Sweet fish ! ⇒ Sweet drink !? <6>
渇望の一夜がようやく明け、『 理子を待ち伏せてシロナとの誤解を解こう作戦 』 がいよいよ開始される。
久住家の近くにそびえ立つ一本の電柱脇がその始まりの場。
緊迫した面持ちで電柱の影に身を潜めるコウに対し、その背後に控えるシロナは緊張感0でかなり不機嫌な様子だ。
「ねむ~いっっ!!」
その場で大きく伸びをし、シロナは怒りを前方にぶつける。
「もうっ、コウの裏切りのせいで昨日はほとんど眠れなかったじゃないの! 寝不足は美容の大敵なのよ? 曲がりなりにも女性下着請負人であるあんたなら、その辺の大切さを知らないとは言わせないからね!?」
「いや、それは勿論分かるけど……」
シロナのヒステリーを背面に受け、久住家の監視のみに精神を集中したいコウは迷惑そうに顔をしかめる。
「結局は全部シロナが悪いんじゃないか」
「なーんであたしのせいなのよっ! じゃあコウはさ、私があの野獣の欲望の赴くままに弄ばれても良かったっていうの!?」
「だからシュウさんのことをそんな風に言ったらダメだって言ってるだろ? あの人はガサツなように見えても意外とデリケートな所があるんだからさ」
「なぁーにがデリケートよっ!」
シロナは頭を大きく二三度振り、自分の二の腕を掌で抱え込むと心底おぞましそうに叫ぶ。
「あいつは野獣よっ!! 正真正銘のケダモノよっ!!」
「何もそこまで言わなくても……」
「いいから黙って聞きなさい! 昨日あんたは忙しそうだったからさ、先に寝かせてもらおうと思ってベッドに入って電気を消したのよ! そしたら急にフッと嫌な気配がしてパッと目を開けたら、顔のすぐ前にあいつの顔面があったんだからーっ!!」
「別にいいじゃないか。あっちじゃなかなかシロナと二人っきりになれないって愚痴をこぼしていたからさ、ここぞと思って家に来てくれたんだろ。ありがたいと思いなよ。そんな事より少し静かにしててくれよ。リコさんが出てきたら先に見つかっちゃうだろ」
「そんな事とは何よ!? 今大事な話をしてるのよ!?」
自分の訴えを真剣に聞こうとしない態度に業を煮やしたシロナが、背後からコウの左肩を力任せに掴む。
「大体ねっ、私があいつに強引に襲われそうになってるのにコウもコウよっ! シュウと家の中で鉢合わせした途端に引きつった笑顔を無理やり浮かべてさ、『僕、席外しますんでどうぞごゆっくり』って何なのよっ!? 挙句に私を置き去りにして勝手に外にまで出て行くなんてあんまりじゃない!」
寝不足の苛立ちもあってか、シロナはコウの背後で延々と喚き続ける。
「ねぇシロナ……」
久住家の玄関先を凝視していたコウは呆れた様子で仕方なく後方を振り返った。
「シロナとこの話題、もう何年してきてると思う? 何度も言うけどさ、シロナがシュウさんの気持ちにいつまでも応えないからいけないんじゃん」
「だから私も何回も言ってるでしょー! どーして私が、あのシュウと一緒にならなきゃいけないのよぉー! 理不尽よ! 理不尽すぎるわよ!」
とうとう口撃だけでは物足りなくなったらしい。興奮しきったシロナは、先頭にいるコウの身体を八つ当たり気味にグイグイと押し出した。
「ちょっ!? あんまり押さないでくれよ! リコさんが出てくる前に気付かれちゃったら困るんだからさ!」
「うるさぁーい! この裏切り者ぉーっ! あんたのせいで危うく犯されるとこだったじゃないの!! しかもシュウに『ストーカーぶるのもいい加減にしてよ!』って怒鳴ったらさ、あいつメチャクチャ怒ってたわよ!?」
「えぇ!? どうしてさ!?」
「そんなの知らないわよっ! コウにそう言えって言われたんだって教えたら、『今度会ったら覚悟しとけって伝えろ』だってさ!」
「う、嘘だろッ!?」
コウの顔面が一気に蒼白になる。その焦りの表情を見て幾分胸がスッとしたのか、シロナは急に態度を豹変させ、「んふっ、嘘じゃないわよぉ~?」と白い歯を見せる。
「あんた、リコの話を勝手に勘違いしちゃったんじゃなーい? シュウのあの激怒っぷりじゃ、そのストーカーって言葉、この時代ではすっごく悪い意味で使われているんでしょうね。あ~あ、シュウをあんなに怒らせちゃって、私知ぃ~らないっと!」
