◇ The light and shade ◆ ― 7 ―
「さぁお嬢様、この中に飛び込んで下さいませ」
黒の振袖を脱がされ、その反対色の真っ白な下着に着替えさせられた少女は、諦めの視線で目の前で大きく広げられた白いレースの布を見下ろした。シルク製の布の中央部分はぽっかりと丸く穴があき、そこからプラム色のカーペットの一部が顔を覗かせている。
「さぁどうぞお嬢様」
やんわりとした二度目の催促を受け、理子は「はいっ」と頷く。今回もこの激流展開に流されるしかないようだ。
少女が拘束されているこの場所は、フォトスタジオの試着室を兼ねた広めの一室。三人の女性スタッフが支度を手伝ってくれている。
大勢の前でいつまでも下着姿でいるのも恥ずかしい。理子は覚悟を決めて指定された穴の中にえいっと飛び込んだ。するとすぐに介添え者たちの手でレースの布が真上へと大きく持ち上げられる。
「そのまま真っ直ぐお立ちになっていてくださいね」
言われたとおりに真っ直ぐに立っていると、瞬く間に自分の身体はゴージャスな純白の服――、ウェディングドレスに包まれていく。
「いいじゃない理子」
すぐ側で試着の様子を眺めていた弓希子は娘の姿に満足そうだ。
「でもあんたがもうちょっと胸が大きかったらマーメイドにさせたんだけどね……。あれはバストがある程度ないと貧相でかっこ悪く見えちゃうから」
「どうせ私は胸がないもん!」
「でもそのドレスも似合ってるわよ? 早くコウさんに見せたいわよね。なんて言うかしらあの人。さっきよりもさらに情熱的な言葉が出てきたらどうする理子?」
「しっ知らないっ!」
赤い顔でどもる理子の足元に、白いプレーンタイプのウェディングシューズが恭しく置かれた。
「ではこちらをお履きになってください。サイズが合わなければ仰ってくださいね」
「は、はい」
素直に足を入れると身長がグンと加算されたのが分かる。かなり厚底のシューズのようだ。
「それと髪型はどうなされますか? このままのヘアスタイルでもよろしいですが、アップスタイルにしてウィッグをつけるときっともっと可愛らしくなりますよ」
「そうね、そうしてもらいなさいよ理子。せっかく写真を撮るんからいつもと違う感じにした方がいいと思うわ」
理子よりも母親に話したほうが早いと判断したスタッフが、「では髪型はアップですね。頭には何をつけましょう?」と弓希子に尋ねている。
「そうねぇ……。ティアラもゴージャスでいいような気がするけど、大きめの花をつけても映えそうよね」
「さようでございますね。お花を使ったヘッドドレスは若い方に人気がありますよ。ではいくつかご用意しますのでそれぞれ合わせて感じをみてみましょうか?」
「えぇお願いします」
またしても当事者を枠の外に追い出して勝手に話が進み始めているが、今回に限っては理子もそのことに対して不満を覚えることは無かった。正面にある大鏡に映っている自分が見たこともない格好であることに目を奪われっぱなしだったせいだ。
「いかがでしょうか?」
―― 二十分後、ヘアスタイルのセットを担当していたスタッフが理子に向かって出来上がりの感想を聞いた。
「……これ、私……?」
鏡の中の自分を見た理子は呆然と呟く。
磨きこまれた鏡面の中では地毛のショートヘアをピンで上手くまとめ、頭頂部に緩いウェーブのかかったウィッグがつけられた自分が驚いた顔で映っていた。
剥き出しになった白い首筋に時折ふわりと当たってくるカールされた毛先が少しくすぐったいが、用意されたウェディングシューズがヒールの高いタイプのものだったため、10センチ高い世界で見る着飾った自分がまるで別人に見える。
「一気に女の子らしくなったじゃない理子。綺麗よ」
「では次はヘッドドレスですね。ちょうど今ティアラの新作が入ったのでまずはそちらを持ってまいります」
宝石がたくさん埋め込まれた王冠をスタッフの一人が持ってくる。そしてそれを理子の頭にそっと載せ、ロングベールを取り付けた時、試着ルームの扉が二度ノックされた。
スタッフの一人が細くドアを開けて外の様子を伺い、「あら」と声を漏らす。そして扉の外にいる人物と一言二言言葉を交わすと「少々お待ちくださいね」と声をかけ、理子の方を振り向いた。
「あのお嬢様、ご婚約者の方のご準備が整ったみたいです。中にお入れしてもよろしいですか?」
「エッ!? そこにいるんですか!?」
「えぇ。お写真を撮る前に是非お嬢様をご覧になりたいんですって」
「フフッ、ずいぶん逸ってるわねコウさんってば」
弓希子は女性フェロモンがたっぷりと含まれた色っぽい表情でニヤリと笑うと、「すみません、まだ開けないでいただけますか?」とスタッフの動きを止める。
「理子、こっちに来なさい」
「う、うん」
理子を呼び寄せた弓希子は立ち位置に細かい指示を出し始める。
「身体の向きはもうちょっとそっち。……そうそう、弱冠右斜めを意識して。それと背筋はもっとしっかり伸ばしなさい」
「ちょっとお母さん、何させる気?」
「理子、第一印象ってすごく大事よ。どうせ見せるんなら今のあんたの最高の姿をコウさんに見せ付けてやりなさい。さ、準備はいい? ドアが開いたらコウさんに向かって最高の表情で柔らかく微笑みかけなさいね」
