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Sweet fish ! ⇒ Sweet drink !? <5>



 現在の時刻は午前三時を回っている。

 傷心した理子がやっと深い眠りに入った頃、久住家に一人の男が現れた。

 冷たい夜風になびく赤髪が白い月明かりを受け、闇の中で鮮明に浮かび上がる。

 つい先ほど権田原家の中であるアクシデントが起こったため、深夜にもかかわらず屋外へと一時避難してきたコウであった。


( あの贈り物でリコさんは喜んでくれるかな……。僕の誠意をみせるためにもう少しプラスした方がいいんだろうか )


 遥か遠くで犬の遠吠えが時折聞こえる他は静寂に包まれている。

 コウは思いつめた表情で久住家を見上げると、出窓を上手く利用して一気に屋根へと飛び移った。そしてその場に腰を下ろし、深夜の満月を眺め始める。


( 早く朝になればいいのに )


 今の望みはそれだけだ。

 このすぐ下に理子がいるのに今は顔を見ることも出来ない。

 逢えないと分かっていてやって来たのに、いざこうしてその現実と向き合うと気分は大きく落ち込んだ。

 屋根の上でコウはしばらくの間何かを考えこんでいたが、やがて諦めたように吐息をつくと、久住家から去るために立ち上がる。

 口元からこぼれた溜息の白煙がワンテンポ遅れて後方へと消えてゆくのを見届けると、コートの裾を翻して一段下の一階の屋根へと飛び降りた。

 だが、続けて地面へと飛び降りようとした動作が止まる。理子の部屋のカーテンがわずかに開いていることに気付いたせいだ。


 一度はためらったが、理子に逢いたいという欲求には勝てなかった。

 帰りかけていた足を止め、窓に近づくとそっと室内を覗き込む。しかしカーテンの隙間がわずかだったため、理子の姿は見えなかった。コウは残念そうに窓硝子から身を離したが、内窓のある部分を目にし、「あれっ」と驚きの声を出す。


「鍵が開いてる」


 もう一度顔を近づけて確認してみたが、やはり鍵は開いていた。

 初めは無用心だなと思ったが、もしかして理子がまだ起きているのかもしれないという淡い期待が湧き起こり、恐る恐る窓を開けてみる。


「リ、リコさん、まだ起きてらっしゃいますか……?」


 カーテンをさらに開けて中に身を乗り入れる。するとベッドで羽毛布団にくるまって眠り込んでいる理子の姿が映った。それを見たコウは、安堵と失望が絶妙に入り混じった複雑な表情で、


「やっぱり寝ちゃってますよね」


 と独り言を口にする。だがこのまま帰る前にもう少し近くで理子の顔を見たかった。


「失礼します」


 と律儀にも挨拶の言葉を口にし、その場で靴を脱ぐと窓枠を乗り越えて室内に入った。

 フローリングの床に足が着いたその瞬間、背後の窓から強めの夜風が吹き込み、カーテンを大きくはためかす。そしてなだれ込む風の音と共に赤い髪が逆立った時、なぜか記憶の一部が突如として甦った。


「くっ……!」


 頭の中で何かがドクンと跳ねたような感触を覚え、コウは片手で額を覆った。凶暴に蠢こうとする何かを押さえつけようと掌に必死に力をこめたが、頭の中はどんどんとクリアになってゆく。

 やがて蒼い室内の中、驚愕するコウの瞳孔が勢いよく見開かれた。



( 僕は以前にもこの窓からこうして侵入したことがある! ) 



 鋭いノイズと閃光が脳内を駆ける。 

 今までは思い出せない記憶を無理に掘り起こそうとすると、いつもこのノイズのような砂塵が現れ、記憶の発掘を強引に妨害してきた。だが今は砂塵は一気に消失し始め、この部屋の光景と次々に重なってゆく。

 激しい頭痛ような痛みに耐えかねて目を強くつぶると、以前にこの窓から侵入した時の自分の革靴の先が脳内で鮮明に映った。


( あれはリコさん……!? )


