Sweet fish ! ⇒ Sweet drink !? <15>
「……いつもそうだった」
視線をリコにゆっくりと移し、寂しさの滲んだ声でシロナが言葉を紡ぐ。
「コウに気持ちを伝えようするとね、その度にあの子は私のことを必ず “ 姉さん ” って呼ぶの。きっと、あの子なりに牽制しているんでしょうね。私を姉と呼ぶ事によって、恋愛対象としては見ていないってことを暗に伝えるために。人の顔色を伺ってばかりいる子だったから、そういう空気を読むのは得意なのよ」
シロナの過去の告白を横で聞いている理子はいたたまれない気持ちになっていた。
自分もコウが好きな立場だからこそ、どんな顔をしていいのかが分からない。そしてどのような言葉をかけるべきなのかも。
「あっあの……」
思わず言葉を発したが、やはり後に続く言葉が見つからない。気まずさで視線を下に落とす。
しかし俯いてしまった理子にシロナは大きく笑いかけた。気にしないでね、といいたげな表情で。
「実は私ね、今まであの子を男色家だと思ってたのよ。だから好きになっても報われないと諦めてたの。でもコウに好きな女の子が出来たって聞いて、どうしても会いたくなった。あの子が好きになった子をどうしてもこの目で見てみたかったの」
ふと優しい感触を感じて顔を上げる。すると自分の頬にシロナの指がそっと触れていた。
「……でもこうしてリコに会って納得したわ。コウがリコを好きになっちゃったの、今はよく分かるから」
恥ずかしさで何も言い返せない。
真っ赤になって再び俯いてしまった理子に、シロナは穏やかな声で、
「ね、リコ。あなた、コウの事好き?」
と尋ねた。
「エェッ!? そそ、そんなこと急に聞かれても……!」
どもり、恥らう理子の様子を見たシロナは安心したように微笑む。
「ふふっ、その顔を見せてくれたら充分っ!」
シロナは組んでいた脚を外すとベンチからスッと立ち上がり、小さく振り返る。
「リコ、コウの事頼むわね。あの子、自分から幸せを掴もうとしない子だから……。でもきっとリコならあの子を幸せにできるわ。なんたってあなたはコウの “ No,0 ” なんだもの!」
── それを聞いた瞬間、胸の中心が震えた。
“ No,0は最優先の別名です No,1よりも更に前という意味合いで使います ”
そう教えてくれた時のコウの笑顔を思い出す。
コウは誰よりも大切な存在の人間に与えるNo,をくれた。それなのに、それなのに私は──。
「話はこれだけ! ごめんね、勝手なことして。お友達のところに戻ってあげて。私も帰るから」
シロナがベンチから一歩足を踏み出す。
「まっ、待って下さいっ!」
理子は慌ててベンチから立ち上がり、叫んだ。
「じゃあシロナさんは昔からずっとずっとコウの事が好きだったんですか!?」
「……ずっと、ではないわ」
振り返らずにシロナが答える。
「昔はそういう感情全然無かったし。だってコウと初めて出会った頃、あの子まだ小さかったもの」
( 小さい頃のコウ…… )
幼い頃のコウを知っているシロナに少しだけ嫉妬心が湧く。シロナが知っていることを自分も同じように知りたい。知っておきたかった。
「コウは小さい頃どんな子だったんですか……?」
「いつも寂しそうで希望の無い顔をしてたわ。ほっとくと部屋の片隅でいつまでも一人ぼっちで膝を抱えているような子だったの。だから私が守ってあげなくっちゃ、って思ったのよね。今思うと、あの儚い姿に母性本能が刺激されたのかもね……」
寒風がシロナの長い髪を大きく揺らす。
頭頂部をまとめていた紐に手を伸ばし、シロナはそれを器用に片手で外した。即座にポニーテールが解け、長く、そしてコウによく似た紅い髪がフワリと宙を舞う。
