ごめん 嘘をついた 【 4 】
「 監視個体 だと!?」
歯を剥き出した恐ろしい形相で武蔵が吼える。
「コウッ!! お前っ、漸次さんのことをそんな目で見ていたのかよっ!?」
「俺の監視以外にあの男に役割などないはずだ」
淡々とした言葉と共にコウが鋭い蹴りを放つ。
その攻撃を避けようとしなかった武蔵のパーカーがまた汚い泥で大きく汚れた。
しかしバスク・ムルのパーカーなどすでに眼中には無い武蔵は、ついてしまった泥を叩き落とそうともせず、重く垂れ込める灰雲の下で「答えろコウッ!!」と怒鳴る。
「今まで本能化したお前と話しあえる機会は確かに無かった!! だが今のが漸次さんに対するお前の隠れた本音ってことなのかよっっ!?」
コウは答えない。
その不遜な態度に武蔵の瞳が怒りに燃える。
「ふっざけんなぁぁぁっっ!! 誰のおかげでそこまでデカくなれたと思ってんだっ!! 漸次さんが、あの人が全てを犠牲にしてお前を育ててくれたからじゃねえか!! それを、“ 監視以外に役割はない ” だと!?」
専属操作者には絶対服従のプログラムが組み込まれているはずの電脳巻尺。だが武蔵は主に向かって襲いかかる。
「喰らいやがれっっ!!」
激情した武蔵の拳が、本来であれば自分が従うべき操作者の身体の至る所に容赦なく次々と叩き込まれ、またしても攻撃をかわしきれないコウが苦悶の表情を見せる。
「許せねぇ!! 例え漸次さんが許してもこの俺が絶対に許さねぇっっ!!」
ガードが間に合わず、コウの口元から苦痛の声が漏れ続けても武蔵は追撃の手を緩めない。
「この恩知らずがああああ──っっ!!」
曇天の下で絶叫し、狂ったように武蔵が襲い掛かる度、コウが苦しげに呻く声が少し離れた場所にいる理子にも届くようになってきた。
「やっ止めてーっ!! 止めなさいよ武蔵ーっ!!」
コウの三度目の本能化化。突如人型となって現れた武蔵。そして両者いきなりの乱闘。
目まぐるしく切り替わる怒涛の展開に、パニック寸前の理子は無我夢中で叫ぶ。
「ぐ…っ」
攻撃に耐え切れなくなったコウが再び地面にガックリと片膝をついた。それを見た理子は慌てふためきながら、コウの元へと駆け寄る。
「コウ!! 大丈夫!?」
「邪魔だ!! どきやがれ子雌ッ!!」
血相を変えた形相で武蔵が怒鳴る。しかし理子は「やだ! どかない!」と武蔵に言い返した。
「もう止めてっ!! 本当のコウはお父さんにそんなこと思ってないってば!!」
「お前はなんにも分かってねぇよ子雌ッ!!」
硬く握りしめている武蔵の拳が湧き上がる怒りで震えている。
「本当のコウもクソもねぇ!! いつものコウも、今のこいつも、同じコウだっ!! 同じ奴なんだよ!!」
「違うよ!! だっていつものコウは優しいもん!! 今は甘酒でちょっとヘンになってるだけだもん!! だからもう止めて!! もうこれ以上コウを殴らないでよ!!」
コウの頭を思い切りギュッと抱きしめると、嫌でも耳元に届いてくるその苦しげで不規則な荒い息に、胸が強く締め付けられる。
「ダメだっ! 今回ばかりはこいつには少々キツい仕置きが必要だっ! 怪我をしたくなけりゃ早くどけ子雌!!」
コウに止めを刺そうと、武蔵が左の拳を天に向かって高く振り上げた。
「止めてぇぇぇーっ!!」
理子は目を閉じると咄嗟にコウに覆いかぶさり、その身をかばう。
直後、怯えで身体を震わす暇もなく、頭上から鈍い衝撃が伝わってきた。だが痛みは感じない。
恐る恐る顔を上げると、左の瞼から血を流したコウが理子を見下ろしている。
「……大丈夫かリコ?」
「コウ……! も、もしかして私をかばって……!?」
コウが逆に自分をかばってくれた事を知った理子は、武蔵に怒りのすべてをぶつけた。
「もう止めて!! もう止めてよ武蔵!! コウが怪我しちゃったじゃないのっ!!」
武蔵はそっぽを向きわざと聞こえない振りをすると、怒りで肌の色が変色するほど固く握りしめていた手を開いて乱暴に左右に振った。コウの顔面を殴打したことにより武蔵の拳についた鮮血が数滴、初秋の乾いた空中に飛び散ってゆく。
「……おいコウ、もう止めて欲しければ漸次さんに対する思いをすぐに改めろ。そして漸次さんに感謝の意を持て。そうすれば今回はこれぐらいで勘弁してやる」
「撤回する気なんて無い」
「コウ!? そんな事言っちゃダメだってばっ!!」
しかし理子の制止も届かず、コウは武蔵の命令に一切日和ることなく淡々と言い返す。
「お前がなぜそこまで憤っているのかは知らないが、俺は思ったことを言ったまでだ」
「……思ったこと、か……。思ったこと……、そうかよ……」
武蔵は空ろな目でコウを見ると、脱力したような声でそう呟いた。
今までの激昂した様子とは突如打って変わり、一切を温度を無くしたかのようなその冷えた言い方に、理子はゾクリとした恐怖を覚える。
「……ハハッ……、今のお前の言葉は漸次さんには死んでも聞かせられねぇなぁ……」
先ほどまであれだけ怒り狂っていたことがまるで嘘のように、今は完全に表情を無くしてしまっている武蔵がコウの前に音も無く立ち塞がる。
「やっ止めて武蔵っ!! あんたいい加減にしなさいよ!!」
豹変した武蔵に恐怖は感じていたが、これ以上コウが傷つく姿を見たくないという思いが怖いという感情を打ち負かす。理子はよろけながらも必死に立ち上がり、両手を広げてコウをかばった。
そしてその時、理子は急に自分の身体が宙に浮いたような感覚に陥る。
“ コウに抱えられているんだ ”、と分かった時にはもう自分の身体は大木の枝の上へと移動していた。
「ここにいろ。危ないから動くなよ」
コウは抱き上げていた理子を大枝の上に座らせると、その手を取り、地面に落ちないよう木につかまらせる。自分の身体を幹に寄せた理子はコウにこの場から逃げるよう、必死に促した。
「コウ! また殴られちゃうから早く逃げて!!」
「いや、あいつを倒さないとお前をさらえない。おとなしくここで待ってろ」
「ダメだってば! どう見ても武蔵の方が強そうだもん!」
しかしコウは左瞼から血を流しながらも「大丈夫だ、負けない」と静かに告げ、自分に巻かれていた理子のマフラーをするりと外す。
「これは返す」
コウはチェックのマフラーを理子の首元に元通りに掛け直した。
そして少しためらった後、再び口元を動かす。
それは秋風の音に紛れてよく聞き取れないような小ささだったが、理子の耳には確かに届いた。
「ありがとう」という言葉として。