Sweet fish ! ⇒ Sweet drink !? <3>
「で、昨日仕事の合間にゼンさんの所に顔を出したんだけどさ」
シュウにまつわる話題をどうにかして変えたいシロナが、唐突にこの時代へ来た理由を話し出す。
「店にムサがいたからびっくりしたの。コウと一緒にこっちに転送してると思ってたもの。それでその時ムサが言ってたのよ。あんたがリコっていう女の子にベタ惚れして大変なことになってるってね。だからその子をどーしても見てみたくなったってわけ!」
強引な休暇取得の理由を知り、「シロナもヒマだね」とコウが呆れた声を出す。
「つまりはただの野次馬根性でここに来たってことか」
「ちょ、そういう身も蓋もない言い方は止めてよ! だってまさかあんたが女の子を好きになるなんて絶対にありえないと思ってたんだもん! そりゃあ私だって驚いちゃうわよ!」
そこまで言われて自尊心が傷ついたのか、コウの表情が少し曇る。
「何か酷い言われようだな」
「だってコウ目当てで大勢の女達がブラのオーダーに殺到してるのに、あんたってばぜーんぜん興味を示してなかったじゃない!」
容赦のない言葉の突撃がスタートだ。
「若かろうが年を取っていようが、どんな美人でも全く眼中無しって感じでさっ。どの顧客に対しても態度を変えずに、あくまでも 【 マスター・ブラ 】 として丁重に接していたでしょ? だから私、あんたは女に一切興味の無い特殊な性癖の男だと思ってたもん!」
「シロナ」
コウは物静かな動作で腕を組み、反発の意味を込めた冷ややかな視線を送る。
「……もしかして今まで僕が男色家だと思ってた?」
「うん! バッチリ思ってた!!」
「なるほどね……」
コウがわずかに苦笑する。
「失礼にもほどがある言い草だけど、でも確かに当たっている部分はあるかもな。シロナの言うとおり、どんなに綺麗な女の人でもそんな気持ちにまったくなれなかったのは本当だよ。一体どうしてなんだろうって実は自分でも疑問に思ってた」
「あら、その疑問だけなら簡単よ?」
シロナは数度瞬きをするとあっさりと言う。
「コウは昔から人との間にわざと壁を作っちゃうところがあるからね。しかも、無意識じゃなくて故意に。そうでしょ?」
自分の本能的な性質をズバリと言い当てられ、コウが沈黙する。
「それにあんたは心の底で女を蔑視してるとこがあるもん!」
「そっ、そんなこと無…」
「 いーえ! “ 無い ” とは言わせないわよっ!」
二度目の問いには反論しようとしたコウを軽く手で制し、シロナはその手をそのまま自分の腰に当てた。
「でもそうなっちゃった原因はさ、あんたが女性下着請負人なんて因果な職業を選んじゃったからだろうけどね……。だからそっちの件に関しては私もある意味同情してるのよ?」
シロナはそこで言葉を区切るとジャケットのポケットから紐を取り出し、それで素早く自分の髪を結わえだした。長い赤暗の髪が素早く頭頂部で綺麗にまとめられる。髪を結い終えると一度軽く頭を振り、シロナは再びコウを見据えた。
「だからさ、そんな性癖のあんたが好きになったっていうそのリコって子が、一体どんな女の子なのかすっごーく興味があるのよ! ムサに聞いたけど、とっても元気な女の子なんだって?」
「うん」
理子が持参した一石庵の紙袋にコウが視線を移す。
「とっても明るくて一緒にいるとすごく癒される女の子だよ」
「ねぇねぇ! その子ってもしかして私にちょっと似ていたりしない!?」
「シロナに?」
コウは驚いたようにシロナの顔を見つめる。そしてほんの少しだけ口元を緩めると、意外にもその発言をすんなりと認めた。
「……そうだね。見かけは少し違うけど、言われてみれば性格はシロナに似ているかもしれないな」
「へぇ、やっぱりそうなんだ! だって勝気な所が私に似ているってムサが言ってたし、それに…」
「あのさシロナ、ちょっといい?」