「でも月日が経ってふと気付いたらいつの間にか背は抜かされててさ、見かけも段々男っぽくなっていって。昔一度だけコウに助けられたことがあったんだけど、私の前に立って危険から庇ってくれたコウの背中を下から見上げたあの時に、多分私の中の恋愛スイッチが入ったんだと思う」
風になびく長い髪、スラリとした後姿。
そんなシロナの美しいシルエットを見た理子は、本当に綺麗、と内心で感嘆の溜息をつく。
どうしてこんなに綺麗な人をコウは好きにならなかったんだろう──。
そんな疑問が胸を駆け抜ける。
プロポーションでも完全にシロナに負けている自分がどうしてコウに好かれているのか分からない。そんな理子の小さなコンプレックスが大きな不安を呼び寄せた。
「あ、あの……」
「何?」
「あの…、今はコウの事を……、もう何とも思っていないんですか……?」
不安が引き寄せたその問いに対し、シロナは陽気に答えた。
「うん、多分! 元々もう半分以上諦めてたしね。それにこうしてリコに会えたんだもん、これで完全に吹っ切ることできそう!」
その暖かい返答と、裏表を全く感じさせないシロナの笑顔が理子の不安をかき消してゆく。
「だから今回の事でコウを嫌いにならないでね?」
「は、はいっ!」
「良かった~! これで私も安心して帰れるわ! じゃあ今からコウをこっちに呼ぶから!」
「コウを!?」
理子の心臓が早鐘のように鳴り出す。
だが、 “ 早くコウに逢いたい ”、そう願う少女の一途な気持ちを、またしてもシロナが乱しまくる。
「あっそうそう! もう一つ言いたい事があったわ! あのねリコ」
「はい?」
「私まだ完全に理解できてないんだけどさ、修学旅行ってヨバイするんでしょー? それって学校の大切な行事かもしれないけど、リコは絶対ヨバイの行事に参加しちゃダメだからね?」
「ヘ!?」
あまりにもぶっとんだその発言に理子は目を剥く。
「よ、夜這い!? ちょっ、なっなんですかそれ!?」
「だって夜になったらムラムラした男の子たちがリコの身体を求めて皆で一気に襲いに来るんでしょ? だからコウはヨバイする男の子たち方からリコを絶対に助けるって熱くなってたわよ?」
「なななな……っ!」
ついに我慢も限界だ。理子は今日一番の大声をこの旅行先で叫ぶ事となる。
「修学旅行はそんなことしませぇぇ──んっっ!!!」
今度はシロナが驚く番だ。
「ええっそうなのー!? でもそれなら早くコウの誤解を解かないと! あの子、かなり思いつめてたわよ!?」
「たたた、大変!! 早くコウを見つけないと!! コウは今どこにいるか分かりますか!?」
「もちろん! っていうかね、先に私がリコに会いたかったから、仲間の手を借りてコウを一時足止めしてるの。だから今コウを急いでこっちに寄越すように連絡しておくわ。リコはこの辺りで待っててくれる?」
「分かりました!」
「ありがと」
シロナはニッコリと笑うと別れの台詞を口にする。
「リコ、今日は会えて嬉しかった。コウのことよろしくね」
「ハイッ!」
今は全てのわだかまりが消えた理子も、いつも通りの元気な声で同じように笑顔を返すことができた。
シロナが去り、理子はそわそわした気持ちでその場に留まる。今の心境ではコウの顔を見た瞬間、夜這いの誤解を解く前に思わず告白してしまいそうだ。なので念のために、
『 好きと言う前にまず夜這いの誤解を正す! 』
というキャッチフレーズを脳内の片隅に急遽作成しておくことにした。
そっとコートのポケットに手を入れ、先ほど手に入れたコウのひたむきな願いが書かれた絵馬をしっかりと握りしめる。
片隅に武蔵のイラストが描かれたシュールな絵馬は、理子の手のひらの体温でほんのりと温かみを帯び始めていた。