ごめん 嘘をついた 【 3 】
「今頃分かってんじゃねぇよ。相っ変わらず鈍い女だな」
足を止め、振り返った武蔵は冷めた視線を理子に送る。そして面白く無さそうな顔で再び前を向いた。
「……で、お前はどうなんだ、コウ? この俺様のことを少しは思い出したか?」
正面からは肯定も否定も返ってこない。
しかし眉間に皺を寄せたその顔は、武蔵と自分の関係をよく把握していないように見える。
「ケッ、やっぱりダメかよ! ま、今までお前が本能化した時は俺様は影で内偵してただけだし、俺の事を覚えてなくてもしゃーねぇか」
あっさりと自身の存在証明を諦めた武蔵は、コウに向かってまた歩を進める。
「さぁて、とりあえずおとなしくしてもらおうか。こいつをお前好みのメスに肉体調教しようとするのは結構だけどよ、ここで大っぴらにヤっちまうのは道徳的に少々マズいと思うぜ?」
近づく武蔵に対し、コウは後ろに飛び退ると大きく距離をあける。無言で迎撃の態勢を取られ、敵意を見せられた武蔵は興味深々の表情だ。
「おぉ!? もしかしてこの俺様を警戒してんのかよ!? なるほどなぁ、でもそれは正しい判断だぜ? 弱い奴ほど自分より強い相手を見極める能力に秀でているっていうしな。……そうだろコウ?」
武蔵のあからさま過ぎる挑発に、冷め始めていたコウの瞳が再び赤く燃え盛る。怒りをたぎらせたコウは一度はあけた距離を一気に詰めてきた。
そんなコウを煽るように武蔵は顔の前に中指を垂直に立て、半笑いを浮かべて叫ぶ。
「とっとときやがれ!!」
二度、三度。
息をつく間もなく、コウは立て続けの攻撃をしかけるが、そのすべてを武蔵は紙一重でかわしてしまう。軽やかなステップで造作も無く。
コウの表情に焦りの色が浮かぶのをニヤついた表情で楽しみながら、武蔵は更に焚き付ける。
「おいおい、いくらなんでも手ごたえ無さすぎだろ! クリーンヒットさせろとは言わねーが、せめてよ、かするぐらいはしてくんねーか? 退屈でしょうがねぇよ!」
嘲笑されたコウの眼光に今まで以上に鋭さが増した。
「お、切れたか!? ついに切れたのかコウ!?」
「…………」
視界の中央に武蔵を捉え、コウが再び襲い掛かった。怒りの感情がスピードを上げたのか、武蔵の着ているパーカーの左肩口をコウの蹴りがかすめる。
「げっ!? 買ったばかりなのに何しやがんだっ!」
コウのワークブーツについていた泥が着ていたパーカーに付着し、それを見た武蔵が血相を変えて怒鳴る。
「蹴りは止めろよ! バスク・ムル の新作だぞこれ!? やるなら拳にしろ拳に!」
しかしコウは攻撃の手を緩めず逆により一層、蹴りの回数を増やして執拗に武蔵を狙う。これ以上服が汚れないよう慎重に攻撃をかわしつつ、武蔵が再び怒鳴り声を上げる。
「コウ! そっちのテメーに言っとく! この前もそうだが、無理やり子雌を組み敷こうとするのは止めろ! こいつがマジで嫌がってるのが分かんねぇのかよ!?」
「違う」
武蔵への攻撃を止めることなくコウも反論する。
「さっきリコは嫌じゃないと言った」
「何だと?」
それを聞いた武蔵は動きをピタリと止め、キョトンとした表情で理子の顔を見た。
「なんだ、そうなのか子雌? お前こいつに襲われる度にあんだけ抵抗してたくせに、実は大して嫌じゃなかったのかよ?」
「ええええっっ!? そ、それはっ……そのっ……!」
理子はどぎまぎしながら返事を濁した。
いつの間にかコウも攻撃の手を止め、二人の男がそれぞれの位置からじっと自分を見ている。これは非常に気まずい。
だが。
だが、もしここで「そんなこと言っていない」と照れ隠しで嘘を言えば、きっとコウは深く傷つくだろう。これ以上、先ほどのようなコウの悲しむ顔は見たくないし、させたくない。
「おい、どうなんだよ子雌?」
武蔵が返答を急かす。
── ここがまさに正念場か。
俯き、一人葛藤を続けていた理子だったが、ついにガバッと顔を上げて叫ぶ。
「い、言ったよ!! 言ったけど! でもこんな所じゃイヤだもん!!」
「ほ~れみろコウ。こんな所じゃ嫌だとよ」
武蔵が勝ち誇ったような顔を見せる。すると今度はコウが、「……ここじゃない所ならいいんだな? 来いリコ、行くぞ」 と冷静な声で告げる。
「もうっ! だから今は修学旅行中だからダメだってさっきからずっと言ってるでしょー!! コウの分からず屋ぁー!!」
「へへっ、“ 分からず屋 ” だとよ、コウ? つーことで子雌が欲しかったらまずはクールダウンして いつものお前に戻って出直すんだな。俺はこいつを送り届けてくる。見ろ、こんな感じで仲良くな」
武蔵が理子の肩をいきなり抱く。
「きゃっ!? ちょ、ちょっと武蔵!?」
いきなり肩を抱かれたシーンを見せつけられたコウの表情が固まる。だがすぐに理子を取り戻そうと再び武蔵に殴りかかった。
武蔵は理子の肩から手を離すとコウの再攻撃をかわし、逆にコウの背後を軽やかに取る。
「なぁコウ、男の嫉妬は行き過ぎると見苦しいだけだぜー?」
背後を取られたコウは奥歯を噛み締め、肩越しに獣のような表情で武蔵を鋭く睨みつける。
「リコに近づくな……!」
「へへっ、本気で悔しそうなツラしてんな! それにお前の攻撃が俺にロクに当たらないのがそんなに不思議かよ? だがその理由は面白いぐらいに簡単なんだぜ? 種明かししてやるよ。例えばよ、俺がこうお前を蹴りつけるとするだろ?」
武蔵は間合いを詰めるとフェイクの右回し蹴りを放った。そしてそれを咄嗟によけたコウの左肩口を狙いすましたように殴りつけ、それが見事ヒットすると自画自賛代わりに短く口笛を吹く。
「な? お前がどう動くかの行動は俺にはバレバレなんだよ」
殴りつけられ大きく後方に吹っ飛ばされたコウは、肩口を押さえて悔しげに呻く。
「あ、今のはさっきここを汚されたお返しな! 本来なら三倍返しだが、今回は特別サービスで倍返しに留めといてやったぜ? 昔から何事にも寛大な俺様に全力で感謝しろ」
恩着せがましさ100%で武蔵が口端を上げる。そしておふざけ感と優越感をたっぷりと含んだ声で、片膝をつき、うずくまる男を指さした。
「コウ、人間には誰にでもそれぞれの癖ってヤツがある。むろんお前にもだ。今までお前が本能化してきた時の破壊行動は、漸次さんの指示で全て俺が記録してきている。お前の戦闘パターンは、細部に渡るまですでに分析済みなんだよ」
「……ゼン、ジ…………?」
肩口を押さえたまま立ち上がり、その名を記憶の底から拾い上げたコウが素っ気無い口調で吐き捨てる。
「あぁ、あの “ トキシック ” のことか」
それまでヘラついていた武蔵の表情が一転して猛々しいものに変貌したのはその時だ。
「お前、今何っつった……!?」