Sweet fish ! ⇒ Sweet drink !? <16>
地面に崩れ落ち、何度も咳ごむコウの背中をシュウが必死にさする。
「だっ大丈夫かコウ!?」
「……シュ…さん…本気で締めすぎですよ……。おかげで “ 違う ” って言いたくても、声が出せなかったじゃないですか…っ」
つい先ほどまで強引に締め上げられていた喉元に手を当て、コウがぼやく。しかしようやく出せるようになったその声も、かすれ気味で少々聞き取りずらい。
「マジで済まんっ……! 思ってた以上に力が入っちまってたんだな。手違いとはいえもしお前を殺しちまったら、俺が漸次さんに突然死させられるところだったぜ……」
「ハハッ…、さすがのシュウさんも父さんにはまだ敵いませんか?」
「バカ、敵うわけねぇだろ! あの人は不死身の男だぜ?」
「言えてますね」
「だろ?」
「でも意外です。僕というストレス解消先が無くなってしまう事より、父さんに殺られる事をそんなに恐れているなんて。シュウさんも意外と情けないんですね」
「う、うるせぇよ! おい、この事はシロナに絶対言うんじゃねぇぞ!?」
「了解です。ただし僕がその事を忘れなければ、の話ですが」
「ふざけんなっての! もう一度首絞めんぞコラ!」
「いえ、激しく遠慮しときます」
軽口を叩き合う二人の間に、先ほどまで張り詰めていた殺伐とした空気はすでに無い。
コウの回復を確認すると、シュウは決まりが悪そうな表情を浮かべ、照れ隠しのためかわざとあらぬ方向に視線を移す。
「コウ、ク、クドいようだが、お前は本当にシロナが好きじゃないんだな? 俺への気遣いなどまったく関係なくでだ」
喉の通りを良くするために二度咳払いをし、「はい」とコウが頷くと、シュウはますます居心地が悪そうにその大きな身体を縮ませる。
「済まなかったな……。どうやら俺の完全な思い込みだったようだ。許してくれ」
「もういいですよ。分かってくれたらそれで」
コウが小さく笑う。しかしシュウの表情はなぜかまだ重苦しい。言葉に出すかどうか迷っている素振りを見せた後、やがてシュウはそれをようやく口にした。
「あいつはお前の型式もやってるだろ? だからその、なんだ、つい、妬ましさでお前をいたぶっちまうんだよ」
「シュウさんらしいですね……」
呆れたような口調だが、コウの顔にはまだ笑みが残っている。そしてブラ職人としての尊厳を守るため、これ以上ないくらいの真剣味を帯びた声で答えた。
「確かに僕とシロナは 【 専属契約 】 をしています。ですが、それはあくまでも型式と職人の関係だけです。それ以外に何もありません」
「あぁ分かってる、分かってるよ! でもだな、“ お前の型式になる ”、っつーことはだぞ? シロナのアレをお前は見ちまってるわけだろ!?」
「…… “ アレ ”? それってもしかして胸のことですか?」
「あぁそうだ」
その疑問を聞いたコウは、今度は完全に呆れた顔でハァ、と大きく溜息をつく。
「仕方ないじゃないですか……。僕は 【 マスター・ブラ 】 ですよ? 女性のお客様のブラを作るのが仕事なんですから。それにシロナだけじゃなく大勢の女性のバストを今まで見てきていますが、そういうやましい気持ちで見てはいませんよ。正直、かなり心外です」
「本当かよっ!? 信じられねぇ!!」
シュウが驚愕の表情を露にする。
「お前、あれだけ多くの女の胸を散々見てきてよ、本当に一度もそういう邪な考えを持った事が無いってのかっ!? 神に誓ってそう言えるのか!?」
するとコウはなぜか急に顔を赤らめる。
「す、すみません。やっぱりいました……。ただ一人、例外の方が」
そこでまた大きな溜息が出たが、今度の溜息の主は、コウではなくシュウだ。
「あーあ、“ 誰だ? ”って聞くまでもねぇな……。そいつはどうせ久住理子なんだろ?」
