ごめん 嘘をついた 【 8 】
真央と別れた神社前まで走る。
走りながら携帯を取り出してみると、そこにはすごい数の着信があった。すべて真央や同じ班の女子たちからだ。マナーモードにしていたことと、コウと武蔵の闘争に巻き込まれていたために今までまったく気付かなかった。
一旦足を止め、急いで真央と連絡を取ろうと携帯を操作し出した理子の手首を浅黒い手がガシリとつかんだのはその時だ。
突然現れたクラスメイトの笹木 蓮が無表情で自分を見ている。
「さ、笹木!?」
「……見つけた。お前が戻ってこないから大騒ぎになってるぞ。早く来い」
「痛いってば! 力任せに引っ張らないでよ!」
しかし蓮はお構いなしに理子の手首をグイグイと引っ張る。
「聞いてんの笹木!? 痛いってば!」
蓮の冷たい視線が抵抗する理子を捉える。
「お前、今まで一人で何やってたんだ?」
「しっ、知り合いに会ったから少し話をしてただけよ」
「……まさかコウって奴か?」
探るようなその視線にカチンときた理子は、
「なんであんたコウのことばっかいつも言うのよ!?」
と言い返した。
すると蓮は「もうそいつに近づくな」とだけ淡白に言い残し、理子から手を離してその場を離れてゆく。
「ちょっと笹木!?」
「あっ!? 理子だー! みんな! 理子が戻ってきたよー!」
「何やってたのよ理子!? ケータイ鳴らしても出ないし、いつまで待ってても来ないし!」
「もうちょっとであんた置いていかれるところだったんだよ!?」
蓮と入れ違いに駆け寄ってきたのは真央と、同じ班のメンバーたちだ。
思ってた以上に大騒ぎになっていたことに「みんなごめん!」と謝ると、桐生が現れてホッとした様子で側にいた広部に顔を向ける。
「あぁ久住さん、戻ってきたんですね。良かった、これでようやく出発できますね広部先生」
しかし広部はわざとそれを無視し、
「おい久住。週明けにグラウンド10周させっからな。覚悟しとけよ?」
と険しい顔で言った。
「はーい……」
ペナルティを課せられた理子は力なく頷く。
班のメンバーたちも「今回はさすがに理子が悪いよね……」と顔を見合わせて頷きあった。
全員が揃ったので教師たちはガイド嬢と協力して生徒を観光バスへと誘導し始める。その移動中に班のメンバーが入れ替わり立ち代わりで単独行動中の状況を尋ねてきた。
「理子、真央から聞いたんだけど、知り合いにバッタリ会ったんだって?」
「うん。それでつい話が長引いちゃって……」
「親戚なの?」
「ううん、知り合い」
「どういう知り合い? すごい美人だったって真央が言ってたけど」
終わらないメンバーの質問に、真央が心配そうに自分を見ている。
コウへのわだかまりが無くなっている理子は、その清清しさでほんの少しだけつい自慢をしてしまった。
「かっ、彼氏の知り合いのお姉さんなんだ」
「カレシィィー!? 理子、あんたいつの間に彼氏出来てたのよっ!?」
「あたしも知らなかった! 真央、あんた知ってたの!?」
先ほど理子からコウに彼女がいてフラれるかもしれないと聞かされたままの真央が「エ!? わ、わたし!?」と目を白黒させる。そして何度も理子をチラチラと見た。
「あ、真央は知ってるよ?」
真央の代わりにそう答え、困っている親友に「ごめん、さっきのあたしの勘違いだった」と伝える。
それを聞いた真央もようやく安心したようだ。
「じゃあさっきの女の人ってコウさんの知り合いなのね?」
「うん! すごくいいお姉さんだったよ!」
シロナのことをそう表現し、理子は嬉しそうに頷いた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
修学旅行一日目の夜。
大広間で夕食を取り、大展望露天風呂を満喫した理子たちは消灯時間後も部屋で飽きることなくお喋りに興じていた。
女子のみ、ということもあり話題はやはり恋バナがメインだ。よって彼氏がいる女子に必然的に水が向けられる事になる。
今回、班のメンバーで現在進行形で恋人がいるのは一名だけで、しかもそこは付き合いが長いので、もうとっくにその女子の彼氏データを入手し終わっているメンバーの興味の矛先は、当然の如く彼氏がいると本日カミングアウトした理子に集中することとなる。
「ねーねー、理子の彼氏って24歳なら社会人なんでしょ? 何してる人なの? サラリーマン?」
すでにコウの名前や年齢を聴取し終えたメンバーの身辺調査はまだ終わらない。
「な、何してるって……」
返答に困った理子は口ごもる。
“ 私の彼氏は女性のブラジャーを作るのが仕事で、マスターブラって呼ばれていて、しかも未来から来ている人です ”、なんて言ったら頭がおかしくなったと思われること受けあいだ。
