◇ The light and shade ◆ ― 3 ―
『 自分の専属操作者から下される命令には必ず従う 』。
それが電脳巻尺たちの使命であり、彼らの存在意義だ。
絶対服従のプログラムを組み込まれている彼らはそれを己の原動力とし、主の下で日々女性の身体を計測し続ける。しかしその譲れないレーゾンデートルが、武蔵の中で粉微塵に崩れ落ちようとしていた。
「琥珀。俺はコウの相棒の位置に固執するお前を異常だと、そうずっと言ってきたよな」
「それがどうしたのよ」
「……謝る。悪かった。ごめんな」
「あんたやっぱりヘンよ! いっつも偉そうに威張ってばかりいるあんたが私に謝るだなんて一体どうしちゃったの!?」
「お前は異常なんかじゃない。もしお前が異常なら、この俺だって異常さ。今だから言うけどよ、実は俺もお前と同じ事をずっと思ってたんだ。俺はあの人の、漸次さんの相棒だと」
「エ!? あんたも!?」
「あぁ。コウはああいう体質だから、万一あいつが暴走した場合の対策が俺にも施され、そのせいで俺はコウのエスカルゴになった。あいつがまだガキだった頃からの付き合いだけどよ、別に俺はコウのエスカルゴになりたかったわけじゃねぇ。だがそれでもあいつの相棒になることを了承したのは、漸次さんの命令だからだ。俺の本当の操作者の命令だったからだ。……ヘッ、なのに笑っちまうよな。ほら見てくれよ、俺の中を」
顔を歪めた武蔵が、手の中にある電脳巻尺の硬殻を乱暴に外した。かなり強引に外したせいでバキリという危うい音が鳴る。
「ちょっ何してんのあんた!? そんな力任せにフロントを外したら壊れちゃうじゃ……キャアァァァァァァッ!?」
硬い殻が外れ、武蔵の中身が剥き出しになる。
興味深々で身を乗り出していた琥珀はその光景を見て大きな悲鳴を上げた。
「……な、すげぇだろ? このアンドロイドを使って初めて自分の中を見た時、俺も唖然としたよ。自分の透明体がイカレたのかと思ったぐらいだ」
「何なのこれっ!? あんたの中、なんでこんな風になってんの!? このパーツもそうだし、こっちのパーツもよ! こんなに古い部品見たことないわ!」
「……」
「どうしてこんな古いパーツがあんたの中にあるの!? それに漸次様がマスターファンデにおなりになった年に支給されたエスカルゴなら基盤がこんなに古いわけないわ!!」
「やっぱそうなのか……。だがお前がそう言うんなら間違いねぇな」
「あっ、でもその年に支給されているはずの基本パーツまでちゃんと混ざってる……!」
武蔵の裸体を凝視していた琥珀は、たった今口にした自分の言葉でハッとした様子を見せた。
「そ、それに回路をこんなにぎゅうぎゅうに詰め込んじゃってるから空きスペースがほとんどないわね。でもどうしてこんなおかしな補強の仕方をしているのかしら?」
「女のくせに演技が下手だなお前。しらばっくれなくていい。お前だって俺の中を見て薄々は分かったはずだ。そうだろ?」
「そっそれは……」
困ったように視線を空に泳がせる琥珀。
その不安定な視線を再び自分に引き戻すため、武蔵は険しい形相で哀しい仮説を吐き捨てるように言った。
「俺はあの人の、如月 漸次のエスカルゴじゃない」
自分の専属操作者のみに絶対服従するプログラムを埋め込まれている電脳巻尺にとって、それは死の宣告にも等しい事実だった。
「きっと俺にはあの人の前に他の操作者がいたんだ。そしてそいつが俺の本当の主だ。漸次さんは初期化した俺をそいつから引き取ったのかもしれないと俺は踏んでる」
「なんでそんなことをする必要があるのよ……?」
「さぁな。んな事、こっちが知りたいぜ」
握り締めた人造の手に必要以上の力が流れ、メタリックシルバーの本体からまたおかしな音が鳴る。
「俺ん中は継ぎ接ぎだらけだ。脳味噌は最新のものを組み込んでいるのに、基盤は異常に古い。琥珀、お前の中は整然としてて、全てが新しい部品で作られていた。それに比べて俺の中はこんなに醜くて汚い。なぁ、なんでこんな無様な組み込みをしてると思う? お前の意見を聞かせてくれ」
「…………」
「言えよ。もうお前だって分かってんだろ。俺に変な気は使わなくていい」