「ハイ!!」
子供のような純粋な笑顔でコウが頷く。
「つーことはお前、久住理子の裸をもう見たってことか?」
「えぇ。……とはいっても拝見したのはまだ上半身だけですが……。どうしてもリコさんに最高のブラを作ってあげたくて、武蔵と協力して少々強引にリコさんのバストを採寸したことがあったんです。その時に」
「なるほどな……。で、久住理子の裸を目の前で見て、お前は生まれて初めて興奮したっつーわけか」
「い、いえ…、興奮した、というかその……」
「なんだよ?」
「実は……」
コウは髪に手をやりながら更に顔を赤らめる。
「リコさんのバストをすぐ間近で初めて見た時、何というか、今までに全く体験したことのない感情が、身体の中心から突き上げるように湧き上がってきたんです。それで口では説明できないその抑え切れない昂りを、リコさんに気付かれないように平静を装うのがかなり大変だっただけですよ」
「ババッ、バカ野郎っ!!!」
それを聞いたシュウの顔も同じように赤らむ。
「いっいい年して盛ったガキみてぇなことを言ってんじゃねぇよ! 聞いてるこっちが恥ずかしくなってきただろうがっ!」
「なっ、何ですか! 元はといえばシュウさんがシロナとの事で妙な邪推をするからじゃないですかっ!」
「あーそうだそうだ悪かった悪かったっ!! つまりお前は久住理子の素っ裸を見て股間の大砲が火を噴いちまったってわけだな! はいご苦労さんっ!!」
「な…っ! シュウさんっ! そんなデリカシーの欠片もない言い方をしないで下さいっ!!」
相当頭に来たのだろう、いつもは臆するシュウを相手にコウが声を荒げて反論する。
「ただ僕はリコさんの胸がすごく綺麗だなぁと心から思って! そうしたら急に “ 特濃ミルクプリン ” がむしょうに食べたくなって! それを買いに行っただけですからっ!!」
「おま、そんなモン買いに走ったのかよ……!?」
「ハイッ!!」
片や弾けんばかりの嬉しさに満ちた表情で、片やこれ以上ないくらいのドン引きの表情が見事なコントラストだ。
「食べてみたら雪のように真っ白で、ほんのりと甘くって、口当たりもひんやりしていてとても滑らかで、リコさんのも口にしたらこんな感じなのかなぁって思ったら余計に美味しかったですっ!!」
「……俺よりお前の方が数段デリカシーねぇよ……」
苦虫を噛み潰したような表情でシュウが呟く。
しかし当の本人は「僕、何かおかしなこと言いましたか?」といたって涼しげな顔だ。そして更に、
「そうそう、そのミルクプリンの事を武蔵がリコさんに話したらしいんですよ! それでその時の様子を武蔵の内蔵記録で見せてもらったんですが、 “ 最低っ!”って叫んで真っ赤になって怒っているリコさんがものすごくキュートでした!」
と、止めの台詞をつける。
「はぁ!? そんな罵声を浴びせられて喜べるお前の神経がすげぇよ! どれだけ鋼鉄な心臓を持ってるんだお前は!?」
「だって本当に可愛かったんですよ! ここに武蔵がいたらシュウさんにもそのメモリーを見せてあげたいぐらいですっ!」
コウがこれでもかというほどの生き生きした声で答える。どうやら理子への熱い想いを語るうちに、かすれ声もほぼ治ったようだ。
「一生やってろバカ」
天然男から背筋がむず痒くなるような事を次々に聞かされたシュウの顔は赤みを帯びているが、肌の色が浅黒いので目立ちにくいのが幸いだ。
そしてようやくその色味が引いた頃、シュウはコウの左肩に手を乗せる。
「……話を戻すが、お前、シロナの髪の色をまだ覚えているか?」
一瞬の間を置き、「は、はい」と相槌を打ったコウの表情が一気に硬くなった。それを横目にシュウは言葉を続ける。
「俺はあの色が好きだった。だがあいつはあの色を捨て、お前とよく似たその色に変えちまったよな?」