そこで以前にコウが家に来た時に、母の弓希子に説明していたことをそのまま口にすることにした。
「し、下着メーカーで働いているって言ってたよ」
完全に嘘とは言えない曖昧な答えでお茶を濁すと、メンバーたちは目を輝かせて更に食いついてくる。
「えっどこどこ!? 」
「ど、どこって……」
そこまで考えていなかった理子は困った表情で再び口をつぐんだ。
するとメンバーたちはクイズ合戦のように次々に有名ブランドメーカーの名を挙げ出し始める。
「ワ〇ール? トリ〇プ?」
「キ〇じゃない?」
「あたしキッ〇ブルーが好き!」
「あっ私も好き! あそこのブラ可愛いよねー!」
「アブ〇ールもいいよ! この間通販でメガ盛り買っちゃった!」
「うわぁ寄せ上げ来たぁ~! あんた彼氏いないのになんでそんなの買ってんのよ!?」
「狙ってる男がいるから事前に準備しとこうと思って! あ、ちなみに下はタンガだよ!」
「すごっ! 完全に戦闘モードじゃん!!」
和室の中が爆笑の渦になる。
その後はその女子が誰を落とそうとしているのかという話題に集中し、コウの話題がプッツリと途切れたので理子はホッと胸を撫で下ろした。
「ヤバ、あたし本気で眠くなってきたかも……。そろそろ寝ない?」
時刻はすでに深夜。
教師の見回りの度に寝た振りをし、その後も額を寄せ合ってこそこそとお喋りに興じてきた理子たちだが、二時間を越す恋バナタイムについにメンバーの一人が白旗を上げた。
「うん、明日結構歩くみたいだしね。寝不足だとマズイかも」
「寝よう寝よう! おやすみ~。あたし朝弱いから起こしてね~」
「りょーか~い」
全員が布団に入り、和室に静寂が訪れる。
今日一日色んなことに巻き込まれて理子もかなりお疲れだ。
ふぁ、と小さな欠伸をして布団の中に深く潜り込む。
コウ、ちゃんと家に帰れたかな、と心配しながら理子がうとうととまどろみだした時、広縁と和室を仕切る障子がスウッと音もなく開き、その隙間から白いヒモ状の物がニュッと顔を覗かせた。
── 巻尺だ。
室内に侵入してきた巻尺はさらに大きく障子を開け放つと真っ直ぐに理子の布団に向かっていく。そして理子の肩を二度つついた。
睡眠に入りだしていた理子は眠い目をこすって扁平な枕から頭をもたげるが、起きている友人は誰もいない。全員すべて夢の中に旅立っていた。
ぐっすりと眠っている友人たちの寝顔を見て、気のせいだったのかなと思い布団に入り直そうとしたその時。
左側、窓がある方角から冷たい空気が流れてきているのを感じた。
そちら側に顔を向けた理子の瞳が驚きで見開かれる。
赤いパーカーを羽織った武蔵が薄く開け放たれた障子の向こう側に立っていたのだ。
何してんのよあんた、と言おうとした理子に向かって武蔵が自分の口の前に人差し指を立てる。
そして薄暗闇の中で中指を立て、クイクイと二度折り曲げてこちらに来いというジェスチャーを続けて送ってきた。
シロナとの仲を誤解してしまったことをコウにきちんと伝えてくれているのかを知りたかった理子はおとなしく布団を出る。
そして友人たちの頭の側を忍びのように足音を殺して武蔵の元へと向かい、仲間を起こすことなく無事に広縁に着くと後ろ手で静かに障子を閉めた。
「武蔵、ちゃんとコウに伝えてくれた!?」
小声で確認すると武蔵は頷き、
「伝えたらコウがお前にどうしても逢いたいってきかねぇんだ。修学旅行から帰ってくるまで待てねぇんだとよ」
コウがそんなに自分に逢いたがってくれていると知り、理子の頬が一気に熱くなる。
しかしときめいている少女とは対照的に人型の武蔵は渋い顔だ。
「あいつを放っておいたらここに忍び込んで強引にお前を連れ出そうとして騒ぎを起こしそうだからよ、俺が様子を見てうまく連れて来てやるって言ったんだ。今からちょいとだけ顔を貸してくれるか子雌?」
「いいけど、でも部屋から出たら先生に見つかっちゃうかも……」
「大丈夫だ、俺に任せておけ。それより外、結構寒いぞ。なんか着て来いよ」
「う、うん。分かった。待ってて」
理子は再び足音を殺して室内に戻ると、ジャージの上を着てコートも羽織る。
また広縁に戻り障子を閉め、「いいよ。でもどうやって先生に見つからないでここから出るの?」と武蔵に尋ねた。すると武蔵はたった一言、
「動くなよ」
とだけ言うと一度目を閉じる。
すぐに武蔵の背後から音も無く二本の巻尺が伸びてきた。そしてコウの家でバストを採寸された時のように、理子の身体に白い紐が何重にも巻き付き始める。
「なっ何すんのよ武蔵!?」
「でけぇ声出すな子雌。そっちで寝ている女どもが起きちまうだろうが」
そう叱りつけ、勝気な少女の簀巻きを一本、見事に作り上げた武蔵は、「行くぞ」と告げると窓を開けて踏込床を蹴り、そのまま窓外へと大きく身を躍らせた。