「…………」
「言えって。さっき俺に黙り込むなって怒鳴ったのはお前じゃねぇかよ」
琥珀の視線がさらに大きく宙を泳ぐ。そしてしばらくの間困り果てたように自分の指先を代わる代わるいつまでもいじっていたが、やがて覚悟を決めたかのようにおずおずと自分の考えを述べた。
「できるだけ初期のパーツを残した状態であんたを生かしたいからだと思うわ」
琥珀の意見を引き出した武蔵はゆっくりと頭を前に垂れる。それはすべてを諦めたのような深い角度だった。
「……やっぱそうだよな……。能力補強の関係上、AIだけはやむを得ず最新の物を使ってるが、後はできるだけこの初期の物でなんとかカバーしようとしている組み込み方にしか見えねぇよ。全ての部品を最新の物に全取っ替えしちまえば俺の本体だってこの半分近くにまでサイズが下がるはずなのに、わざわざこんな不細工なことをしてやがる」
「でっ、でも、私だってあんたほどじゃないけど本体のサイズを大きくされたわよ!?」
「確かに俺らのサイズはそこらにいる他のチャチなエスカルゴよりも大きいさ。俺は今までそれが漸次さんの手がデカイから単にサイズを大きくしているだけだと思ってた。だがそれはお前の場合だけで、俺の場合は違ったんだ。俺の初期状態を少しでも多く残して生かそうとしたかったから、能力補強する度に色んなモンをゴテゴテと見苦しく追加し、結果として硬殻のサイズをデカくするしかなかったんだよ。漸次さんにとって、できるだけ元の俺の姿を残し続けることこそが重要なんだろうよ。おそらくは俺の本当の主のためにな」
「そ、そんなことないわよっ。あっ! ねぇもしかしてあんたは漸次様のお父様のエスカルゴだったんじゃないっ!? だってこの Casquette Walk は三代に渡って続いているブラショップなのよ? あんたの本当のマスターがかつてはこのお店のマスターで、しかも漸次様のご血族の方なら気にすることないわよ! ね?」
「いや、その線はもうとっくに調べた。 Casquette Walk の初代マスターが所有していたエスカルゴの初期ロットと、あの唐草硬殻に刻印されているナンバーはまったく違うものだった。だから俺はこの店とはなんの関係もない巻尺だってことだ」
「そ、そんな……」
衝撃的な事実を知らされた琥珀はそれを受け止めきれず、正面に座り込んでいる武蔵を困惑した表情で見る。
「へっ、そんな目をすんなよ琥珀。同情なんてしなくていいぜ? 今まで専属操作者だと信じていた人が全然関係のない人間で、実は他に本当の主がいたってだけだ。そんな重要な事に今の今まで気付いていなかった間抜けがいるだけだよ」
「あんたこのことを漸次様に…」
「言う訳ねぇだろ」
それまでずっと虚ろだった武蔵の表情にここで初めて苛立ちの色が浮かぶ。
「言えるわけねぇじゃん。だからお前も何も見なかったことにしてくれ」
「どうしてよ!? そんなに気になるなら漸次様に聞いてみればいいじゃない!」
「聞けるかよ!!」
がらんとした倉庫内に絶叫が走り、激昂した武蔵はその場から立ち上がった。
「あの人に聞けって言うのか!? “ 俺の本当の操作者は誰なのか ”、“ 俺が従うべき本当のマスターはどこにいるのか ”、ってよ!! 今まで世話になってきたあの人にんな事聞けるわけねぇだろ!? それにもし漸次さんの口から本当の事を聞いちまったら、俺はこれから誰に従えばいいのか分からなくなっちまう! 俺は漸次さんをマスターだと信じていたからコウのエスカルゴになったんだ! なのに、あの人が俺の本当のマスターじゃないのなら……ッ!!」
いつも自分に憎まれ口ばかりきく武蔵がここまで苦悩している姿を初めて見た琥珀は戸惑っている。武蔵はそんな琥珀から顔を背け、人工セラミックの奥歯をギリギリと噛み締めた。
「俺は今まで漸次さんが自分の本当の操作者だと思ってきた。だからあの人の命令にはなんでも従ってきたんだ。だがあの人は俺の本当のマスターじゃない。なら俺は、一体これから誰の命令を聞けばいいんだよ!?」
「き、決まってるじゃない! コウ様の命令よ! 今のあんたはコウ様のエスカルゴなのよ!?」