「シュ、シュウさんが激怒……?」
自分の運命にかなりの高確率で危機が訪れていることを感じたコウは、顔面蒼白のままでシロナに手を合わせた。
「シロナお願い! 頼むから早くシュウさんを受け入れてくれよ! そうすれば僕も助かるかもしれない! だから本当にお願いしますっ!」
拝み倒すような勢いで自分に手を合わせるコウから目線を逸らし、眦を吊り上げたシロナはその場で大きく腕を組む。
「絶対イヤよ!!」
「そこを何とか!!」
「イーヤーでーすぅー! 何と言われても絶対にゴメンですよぉーだ!」
紅色に染まる長い髪が、拒絶の言葉に合わせてタイミング良く左右に揺れる。シロナの態度が頑として変わらないため、コウはハァと深い諦めの溜息をついた。
「……分かったよ、もう頼まない。おとなしくシュウさんにまたいたぶられるさ」
「そうね、そうしなさい。あんたの自業自得なんだから」
無情にもそう一刀両断で切り捨てられたコウは一瞬沈黙したが、「……そんなにシュウさんが嫌ならさ」と素っ気無く言い放つ。
「いっそのこと誰か他にいい男を見つけて付き合うか、さっさと結婚するかしてくれよ。散々焦らしまくった挙句に結局捨てるぐらいなら、いい加減にあの人に引導を渡して自由にしてやってほしい」
「ちょっと待ちなさいよ! 焦らすって何!? なんで私があいつを誘惑して束縛してるみたいなカンジになってんの!? それにシュウから逃れるためだけになんで私が無理やり男を見つけて付き合わなきゃいけないのよ!? 断然おかしな話じゃない!!」
「あのさシロナ……」
とコウは口を開きかけたが、続きの言葉を紡ぐ前に素早く横目で久住家の玄関を再チェックする。そしてそこに何も動きが無い事を再確認すると、真面目な表情でシロナに向き直った。
「シロナは知らないだろうけどさ、いい機会だから言うよ」
「何をよ?」
「シュウさん前に言ってたよ。“ もしあいつにいい男ができたらその時は俺もすっぱり諦める ” って。シロナには幸せになってほしいんだって。自分はそれだけが望みなんだってさ」
「エ……?」
それを聞いたシロナの頬がほんの少しだけ朱に染まる。それを見逃さなかったコウがすかさず「あ、シロナ顔赤くなった」と突っ込んだ。
「ウソ!? なってない! 全然なってないってば!」
「なってるじゃん。シロナは今気になる男とかは特にいないだろ?」
「…………」
「それなら少しはシュウさんの気持ちを汲み取ってやっ……、なっ、何赤くなってんだよ!? まさか好きな奴がいるのか!?」
「…………」
「嘘だろ!? 別にいないだろ!?」
俯いたシロナの頬が完全に赤らんでいるのを見たコウが慌て出す。
「な!? いないよなっ!? いないって言ってくれよ!」
「な、何よっ、いたら悪いの!?」
「マジかよ!? 参ったな……」
シロナの返答を聞いたコウが大きく頭を抱えた。その反応が予想外だったシロナは大きく目を瞬かせる。
「なっ、なんで私に好きな人がいたらコウが困るのよ? だ、だって、あんたが好きなのはリ…」
「だってさ姉さん」
コウがシロナの言葉を遮る。
「もしその件も知られたら、ストーカーの件と合わせてシュウさんにまたいいだけ絡まれることが決定じゃないか。あの人の八つ当たりを毎回喰らう身にもなってくれよ。あーあ、もうやってられないよマジでさ……」
うんざり顔で返ってきたその答えに、シロナの表情が一瞬固まる。そしてその強張りが解けると顔を背け、一言だけ呟いた。
「……バカ」
誹謗されたコウは眉間に皺を寄せる。
「何言ってんだよ、バカはシロナだよ。言っとくけどね、シュウさんみたいに一途な男はそうそういないよ? 無精ひげを手入れしていないことはたまにあるけどさ、見かけだってそんなに悪くはないと思うし、第一あんなに強いしさ。逆に聞きたいけど、シロナはシュウさんの何が不満なんだよ?」
「べっ、別にシュウが嫌いなわけじゃないわよ。ただ…」
急に語尾が消えた。
「ただ? 何だよ」
「……やっぱりあんたには言わないっ」
シロナは顔を伏せてそう言い捨てると、はがゆそうにその唇を閉じた。