コウの秘密 <2>
……ひたすらにリカイフノー。何言ってるのかワカラナイ。日本語だったけどワカラナイ。
まったくもって意味不明な電波混じりの今の言葉。
最初は自分をからかっているのかと思ったが、目の前のコウの顔は相変わらずの真剣な顔つきだ。それに元々冗談を言うようなタイプにも見えない。
「急にこんな事を話して信じてください、と言っても難しいことは十分に分かっているのですが……」
コウはさすっていた手を静かに離し、心を落ち着けるためか一つ大きく息を吐く。
「リコさん、これから僕の事をお話ししますから聞くだけ聞いていただけますか?」
「う、うん」
とりあえず頷くと、コウは「まずは僕の職業からお話します」と前置きし、池の方に視線を移すとゆっくりと語りだした。
「僕は “ マスター・ファンデ ” という職業に就いています」
「ますたー・ふぁんで?」
「はい。簡単に言うと、女性用下着を作成する請負人です」
── 初めて聞く職業だ。
「リコさん、僕のいる時代はこの時代と違って、女性下着の類は既製生産ではなく、それぞれの請負人、つまり僕らマスター・ファンデが受注する、 ハンドメイドの時代になっているんです。だからすべての女性は自分の身体にジャストフィットした、請負人名入りの注文下着を身に着けています。僕、この時代のショップや雑誌を色々と見てみましたが、やはりこちらの下着に対する意識はまだ少々遅れていると思いました」
長々と饒舌に自分の職業を語り出したコウの目は、自信に溢れ、とても生き生きしている。そしてそんな横顔に思わず話そっちのけで見惚れてしまっている乙女が一人。
「僕の家は祖父の代からの女性下着専門店なんです。家族でそれぞれファンデーションの製作を分担しています。そして僕はその中でも主にブラを専門に作るので、【 マスター・ブラ 】とも呼ばれています」
── もしかしてここって笑うところ?
と内心で思う。
そして、バストサイズを詳しく測ってフルオーダーで作るブラの会社があるという話も聞いたことがあるなぁと頭の片隅で考えた。
これで昨日女性下着のページを熱心に見ていた理由も一応は判明したような気もする。
コウがブラに携わる仕事をしているのはたぶん事実なのだろう。“ 未来から来ましたウンヌン ” は、冗談として。
二人の足元で暇を持て余したヌーベルが、コウの膝の上に乗ろうと足元でジタバタし始めている。
「おいで」
コウは一旦話を切り、ヌーベルを抱えあげると膝の上に乗せる。そして昨日のように優しく頭を撫でてやった。
「本当に可愛い犬ですね。名前はなんていうんですか?」
「ヌーベルっていうの」
「そうですか。よろしく、ヌーベル」
名前を呼ばれたヌーベルはコウの体に顔をこすりつけ、ふさふさした尻尾を可愛らしく振り続ける。人見知りの激しいヌーベルがコウに懐いているのを見て、理由は分からないがわけもなく嬉しくなった。
「犬ってこんなに可愛いんですね。知りませんでした」
「コウは犬、飼ったことないの?」
「えぇ、家の仕事の関係で動物は飼ってもらえませんでした」
おとなしくなったヌーベルは心地よさそうに目を閉じ、コウの膝の上で眠りだそうとしている。コウは小さく息を吐くと再びベンチに背を預けた。
「……ここは本当に素晴らしい所ですよね」
その声にはしみじみとした思いがこもっている。
「周りは緑の自然が一杯残っているし、動物も多い。居住地を選択する自由もあるし……」
理子の住む地域は首都の近郊に位置する地域で、お世辞にも決して緑が多い地域ではない。むしろ少ない方だ。しかしこの状態の街でも「緑が多い」と言うコウに理子は違和感を覚えた。
── コウって今までどんな所に住んでいたんだろう?
