでお求めになった物ですか?」

「サッ、サイズが合ってないのは分かってるわよ! だって一番小さいサイズが今これしかないっていうんだもんっ!」

「あぁ道理で……」


 眉間に多少の皺こそ寄っているが、コウが納得したように頷く。

 そしてためらいなど一切無しの自然な動作で、ビスチェの左カップの上面部分に自分の人差し指を第二関節付近までスルリと差し込んだ。


「ほら見てくださいリコさん。カップの上部がこんなに余ってしまっているじゃないですか。これではラインに不自然な歪みがでてしまって綺麗なバストラインは描けませんよ」

「きゃあああああっ!? あんたなにさりげなく指入れてんのよ!?」


 ブラカップの中にナチュラルに指を入れられた理子はものすごい速さで身をよじる。


「あ、すみません。お断りしないでチェックしてしまって。でもこれはブラがフィットしているかを確かめる簡易的なチェック方法の一つなんです。決してやましい気持ちで行ったのではありませんし、何せそのビスチェとリコさんの胸のサイズが…」

「だからサイズが合ってないのは知ってるって言ってるでしょっ!? なによっ! 悪かったわね胸が小さくてっ!!」


 傷ついた乙女心が癒されたと思ったのも束の間、またしても乙女のプライドはかなりの深手を追うこととなった。

 しかし、ことブラに関しては一切の妥協を許さないこの天然男がこのまま引き下がるわけがない。叫んだ理子に呼応するように、コウも大声で反論する。

 

「何を言ってるんですかリコさんっ! 僕はそんなことを言いたいんじゃないんですっっ! 僕はせっかくのリコさんの綺麗な身体のラインが台無しになってることが許せないんです! だからこれは外させていただきます!」

「はあああああああ!? 外すってまさか!?」

「そのブラを着けてはいけません! こちらに下さい!」

「やっ、ちょっ、ちょっと待って!! 落ち着こう!! 一旦落ち着こうよコウ!!」

「僕は冷静です! 失礼します!」


 あっという間に背中に手を回され、剥き出しになっているウェディングビスチェの後方中央ラインを上から下にかけて指でサラリと軽く撫でられる。

 するとその次の瞬間、ドレスに引き続いて前面の白い両カップまでもがふわりと理子の身体から離れ始めた。かけられたベール越しに胸元に目をやると、純白のレースの向こう側で自分の生バストの先端が見えだしている。


「ウソ!? もうブラ外したの!? っていうかなんでそんな一瞬撫でただけで外せるの!? このブラ、すごくたくさんホックがついてるのに!?」

「リコさんに褒めていただけて嬉しいです! でもこの程度の脱着なら簡単ですよ? 僕はこれでもマスター・ブラですから!」


 両腕をクロスさせて必死にビスチェを押さえる理子に対し、照れたように笑うコウはどことなく誇らしげだ。


「褒めてなあぁぁあああぁぁ――い!! そんなことで威張るなああぁぁぁぁー!!」


 出窓の方角に後ずさりして叫ぶと、真面目な顔になったコウがすかさず近づいてくる。


「さぁリコさん、どうかそのブラをこちらに。婚礼用の下着は僕があらためて作りますが、そちらのブラはサポート用のブラとして僕が責任を持って貴方のサイズにお直しさせていただきますので」

「お直しなんてしなくていいってば!!」

「ダメです! 女性下着請負人(マスター・ファンデ)としてバストに合っていないブラを身に着けることだけは許せません! ですが撮影が終わるまでは我慢しようって決めてたんです! 撮影は終わりました! さぁリコさんっ、そのブラを渡してください!」


 コウの指がビスチェのカップ先端を掴む。


「いやあああああぁぁぁぁ!! だから無理やり脱がそうとしないでってばーっ!! ちょっとコウ! あんたこのベールを私にかけたのってもしかして!?」

「ファスナーを下ろすのに邪魔だったのでかけさせていただきました!」



 ―― こ、この男……!!