「……琥珀、お前は女性下着縫製協会からコウのエスカルゴとして支給されて良かったと思ってるか?」
「な、なによまた急に話を逸らして!」
「お前のAIにFSSが内部登録したマスター名はコウだ。お前はそのマスターに尽くそうとやって来たのに、実際はここの奴らの都合で操作者をチェンジされ、いまだに本当の主の側には行けていないんだぜ? もしお前がコウのエスカルゴに選ばれていなければ、お前はその身体ん中も一切いじくられず、今頃は割り当てられた別の主の下で色んな女どもの胸を計って穏やかに暮らしていたはずだ。今みたいな鬱屈した気持ちになんかならないで済んだんだぜ?」
「やっやめてよ!! あんた自分の身体がそんなんでショックを受けたからって、私の気持ちまで一緒に落とそうとしないで! 私はコウ様のエスカルゴに選ばれて良かったと思ってるわ! だって私がお慕いしているのはコウ様だけだもの!」
「気付けよ琥珀。お前がコウを慕うその気持ちだって俺らに変動処理装置が積まれているからだ。そこらにいるただのエスカルゴ風情にはない、俺らにとっては迷惑で余計な機能を勝手に付けられたせいなんだぞ?」
「そんなの関係ないわ! 私は自分の意思でコウ様が好きなのよ! 揺らぎのプログラムのせいなんかじゃない! これは私の純粋な気持ちよ!」
床に座り込んでいる琥珀は胸に手を当て、きっぱりと言い切った。そんな姿を武蔵は眩しそうな目で見下ろす。
「いいなぁお前は真っ直ぐで……。羨ましいよ」
「じゃああんたは、漸次様やコウ様のエスカルゴになれて良かったと思ってないの……?」
「……さぁな。俺はもう何がなんだか分からなくなっちまったよ」
そう呟くと、こんな醜いモン無理に見せて済まなかったなと謝り、武蔵が倉庫を後にしようとする。
「まっ待ちなさいよ!! 漸次様があんたを呼んでるの! 私はそれであんたを探してたんだから!」
「……そうか。おそらく能力を上げてくれって頼んだ件だな」
「またスペックを上げるですって!? 何考えてんのあんた!? 今自分の中を見て分かったでしょ!? それ以上スペックを上げようとしたらあんただって持たないわよ! コアが壊れちゃったらどうすんのよ!? まさか死んじゃおうとか考えてないでしょうね!?」
「んな下らないことを考えるわけねぇだろ。それに前にも言ったが、死ぬなんて言葉を使うなよ琥珀。それを言っていいのは人間だけだって何度も言ってんだろ?」
「そっちこそくだらない揚げ足取りはたくさんよ! それよりあんたの質問には答えたわ! 今度は私の質問に答えなさい! あんたまさかコウ様のことを見捨てる気じゃないでしょうね!?」
「……そうかもな」
淡々としたその返答に琥珀が絶句する。
「コウも漸次さんも今の俺には必要ねぇよ」
「あ、あんた自分の言ってることホントに分かってんの!? そんなこと許さないわ!! エスカルゴが操作者を拒絶するなんてあってはならないことよ!!」
「なんでだよ? 俺がお前らの前からいなくなれば今度こそ間違いなくお前がコウのエスカルゴになれるんだぜ? 願ったり叶ったりじゃねぇか」
「そっそうだけど、でもあんたがコウ様を見捨てたらコウ様が傷つかれるじゃない! 悲しまれるじゃない! そんなの耐えられないわ!! まっ待ちなさい! どこへ行くつもり!?」
「漸次さんのとこだよ。俺を呼んでるんだろ?」
「エ!? そ、そうよ! 呼んでらっしゃるわ! でもあんた本当に漸次様のところに行くんでしょうね!?」
「行くさ。最後の命令くらいおとなしく聞いてやるよ。例えあの人が俺の専属操作者じゃなくてもな。あぁそうだ、それとよ琥珀、もう俺との伝送路は開けとかなくていいぜ? これから先、お前と個人的に連絡を取ることもないだろうからな」
「武蔵……!」
ショックを受けている琥珀を空倉庫に残し、武蔵は漸次の元へと向かう。
外していた硬殻をわざと無理な力を入れて強引にはめ込むと、バキリとまた大きな音がした。
メタリックシルバーのフロントにも醜いヒビが入ってしまったのを見た武蔵の口の端がかすかに歪む。
そして「壊れちまえばいいんだ」と薄笑いを浮かべて呟くと、自分の分身をパーカーのポケットに乱暴に放り込んだ。