 革靴の裏についた砂がフローリングの上で嫌な音を立てている。

 無断で部屋の中に侵入した自分に対し、理子は「来ないで!」と必死に叫んでいた。壁にまで逃げ、そこにぴったりと背中をつけてガタガタと脅えている。

 自分の目を通しての記憶なので、その時自分がどんな表情をしていたかまでは分からない。でも薄笑いを浮かべているような気がした。震え、青ざめる理子を見下し、いたぶるような表情で。


 記憶の映像はまだ終らない。

 理子の表情に脅えの陰が色濃くなってゆくのを楽しむかのように、わざと若干の間を置いて、一歩一歩距離を縮めてゆく。さらに大声で叫ぼうとする理子の口を無理やり塞いだ後、家族の安否を脅かすような暴言を耳元で吐き、抵抗を諦めさせるような卑劣な真似をしていた。

 革靴とコートをその場に投げ捨て、恐怖で身を硬くする理子を強引に抱き上げ、ベッドに押し倒す。自分のネクタイを乱暴に外し、「たっぷり可愛がってやるよ」とあざ笑う。止めてと必死に懇願する理子の両手を容赦なく縛り上げ、衣服を剥ぎ取ろうと手を伸ばし────、



 ── フラッシュバックはそこで唐突に止まった。



 半ば強制的に見せつけられた過去の記憶に、コウの口元から荒い息が途切れ途切れに漏れる。

 明け方に理子の隣で目覚めた時に見つけた引きちぎられたボタン。

 断片的にしか覚えていなかったあの夜の出来事が、今一本の忌まわしきストーリーとして完全に繋がった。


( 僕はあんな酷い事をリコさんにしていたのか? それなのにリコさんは僕を許し、僕の身体のことまで心配してくれた……? ) 


 顔を覆った手の隙間からかすかに見えるコウの瞳は、自分のしでかした罪の本当の大きさを知った動揺で大きく揺らぐ。

 室内に再び静寂が訪れ、まだ混乱が治まらないコウがその場に呆然と立ち尽くす中、熟睡する理子が小さく寝返りを打つ。

 その空気の動きで冷静さを取り戻したコウは、覆っていた片手をゆっくりと外し、窓から差し込む月の光に照らされて眠る少女を見つめた。理子の左頬には涙の跡がうっすらと残っていたが、その部分は枕に押し当てられていたためにコウは気付かない。


「リコさん」


 名を呼んでも理子は目を覚まさない。

 今ここで自分の気持ちを言葉にしても伝わらないのは分かっていた。

 だがコウはまるで強い磁力に導かれるかのようにその側に歩み寄ると、ぐっすりと眠り込む理子を見下ろし、敢えてそれを口にする。


「……僕は今まで女の人を好きになることなんて一生無いと思っていました。でもあなたを好きになって初めて分かったことがあります」


 そう告げると愛おしさのこもった眼差しで理子の右頬を優しく撫ぜ、覆いかぶさるように身をかがめる。そして理子の眠りを妨げないよう、触れるか触れないかの感触でその唇に軽く口付けをした。

 静かに身を起こして理子から離れると、コウは今にも泣き出しそうな歪んだ笑顔を浮かべ、振り絞るような声で言う。



「女の人を好きになるってこんなにも苦しいものなんですね」



 声を落とし、自身の胸の内を告白するとコウは名残惜しそうにその場から踵を返す。そして窓から出て行く前にもう一度室内を振り返った。


「おやすみなさいリコさん。明日は僕の話を聞いてくださいね……」


 その言葉の後、窓が音もなく閉められる。

 窓硝子の外では地面へと飛び降りたコウのコートが黒い羽のように広がり、コウが来た事など何も知らずに眠る理子を照らす月明かりを、ほんの一瞬だけ遮っていった。




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★ http://www.nicovideo.jp/watch/sm20163132

【 ★「Master Bra!」作品の、歌入り動画UP場所です↑ : 5分56秒 】


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