 まったく悪びれた様子もなくきっぱりと答えるコウに、少女の肩が怒りでフルフルと震える。

 初めてウェディングドレス姿をここで見せた時にコウが妙な顔でしばらく黙りこんでいたのも、ブラが自分に合っていないことを瞬時に見抜いてそれを言うべきかどうか悩んでいたからだ、ということまで分かってしまった。

 今となっては先ほどのあのときめきがまったくの無駄である。

“ 憎しみで相手をどうにかできたら ”という名言が今なら少しだけ理解できるような気さえするほどだ。


「わ、わかったわよ! コウのブラを着ければ満足なんでしょ!? さっきまで着けてたやつを着けるから! これすぐに取ってあんたのブラを着けるから! だからその手を放してよぉぉぉーっ!」


 その時、ノックも無しに室内のスイングドアが大きく開け放たれた。

 現れたのは母の弓希子だ。


「理子ぉー、もうドレス脱いじゃったぁー? …………あらやだ」

「お母さん!?」

「ドレスを脱いじゃう前にうちのカメラでもあんたの写真取って置こうと思ったけど、お取り込み中だったみたいね……」

「違うのお母さん!! これは違うの!! 絶対に違う!! コウ! 黙ってないであんたも違うって言いなさいよ!」

「は、はい。よくわかりませんが理子さんがそう仰るなら言いますね。“ チガイマス ”。……えーと、こんな感じで良かったでしょうかリコさん?」


 ―― 否定の言葉は恐ろしいぐらいに見事な棒読みだった。


「ちょっなんなのよっその “ ムリヤリ言わされてます ” 感全開の言い方はー!! 返って怪しい感じになるじゃない!!」


 半裸の娘の格好を細部までしげしげと見た後で弓希子はコウに尋ねた。


「それでコウさん、お取り込み中だったみたいだけど、もしかしてこれから? それとももうフィニッシュ?」

「もちろんこれからです!! まだリコさんのブラを取ってませんから!」


 ―― 来た。


 またしてもこのパターンだ。

 ためらうことなく堂々と宣言したコウの横でクラクラと目眩がしてくる。

 どうしていつもこうなっちゃうんだろう、と半ば自暴自棄になりかけた理子に母の弓希子からのアドバイスがくる。


「フフッ、理子はまだピンとこないだろうから教えてあげるわ。男の人ってね、ウェディングドレスとか、ナースの制服とか、スチュワーデスとか、そういう特殊なコスチュームを着てみせるとすっごく興奮しちゃうものなのよ。面白いわよね。ねぇそうでしょコウさん? 理子のドレス姿を見てあなたなりに強く感じるものがあったってことよね? だから今こんな風になってるんでしょ?」

「はい! 先ほどリコさんのお父様がまるで天使のようだ、と仰いましたが、僕にはそれ以上の神々しさに見えます!」

「ふぅ……いいわね若いって……」


 弓希子はうっとりと遠くを見るような眼で呟いた。


「でもさすがにここではマズイわよ。拓斗じゃないけど、これ以上ここで久住家の新たな伝説を作るわけにはいかないわ。だから二人ともその続きは家か別のところでやりなさい。コウさんもいいわね?」


 ウェディングビスチェから手を離し、「はいわかりました」とコウが素直に頷く。

 しかし弓希子が部屋を出ていき、理子の緊張が緩んだその一瞬。

 コウはその隙を逃さず、理子の身体から純白のウェディングビスチェを華麗な手つきで取り上げた。


「ひゃあああああ!! だからなに勝手に取ってんのよ!?」


 できることなら今すぐこの赤髪の天然男の横っ面を全力で引っぱたいてやりたいところだが、そうすると自分の少々貧相な胸のすべてをこの青年の前にまたさらけ出すことになってしまう。よってここは電光石火の早さで自分の生バストを再度両腕で覆い隠すしか理子の取るべき道はない。

 そんな中、コウはサイズの合っていないウェディングビスチェ片手に、またしても計り知れない多大な精神ダメージを受けてしまったいたいけな少女に向かって、


「リコさん、神前で式を挙げる時の和装下着も僕が作りますから、もう二度とご自身で下着を用意しないで下さいね!」


 と呆れるぐらいに爽やかな笑みで、“ 下着チョイス禁止令 ” をきっちりと宣告してきたのだった。





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★ http://www.nicovideo.jp/watch/sm20163132

【 ★「Master Bra!」作品の、歌入り動画UP場所です↑ : 5分56秒 】


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