「やっ止めてよおかーさん!! そんなこと出来ない!」
「大丈夫よ、今のあんたなら間違いなくあの人をさらに完膚なきまでに骨抜きにできるわ。お母さんが保障してあげる」
「恥ずかしいからいいってばそんなの!! コウ! 入っていいよっ!!」
清楚であるべきのウェディングドレス姿にはやや不似合いな大声でOKを出すと、待ちかねていたように両開きのスイングドアがこちら側に向けて大きく開け放たれる。そして首元にはアスコットタイ、ベストに細身のスラックス、黒のフロックコートという出で立ちのコウが颯爽とこの場に現われた。
膝まであるシャドーストライプ生地のフロックコートを揺らし、コウは弾けるような笑顔であっという間に理子の前にまで来る。
一方、いざコウを目の前にした理子は恥ずかしさでMAXの状態だ。しかも自分たちの周囲には介添えのスタッフ達や母もいるため、その気恥ずかしさに拍車がかかる。
「ど、どう、かな……、似合う……?」
恥ずかしさをこらえてなんとかこのウェディングドレスの感想を聞いてみるも、なぜかいつまで待っても「はいっ! とてもお似合いですリコさん!!」という本来くるべきはずの返事が来ない。
不思議に思い火照った頬でコウをチラリと見上げると、なぜかコウの顔から一切の笑みが完全に消えていた。無言で口元を片手で覆い、恐ろしく真剣な眼差しで理子を上からじっと眺めているだけだ。
「ちょっとなに黙っちゃってるの!? なっ、なんか言ってよ!」
「バッカね、あんたに見惚れちゃって声も出ないんでしょ。ねっコウさん?」
「エッ!? あっ、は、はい! その通りです!」
弓希子に促されたコウはハッとした様子で慌てたように何度も頷いた。
そしてその直後、「お……お……おおおおおおおおおおお!!!!」という地の底を這うような悲痛さを感じる声が扉付近から放たれる。
「どっ、どうしたのお父さん!? 具合でも悪くなったの!?」
コウに続いて試着ルームに入ってきたのは礼人だった。
そしていつもなら「理子ちゃん!! お父さんじゃないっ!! パパと呼びなさい!!」と絶叫する父のはずだが、今回は愛娘のウェディングドレス姿に魅入るあまりそれどころではないようだ。呻きながらまるで力尽きたかのようにその場にガクリと両膝を着く。
「おおおおおっ……!! キレイだ……! すごくキレイだよ理子ちゃんっ!! まるで女神様のようじゃないかぁっ!! あぁこんな天使のように清らかな理子ちゃんを手放さなければならないなんて耐えられないっ!! 神はなんて過酷な試練を私にお与えになるんだああああ!!」
完全にテンパッてしまっている夫に、弓希子は呆れた表情で「ねぇパパ、感動するのはいいけどもうちょっとテンション下げてくれる? 聞いているこっちが恥ずかしいから」と冷めた要望を出した。
しかしすでに脳内Myワールドに感情をALL転移してしまっている礼人にその声は届かない。
「女性であるママには私の気持ちなんてわからないよ!! たった一人のこんな可愛い愛娘を手放さなければならないこの辛さ!! スタッフさんたちも見てやって下さい! うちの理子ちゃんのこの眩いばかりの神々しさを!! なんたってこの娘はまだ男性に身体を汚されてませんから!! 今の若い子たちはやれ出来婚だーなんだと結婚前にズコバコやっちゃってる子ばっかりですがうちの理子ちゃんは違います!! まだ純潔無垢の正真正銘の乙女なんです!! だから本当の意味でバージンロードを歩く資格があるのはうちの理子ちゃんだけなんです!!」
「ちょ!? なに言ってんのお父さん!?」
しかし礼人の弾けっぷりはとどまる事を知らない。そんな礼人の後ろで、集合写真撮影のために連れてこられた弟の拓斗が無表情で他人のふりをしている。
そしてぶっちゃけ赤裸々トークを終えた礼人はよろよろとした動作で立ち上がると、生気のない顔でふらふらとコウの前に歩み寄った。
「……コウくん……」
「は、はいっ!」
「……理子ちゃんはね、私がたっぷりの愛情をこめて今まで大切に大切に育ててきたんだ。私の命よりも大切なその宝物を君に託すんだから、もし理子ちゃんを泣かすようなことをしたら私は君を一生許さないよ……?」
「はい! リコさんを悲しませるようなことは絶対にしません! この場で誓います!」
「……よ、よく言ってくれたねコウくん……。理子ちゃんのこと、頼んだよ……。うぅっ……、うわああああああ理子ちゃああああああぁぁぁん!!!!」
再びその場に崩れ折れた礼人は今度は号泣し始めた。
室内に広がる静寂。
「泣かないでください! リコさんは何があっても僕が絶対にお守りします!」
と礼人の側に跪いて一生懸命励ましているコウ以外、全員がドン引きしている。フォトスタジオ所属の三名の女性スタッフも部屋の隅に集まり、困ったような顔で何やらこそこそと話し合っている有様だ。
そんな異様な空気の中、理子の側に足音を消した拓斗がゆっくりと近寄り、
「……なぁ姉ちゃん、たぶん俺ら、この店で一生語り継がれる伝説の客になったと思うぜ」
と、至極最もな事実をうんざり気味の小声で囁いたのだった。