◇ The light and shade ◆ ― 2 ―
明日の婚約の場に同席してもらうため、コウが漸次を迎えに自分の時代に戻ろうとしていた頃、その事件は起きた。
統制管理局によって統括され、一般の人間が簡単に侵入することのできない封鎖区域、蕪利区画。
エリアの周囲に強固な防壁が張り巡らされているこの特殊区域内で営業をしている女性下着専門店、『 Casquette Walk 』 は、女性下着請負人の階級で最高のランクに位置する万能工匠の資格を持つ漸次が店主を務めるショップだ。現在この店内にいる人間は漸次のみで、他は電脳巻尺が二体いるだけである。
「ちょっとどこにいるのよバカエロ男!! いるんなら返事くらいしなさいよ!!」
以前、漸次にねだって買ってもらった幼い少女型の人造人間に自分の人工知能を繋げ、険しい顔で店内のあちこちを探し回っているのは漸次のエスカルゴ、琥珀だ。
広い店内を探し回った挙句、ようやく地下の最奥部にある空倉庫で床に座り込んでいる武蔵を見つけた琥珀はさらに声を荒げる。
「あんたまたここにいたの!? 勝手にこっちに戻ってきたかと思ったら、思いつめた怖い顔してこんな場所に毎日ずっと引きこもってさ! 伝送路を開けとけって言ってたのはあんたよっ!? なのに私からの呼びかけも無視して何様のつもりよ!?」
ここしばらくずっと虫の居所の悪い琥珀は、仁王立ちで文句を言い続ける。
しかし赤いパーカーのフードをすっぽりとかぶり、俯いている武蔵は微動だにしない。
「話しかけてるんだから返事くらいしなさいよ!! 私は今機嫌がすっごく悪いんだからね!! あんただってその理由が分かるでしょ!?」
武蔵は俯いていた顔をほんのわずかだけ上げ、「あぁ、分かるぜ」と返事をしたが、相変わらず琥珀の方は見ようともしない。
「俺らの職務交代の件、漸次さんに許可をもらえなかったんだろ?」
「……そうよ」
コウの電脳巻尺になりたい、ずっと抱いていたその願いをまたしても許可されなかった琥珀が悔しそうに唇を噛み締める。
「漸次様のお許しは出なかった。コウ様のエスカルゴはあんただって。それは何があっても絶対に変えないって、そう仰ってたわ」
「あの人ならそう言うだろうと思ってたよ。コウが暴走した時のサブストッパーとして能力補強されているのは俺だ。お前は感情系のシステムしか強化されていないからな」
「でも本当は私がコウ様の相棒なのよ!? だから漸次様に私の能力をあんたと同じように上げて下さいってお願いしたわ! そしてこれからは私がコウ様をお側でずっと見守りますって!」
「それ言って、漸次さんはお前になんつった?」
すると琥珀は床に足を投げ出している武蔵の前にペタリと崩れるように座り込み、声量を落とす。
「……それは出来ないって言われたわ。私の本体にあんたと同じような機能をつけたら私の身体が持たないからって」
「まぁそうだろうな。漸次さんの言っていることは正しいぜ」
「なんで!? それっておかしいわよ!! だって私の方があんたより後に作られてるのよ!? 私の方があんたより新しい型式なのよ!? それなのにあんたには積めて私に搭載できないなんてヘンじゃない!! あんただってそう思うでしょ!?」
「…………」
「なんで急に黙るのよ!?」
「…………」
「だからなんで黙ってんの!? もしかしてあんた何か理由を知ってんの!?」
武蔵はしばらく黙った後、目深にかぶったフードの隙間から呟く。
「琥珀、お前はそのままでいい。その方がいいんだ」
「なんでも知ったような顔して偉そうな事を言わないで!! あんたに何が分かるってのよ!!」
「分かるさ。いや、やっと分かったんだ」
ここで武蔵はようやく琥珀に顔を向ける。
「琥珀。お前自分の裸を見たことがあるか?」
「なっ何よ急に!? また私にセクハラすんじゃないでしょうね!?」
「しねぇよ」
「ならなんでそんなこと聞くのよ!?」
「人間たちもそうだけどよ、俺らも自分の内部を見ようと思ったって見られないだろ?」
「まぁね。それが?」
「だがお前はずっと前から人造人間を持ってるんだ。見ようと思ったらあの市松硬殻を外して自分の中を見ることぐらいできるはずだぜ。見たことないのかよ?」
「ないわよ! なんで自分の中をわざわざ見なくちゃいけないの!? 勝手にそんなことして間違って自分の内部を傷つけちゃったりしたらタイヘンじゃない!」
「無いのかよ」
武蔵の口元から残念そうな吐息が漏れる。
「俺は前にお前の裸を見たことがあるって言ったよな? あの時思ったよ。お前の裸はものすげぇ綺麗だった。内部のどの部品も新品で汚れてるとこなんてどこにもない。見惚れるぐらい綺麗だったよ」
「その手には乗らないわっ! あんた半落ちしている私の裸を見た後、勝手に回路を繋いで私の初めてを奪ったんでしょ!? この期に及んでやっぱりセクハラするつもりね!?」
自分の過去の悪行を責められた武蔵は再び顔を伏せる。