そう思った時、不意にコウは理子の方に大きく向き直る。
「リコさん。ここまでの僕の話は信じていただけましたか?」
「へ? コウ、今までの話って半分は冗談でしょ? 」
初めてコウの顔に穏やかな笑顔以外の不満げな表情が浮かぶ。
「違います!」
「ううん、絶対に嘘だ!」
「嘘ではないです!」
「ううん、確かにブラのお仕事はしているんだろうけど、でも “ 未来から来た ” っていうのは作り話でしょ!?」
「だから違います! どうして信じていただけないのですか?」
「じゃっ、じゃあ証拠見せてよっ!」
「証拠?」
「だってそんな話だけじゃ信じられるわけないじゃない!」
段々口喧嘩の様相を呈してきた。
「証拠ですか……」
眉根を寄せ、コウは考え込み、
「そう、証拠!」
と畳み掛ける理子。
「……間違いなく信じていただける証拠はあるのですが、残念ながら今、彼とは別行動中でして」
「彼って?」
「僕の家族です。名は武蔵といいます」
あの宮本武蔵から取った名なんですよ、とコウの追加説明が入る。
武蔵。未来の人間にしてはこれまた随分古めかしい名だ。
「どんな人なの、その武蔵って人?」
コーヒー缶を弄びながらコウはまたしばし考え込む。
「そうですね……一言で言えば信義に厚い、男らしい男ですよ。ただちょっと口が悪いのがたまに傷ですが」
脳内にゴツくてガサツで「ガハハハ」と大口で下品に笑うような毛むくじゃらの大男が浮かんだ。もしこのイメージ通りなら、理子のタイプからは一番程遠い男性だ。
「分かりました。では武蔵が戻ってくるまでこの問題はお預けにしておきましょう」
これ以上議論しても進展は無いと判断したのだろう、コウは自らそう言い出した。
未来から来た、という作り話は突飛すぎて面白くはなかったが、少し言い合いをしたせいで、お互いの間に昨日まであったぎくしゃくした雰囲気が無くなっている。
「晴れてきましたね」
段々と霧が晴れだし、目の前の池に再び朝日が降り注ぐ。水面に乱反射する光に襲われたのか、コウは顔の前に手をかざした。
明るさを取り戻してきた公園内。気配を消し、少し離れた木陰からずっと二人を見ていた一人の男が静かにその場を去ってゆく。
「ところでお時間の方は大丈夫ですか?」
「だっ、大丈夫! 今日いつもより早く来たし、まだ時間あるから!」
せっかく打ち解けてきたところなのにここで帰るのはもったいない。焦った理子は話題を探す。
「コ、コウの好きな食べ物って何?」
そのあまりのテンプレート的な質問に、口に出した後でへこむ。
ばったり道で知人にあった時に話し出すきっかけとして「きょうはいい天気ですね」と言うようなものだ。
「好きな食べ物ですか?」
コウは顎に手を当てて唸る。
「うーん…………たい焼きのしっぽですね」
「た、たい焼きのしっぽ!?」
まさか一番に菓子系を出してくるとは思わなかった。しかもたい焼きのしっぽときている。
「えぇ、あの尾の部分の優しいほのかな甘さが安心するというか……。あの部分がうまく中和しているんですよね、強烈な餡子の甘さを」
そんな激甘なコーヒーを飲んでいるくせに「ほのかな甘さがいい」なんて言うのがおかしかった。
「あと和菓子も好きです」
次に挙げてきたのもまた菓子系だ。相当な甘党らしい。
「うん、和菓子、美味しいよね。コウが一番好きな和菓子って何なの?」
即座に戻ってくる返答。
「ニヒル・ピンクですね」
「は?」
「あ、すみません……。えっと何て名前でしたでしょうか……、あぁ、度忘れしてしまったようです。薄いピンク色で、す……、す……。確か、 “ す ” がついていたような気がするのですが……」
なんとかその和菓子名を思い出そうと、コウの左足はタンタンとリズムを刻み始める。
「……もしかして、すあま?」
「あぁ、そう、それです!」
理子の口から喉元まで出掛かっていた言葉が出てきたのでコウはスッキリとした顔で頷く。
「なに、その、ニ、ニ、……なんだっけ?」
「虚無的な桃色です。僕の時代では日本語しか名称の無いものには二つ名がつけられているんですよ」
この作り話をまだ続けるのかと少々呆れてきたが、そこまで言うなら突っ込んでみることにした。
「じゃあ大福はなんて言うの?」
「大福ですか? 内包する雪肌です」
驚いた事に即答してきた。
「……ふ、ふぅーん……すごいんだね……」
「武蔵が来なくてもこれで少しは信じてもらえましたか?」
「た、たい焼きは?」
見たそのままの名ですよ、とコウは笑う。
