ごめん 嘘をついた 【 1 】
「 さぁ来い リコ 」
本能化したコウが右手を差し出してくる。
しかし差し出されたその手を握ってしまえば、めでたく “ 和姦成立 ” となってしまうことは明白だ。
純潔な乙女を襲う三度目の大ピンチ到来を前に、死に物狂いで打開策を考える。
しかし理子本人は脳細胞を必死にフル回転させているつもりなのだが、打開策が思いつくどころか、フラッシュが焚かれたかのように脳内は真っ白になるばかりだ。
気が逸っているのか、コウが差し出した手のひらを一度だけ握り、また開く。
「どうした? 早く来いよ。たっぷり可愛がってやる」
「むっ無理無理無理ーッ!! じっ、時間ないしっ!」
「時間がない? なんでだよ」
「だっ、だって修学旅行中だもんっ!!」
「シュウガクリョコウ? なんだそれ」
眉間に皺を寄せ、コウが訝しげな表情を見せた。
「えぇっ!? なんで知らないのよーっ!? あんた、私が修学旅行で夜這いをかけられると勘違いしてここまで来たんでしょっ!?」
「……ヨバイ? 初めて聞く言葉だがどういう意味だ」
「あ。」
平常時と豹変後ではコウの記憶が繋がっていないことがある、という特殊事情を思い出した理子は慌てて更に一歩後ろに下がった。
「ヨバイってどういう意味だよ」
獲物が狩猟範囲から逃げ出さないよう、すかさずコウが近づいてきた。甘酒がもたらした絶大なる作用でその足取りはおぼつかないが、ここまで酩酊した状態でも理子が腕力で敵う事は万に一つの可能性もないだろう。
── 全力で助けを呼んだらシロナさんが戻ってきてくれるかも
しかし理子は浮かんできたこの妙案をかなりの勢いで打ち消す。
先ほどシロナのコウに対する想いを聞いてしまった身としては、やはりシロナに助けを請う真似はしたくなかった。それに “ コウのことを頼むわね ” と言われた責任もある。
だが奇策も思いつかず、目の前で手を差し出しているコウの顔を身を固くして凝視していた理子は、ふとそのすぐ下の部位に普通ならありえない肌の色がいびつな形で滲んでいることに気がついた。
「コ、コウ、その喉どうしたの……?」
「喉?」
理子に喉元部分を指されたコウは真下に視線を落とした。だが角度的に見えるはずも無い。
「赤い跡がついてるの。まるで誰かに絞められたみたい……」
喉元に手を当ててみる。言われてみると首元が熱を持っていて、少し痛むような気もした。
「ここに来る前に何かあったの?」
「ここに来る前……」
コウは険しい視線で宙を見据えた後に目を閉じ、十数分前の記憶を辿る。理子の言うとおり、誰かと一緒にいて何かがあったような気がした。しかしよく思い出せない。
更に強く目を閉じ、記憶の底をもう一度さらってみたが結局何も甦ってこなかった。しかし代わりに分かったことが一つある。
己の本能が告げているのだ。 “ つい先ほどまで接触していた人物は自分にとって危険な存在だ ”、と。
「だ、大丈夫? 痛くない?」
その声で目を開くと、そこには頬をうっすらとピンク色に染め、心配そうな表情で下から自分を覗き込む理子の姿があった。
一旦は自分から逃げようとしていた想い人が、いつの間にかこれだけの近距離に来てくれていることに不意を衝かれたコウの動きが完全に止まる。
「こっ、これ貸してあげるっ!」
理子は自分のチェックのマフラーを急いで外すと爪先立ちをし、微動だにしないコウの首元にあたふたと慣れない手つきで巻きつけ始めた。
「そ、その喉元目立つから、これで隠したほうがいいよ!? ほっほら、すれ違う人とかが見たらヘンに思うだろうしっっ!」
正面から顔を見てしまうと更に動悸が激しくなりそうだったので、横に視線を逸らし、超早口で喋る。そのため、マフラーを巻きつけられているコウの顔が強張っていることに理子はまだ気付いていない。
「はいっ! こっ、これで大丈夫っ! もう見えなくなったよっ! 私マフラーなくても平気だから、それ、そのままつけて帰っていいからっ!」
終始手元は震えがちだったが何とかマフラーを上手く巻きつけさせることができ、理子は胸を撫で下ろした。しかし正面からの反応が一切無い。
「コウ?」
返事が戻ってこないので恐る恐る上目がちに視線を上げると、コウはほぼ無表情だ。
いつも穏やかに微笑んでいるコウしか見ていないため、自分を見つめる冷たい視線に余計に緊張してしまう。そしていつもとは違うそのクールさに、良い意味でのギャップを感じてテンパる少女がここに一人。