「……お前の身体のエロさについ魔が差したとは言え、あの直接結合は本当に悪かったと思ってる」
「ふんだ! 謝ったって一生許さないわよ! でもお生憎さま! この間、漸次様に頼んで緻密陰部を新品に交換してもらったの! だから私はまた清い女の子になったもん! これであんたに犯された事実は無くなったんだから!」
「へぇ、あの人にパーツを換えてもらったのか。良かったじゃん」
「よ、良かったじゃんって何よそれ」
てっきり悔しがると思っていた琥珀は、武蔵の反応が自分の予想と大きく違っていたことに驚きを隠せない。
「ちょっとあんた、私の言ってる意味ちゃんと分かってる!? 私は処女に戻ったのよ!? あんたが初めての巻尺じゃなくなったのよ!? あんたはそれでいいわけ!?」
小さめの唇をちょっぴり尖らせた琥珀は少々不満げだ。
そんな琥珀の様子を見た武蔵は無気力だった表情を一時的に緩め、フッと微笑む。
「なんだよ、もう一度犯してほしいってことか?」
「ちちっ違うわよ!! なんでそうなんの!? バカじゃないの!? ただあんたがあまりショックじゃなさそうだからさっ、ちょっと拍子抜けしただけ!」
「そうだな、陰部を取っ替えちまったんならあの行為はもうノーカウントだろうし、お前の初めての男じゃなくなって、俺はショック受けてんのかもしんねぇなぁ……」
「なによっそのどうでもいいみたいな言い草!? バカにしてんの!? 」
「琥珀、悪ぃけど、今なんにも考えられねぇんだ。余計な感情を引っ張り出す余裕が全くねぇんだよ」
「あんた戻ってきてからずっと様子がおかしいわよね……。向こうで何かあったの?」
武蔵は答えない。
背中の壁にゴトッと音がするぐらい後頭部を強くぶつけ、虚ろな目で倉庫の天井を大きく見上げる。
「コウ様と何かあったわけじゃないでしょうね?」
「…………」
「だから黙り込むのは止めてってば! 質問してるんだから何か言いなさいよ! これでもあんたのこと、ちょっとは心配してんのよ!?」
「……琥珀、俺の内部を見てくれないか」
「ハァ――ッ!? 今度はあんたの裸を見ろですって!?」
ようやく口を開いたと思った武蔵がまた突拍子もないことを言い出したので、呆れた琥珀が目を見開く。
「なんで私があんたの裸を見なきゃいけないのよ!? あんたって露出狂の気もあったわけ!? 女の子に自分の裸を見せつけようなんて完全にヘンタイじゃない!! もうっ心配なんかして損したわ! あんた一回死になさいよ!!」
「……頼む琥珀。見てくれ」
「な、なによ、急にしおらしくなってさ。いつものあの傍若無人さはどうしたのよ? でもなんと言われたってイヤなもんはイヤだからね!」
「頼む琥珀、このままだとおかしくなりそうなんだ。お前、エスカルゴのパーツとか詳しいんだろ? 漸次さんがマスターファンデになった年の本体の柄まで知ってんだからな」
「もっちろんよ!」
自分の得意分野な話になったので琥珀が目を輝かせる。はしゃいだ声を上げるとしたり顔で喋りだした。
「女の子はそういうファッションチェックは怠り無いって言ったでしょっ! あんたの生産された年代くらいまでなら余裕で分かるわよ! ちゃんとメモリに入ってるわ!」
「琥珀。お前のその知識で俺の中を見てくれ。そしてお前がどう思ったかを聞かせてほしいんだ。頼む」
がらんとした倉庫の壁に背中を預け、疲れきった顔で何度も同じことを頼み込んでくる武蔵に、高飛車な態度が売りの琥珀もさすがにこれ以上無下な態度は取れなくなった。
「ねぇ、そういうあんたはもう自分の中を見たわけ?」
「あぁ。見た」
「なんで自分の内部なんか見てみようと思ったのよ?」
「……コウの奴にムカついてよ、それでムシャクシャしていて思いつきでフロントを外してみたんだ。俺は何度も能力補強されているから中がどんな風になっているのかも一度見てみたかったしな。なぁ琥珀、マジで頼む。お前も見てくれ」
「しっ仕方ないわね! 本当はあんたの裸なんか絶対に見たくないけど、あんたがそこまで頼むんなら今回だけよ!? 特別に今回だけだからね!?」
仕方ないわねとは言っているが、生産れて初めて異性の巻尺の裸体を見ることになった琥珀は興味深々だ。武蔵のすぐ側にまでずいと大きく身を乗り出してくる。
「あらっこのマーク、この間は無かったわよね? 漸次様が付けて下さったの?」
バスク・ムルのパーカーのポケットから出てきた電脳巻尺。銀色に光る本体の片隅に、小さな唐草模様のマークがつけられていた。それを目ざとく発見した琥珀はその部分を指でさす。
「この模様が無いとどうにもしっくり来ないんだとよ。もうすぐ前の唐草硬殻の修理が終るからそれまでこれでも付けとけって言われたよ」
「ホント、うちの漸次様ってレトロなものがお好きよね!」
「違う」
「違う? 何が?」
「あの人はこの柄が好きなわけじゃねぇよ」
巻尺につけられた唐草模様のマークを武蔵がじっと見つめる。その視線は刺すように鋭いものだった。