「見たそのまま……? スウィートフイッシュ?」
「いえ、小麦の魚皮です」
「へぇ……」
とにもかくにも驚いた。ただしこの作り話の綿密さに、だ。
「じゃ、じゃあ次の質問ね!」
どうせならとことんテンプレートな質問で押してみることにする。
「嫌いな食べ物は?」
「うーん、嫌いなものですか……。辛いもの、ちょっと苦手かもしれないです。食べられますが」
甘いものがそんなに大好きなら当然なのかもしれない。
「じゃあ次は好きな色っ」
「ダークグリーンですね」
「嫌いな色は?」
「レッド、でしょうか」
その答えを聞き、思わずコウの髪の毛を見る。コウは理子の言いたいことがすぐに分かったようだ。
「この髪、目立ちますよね」
「うん。赤が嫌いなのにどうして髪の毛を赤くしているの?」
しかしコウはその質問には答えず、温厚な笑みを見せる。
「……なんだか僕個人の質問ばかりですね。今度は僕からさせて下さい」
質問者の立場になったコウは 「好きな色は何色ですか?」と訊ねる。
理子は元気に「黄色!」と答えた。あぁ、分かります、とコウは頷く。
「どうして?」
「理子さんは、太陽のようにはつらつとして元気がいいですからね。黄色のイメージを持ってました」
「次に聞くのは嫌いな色でしょ?」
「いえ、違います」
「違うの?」
「はい」
てっきり自分と同じ質問を続けると思っていたが、違うようだ。
コウがベンチの上で急に居住まいを正したので、眠っていた地盤が大きく揺れ、何事かと驚いたヌーベルが起きぬけに一つくしゃみをする。
「あ、すみません、ヌーベル。起こしてしまいましたね」
憤慨したのか、ヌーベルはガサゴソとコウの膝の上から降り、今度は飼い主の元へとよじ登る。理子はヌーベルを抱き上げ、膝に置くと「じゃあ質問はなに?」と問い返した。
コウは理子の胸の辺りにスッと視線を落とす。
「リコさんのバストってサイズで言えばBの65でしょう?」
「えぇぇっ!? なっ、なんで分かるのっ!?」
ズバリと自分のサイズをコウに言い当てられ、慌てて自分の胸を両腕でガードする。
「服を着ていたってそれぐらいなら分かります。僕、マスター・ブラですよ?」
「…………」
真っ赤になった理子に、コウが軽くフォローを入れる。
「リコさん、別に恥ずかしがることなどないですよ。僕は仕事で大勢の女性のバストを見てきているのですから」
何気ないそのコウの一言に乙女の胸がズキン、と一瞬だけ強く痛んだ。この痛みは少しも心地良くない。
「あの、よろしければ今度僕にブラを作らせてくれませんか? ヌードサイズを測らせていただけたら、リコさんのバストにピッタリとフィットするカップで最高のブラをお作りします」
「い、い、いいってば! いらないっいらないっ!!」
全力で、もうこれでもかというぐらいに拒絶する。
自分の胸の小ささにコンプレックスのある理子にとっては、万一コウに見られたら恥ずかしさできっと悶死してしまうだろう。
理子に激しく拒絶されてコウは残念そうな表情を浮かべたが、それ以上無理強いはしてこなかった。
ただ代わりに。
「失礼します」
と言うや否や、コウは理子の胸に両手を当てた。ご丁寧に手でカップの形を作ってだ。細くて長い指があまりご立派ではない理子の両胸をパーカーの上から優しく覆う。
鳩尾のすぐ上の部分からほんのわずかだけふわりと持ち上げられるような感触。
とくん、と胸が震えた。
女性の体に触り慣れた感のあるその動きはあまりにも自然で、不覚にも叫ぶ事を完全に忘れてしまう。
「目視だけでは少し自信が無いのでカップの形をハンド採寸させていただきました。後は念のためにアンダーとトップを測らせて下されば、早速リコさんに似合う素敵なブラを作らせていただきます。ご遠慮なさらないで下さいね」
胸から両手を離し、穏やかに笑うコウ。
その台詞でハッと正気に戻る理子。
「ひぃゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――ッ!!」
乙女の絶叫の二秒後、霧が晴れた公園内に昨日とまったく同じ打音が高らかに響く。
その音に朝の散歩を終えて自宅に戻ろうとしていた芝田大吾は足を止めた。
「おぉ、あのお嬢さんがまたやりおった……! ケンカするほど仲が良い、とは言うが、 いやはや、最近の若いモンの愛情表現はなんとも過激なもんじゃなぁ……くわばらくわばら」
理子の放った見事な平手の横一閃を惚れ惚れと眺め、芝田老人はほっほっと楽しげに肩を揺らしつつのんびりとその場を去っていった。