「………」
コウは無言のままで視線を理子から真下に向けた。
そこにあるのは柔らかい感触のチェックのマフラー。
自分の首元を優しい暖かさが包んでいる事を認識でき、ようやく長いフリーズ状態が解けたコウは、急にその場から大きく後ずさりをする。
「お、お前……」
「な、何よ?」
「お前、本当にリコか……!?」
「ハ!?」
マフラーの中に埋もれていてコウの口元はよく見えないが、理子同様、どうやらこちらもかなりテンパッているようだ。この思いがけない理子の好意に完全に面食らっている。
「な、何よそれっ!? 本当に私か、ってどーいう意味よっ!!」
するとコウは愕然とした表情と震える声で理子を指さす。
「お前が俺にこんなに優しいなんてあり得ない……!」
「なっ!?」
赤面した理子の怒鳴り声が雑木林の中に響く。
「しっ、失礼なこと言わないでよーっ!! 私はあんたを心配してあげただけでしょー!!」
せっかくの思いやりが届いていないのだから当然の反応だ。おかげで今の自分の顔の赤らみはときめきがまだ残っているからなのか、それともすでに怒りに完全シフトチェンジしているからなのか、理子当人もすでに分からない状態になっている。
しかし本能化真っ最中のコウから生み出された疑いの芽は、まだ完全に摘み取ることはできないようだ。理子との微妙な距離を保ったままで別の邪推をしてくる。
「いや、今まで俺をあれだけ拒否っといて、ここで急に心配してくるなんておかしい。やっぱりお前、リコじゃないな。強制的に身体を乗っ取られているとしか考えられない」
「バッ、バカじゃないの!? 誰がどうやって身体を乗っ取るっていうのよ!? そんなに疑うならよく見てみればいいじゃなっ…!?」
そう啖呵を切りかけている途中で、“ しまった!” と後悔する。
慌てて自分の口を塞いだがもう遅い。そんな事を言ったらこの天然勘違い男の取る行動は一つ。
コウは自らの後ずさりで作った距離をあっという間に縮めると、理子の顔の側にまで自分の顔をグイと近づけ、無遠慮に検証を始めだした。
「ちょ、ちょっとコウ、顔近づけすぎだってばっ……!」
しかし元々そんな抵抗で引っ込むような男ではない。
超がつくほどの至近距離で上下左右からジロジロと顔を眺められ、しかも何を確認しているのか、時折顔や首筋、うなじ、耳の裏などを手のひらで何度もまさぐってくる。くすぐったさと恥ずかしさで気絶しそうだ。
「ちょっ…! 一体何を確かめてるのよ!?」
「いいから動くな」
耳元で響く命令に、また心臓がドキンと跳ねる。
高揚する気持ちが堪えきれなくなった身体を時折ピクピクと反応させ、その度に恥ずかしさが増した。
しばらくの間黙々と顔面付近の調査活動を続けていたコウは、やがて手を止め、「本物だ」と驚いた口調で呟く。
「ほっ、ほら見なさいっ! さっきから失礼なことばかり言ってくれちゃってっ!」
気持ちを切り替え、何とかここから反撃開始だ。理子はキッとコウを見据えると、強気な態度に出る。
「せっかく会ったらあんたに謝ろうと思ってたのに、雰囲気ぶち壊しじゃないの! どーしてくれんのよ!」
「謝る? お前、俺に何かしたのか」
「ヘ? 何、って……」
ポケットの中の絵馬がわずかに動く。
コウに逢ったらこの絵馬を書いたのかどうかを確認し、シロナとの仲を誤解して引っぱたいたことを謝りたかったのだが今はまず無理な話だ。
「も、もういいよっ! だって今のあんたじゃ謝ったってきっと何のことだか分からないもん!」
「何をしたんだか知らんが別に謝罪なんかいらねぇよ」
コウは理子の二の腕をがっしりと掴み、再び顔を近づけてくると端整な顔を少しだけ崩して下卑た笑いを見せる。
「謝るくらいなら黙って俺の物になれ。俺にお前の全部を余すことなく捧げろ。俺が欲してるのはそれだけだ」
「ぜぜっ、全部を捧げろってっ……!!」
もう完全にノックアウトだ。
身体がガクガクと震え、心臓がバクバクバクバクとありえないほどのスピードでリズムを刻んでいる。頭のてっぺんから湯気がでているような錯覚すらした。
以前に武蔵が “ 破瓜期の生娘 ” と揶揄したように、この少女が所持するハートは未だ夢見る乙女なプラトニック仕様なため、こういう類の攻め言葉には非常に弱いのである。