「…………」
二度目の相槌は打てなかった。
水に濡れたような美しい黒色の髪をなびかせて凛と立つ、過去のシロナの後ろ姿が記憶の底から甦り、コウは口をつぐむ。
一方、返事が戻ってこない事は予め分かっていたかのような間で、シュウは次の問いを続けざまに発した。
「シロナはお前の事を好きだ。コウ、それはお前も薄々分かっていたんだろう? 正直に言ってくれ」
「…………」
三度目の相槌も、打てない。
無言で左肩に乗せられたシュウの手から視線を逸らすと、その瞬間、掴まれている肩に強い力が込められたのが分かった。
「やっぱり分かっていたんだな……。だからもしお前が俺のために妙な気を使ってシロナを退けていたのなら、俺はお前を、そして何より自分自身を許せなくなる。それでさっきはついヒートしちまった。済まない」
「シュウさん、僕は…」
無言のままでいることに耐えられなくなったコウが言葉を発すると、
「いや最後まで聞いてくれ」
シュウがコウの言葉を遮る。
「俺の気持ちなんてどうでもいい。俺はあいつに幸せになってほしい。ただそれだけなんだ。だがお前が俺のこの本音を聞いても、それでもシロナの気持ちに応えられないというのなら、それは仕方の無いことだ。それならお前に代わって、俺があいつを幸せにしてやりたいと思う。あの場所で共に生きてきた仲間としてもな。だからお前の本心を知りたかった」
コウは伏目がちに、左肩に置かれたシュウの浅黒く大きな手に視線を戻す。
「……僕もシロナには誰よりも幸せになってほしいと思っています。その思いは今も変わりません。でも僕ではシロナを幸せにすることはできません」
「それは久住理子がいるからか……?」
シュウがボソリと呟く。
「はい」
コウは静かに、だが力強く頷いた。
「僕がこの手で幸せにしたいと思う人はあの女性だけなんです」
コウの想いを聞き、シュウがフッと笑みを漏らす。
「すげぇ決意だな、おい。お前もいよいよこれで男色家から完全に卒業ってことか」
「だっだから僕はそんな趣味はないですってば!!」
「ん…? 待て、連絡が来た」
シュウは鼻の頭を軽くこすると耳殻に手を当て、素早く伝送路を繋ぐ。
「おう。どうだ、終ったか?」
数秒間の沈黙。
そして相手の返答を聞いたシュウはわずかに眼差しを伏せ、つい先ほどまでの激昂ぶりからは想像できないほどの穏やかで優しげな表情を浮かべた。
「……そうか、お前の気が済んだんならそれでいい」
そしてコウに向かって片手を上げ、 “ もう少しだけ待っていろ ” というジェスチャーを送る。
「礼なんていい。それに礼を言うくらいなら今夜こそ朝まで付き合えよ。昨夜のリベンジといこうぜ? ………あ!? う、うるせーな、髭なら今日はちゃんと剃ってるっつーの! 任務に忠実なんだよ俺は! で、どうなんだ今夜? ………ハハッ! 相変わらず容赦ねぇなぁ! ま、お前のそういう気の強いところがたまんねぇから別にいいんだけどよ。……ん? あぁ、そうだな。向こうに戻ったらまた連絡よこせ。じゃあ後でな」
通信が終ったようだ。
コウは「シロナからですか?」と尋ねる。
「あぁ。向こうの話は終ったようだ。久住理子がいるポイントを教えるからすぐに行ってやれ。そこで待っているみたいだぞ」
「リコさんが僕を!? ホントですか!?」
「シロナがそう言ってるんだ、間違いないだろうよ。今まで足止めして悪かったな。気をつけて行けよ」
「ありがとうございますシュウさんっ!!」
「久住理子によろしくな」
「はい!!」
( リコさん今行きますっ! 待ってて下さいっ! )
理子のいる場所の情報を入手したコウは風のような速さで雑木林を後にする。
後は一刻も早くそこへ駆けつけ、憎きヨバイとやらの行為から大切な理子を守るだけだ。