コウが急にシロナの言葉を遮る。
「何?」
「前から言おうと思ってたんだけど、武蔵のことを “ ムサ ” って呼ぶの止めてくれないかな」
「なんで?」
「相手がシロナだから武蔵も黙っているけどさ、本当はそう呼ばれるの嫌みたいなんだよ」
「何が不満なのよ? ムサって呼び方、ステキじゃない!」
「だからそれはシロナだけの価値観だろ? 武蔵はそうじゃないんだ。あいつは自分の名前に誇りを持っているところがあるからさ」
平行線を辿りそうな空気を感じながらも、コウは慎重に再度の説得を試みる。
「巻尺が自分の名前に誇り? それってすごくない?」
「事実だからしょうがないよ」
「でもそう言われてみたらなんとなく分かるかも! ムサってさ、電脳巻尺なのにミョーに人間臭いところあるもんね」
「あの名前が本当に気に入ってるんだよ。父さんがつけた名前だからなのかもしれないけど……」
かすかに俯き、表情を曇らせたコウが語尾を濁す。
「だけどさ、“ 武蔵 ” って名前、いかにもゼンさんらしい古風なセンスよね。あんたの名前もそうだしさ、それにほらっ、元々はコウの巻尺になるはずだったあの子! あの子も確かゼンさんが名前つけたのよね。なんだったっけ、名前?」
「琥珀だろ」
「そーそー、琥珀よ琥珀っ! あの子も考え方が妙に人間味なところがない? あんたに対しては特別な感情を持ってるみたいだし。それで思い出したけど、私、なぜか琥珀にすっごく嫌われているような気がするのよね。単に気のせいだと思う?」
シロナのその質問に、コウは複雑な表情を浮かべる。
「……多分、琥珀はシロナを自分の恋敵だと思ってるんだよ」
「えぇっ!? そうなの!?」
「琥珀が勝手に思い込んでるんだよ。僕は姉さんにそんな感情を持ってないのにさ」
苦笑によく似た表情でコウはそうはっきりと断定した。そしてその時、ふと視界の片隅に入ってきた雑誌の束に目を留める。
「そこにある雑誌、全部シロナが買ったの?」
「違うわ! シュウよ!」
また話題がそこへ戻ったせいか、シロナは苛立たしさを隠そうともせずに急に態度を変えた。そしてクローゼットを開け、内扉にある鏡に自分の姿を映すと身なりのチェックをし始める。
「あいつどこから聞きつけたのか、私が今日こっちに来るって知ってたの! それでこの家に来る前にいきなり現れてさ、この時代を知る為にこれでも読んどけって強引に渡してきたのよ!」
「へぇさすがシュウさんだな。昔からシロナに関する情報は誰よりもいち早く入手するもんな」
「本当よっ! あいつ一体どこから情報仕入れてんのか知らないけど、いつも勝手に人を追い回してさ、あんた一体何なのよって昔から思ってたわっ!」
憤る感情が末端神経にまでダイレクトに伝送されたのか、クローゼットの扉がバンと鳴り響く。叫んだことで多少の気が済んだのか、ふぅと大きく息をつき、シロナは閉めた扉に軽くもたれかかった。
「でも考えようによってはさ、あいつにとって今の職はまさに天職といっていいのかもね」
床に無造作に置かれていた雑誌の近くに歩み寄り、コウはその一冊を手に取りながら同意する。
「そうだね。でもシュウさんが自分の能力を一番発揮するのは標的がシロナの時だけど。リコさんに聞いたんだけど、この時代では “ ストーカー ” っていうらしいよ。今度シュウさんに会った時に教えてあげたら?」
コウはそう茶化しながら手にした女性向けファッション雑誌の表紙に視線を落とした。するとそこには 『 こんなシチュエーションでビクビク揺らいじゃう! ワタシ達のオンナ心♪ 』 と銘打った巻頭特集の見出しが目を引く大きさで踊っている。
「遠慮しとくわ。そんなことより自分の心配しなさいよ。あんた、これからどうやってリコの誤解を解くつもり?」
「うん……、どうしたらいいのかさっきから色々と考えてたんだ。これからリコさんの家に行って誤解だってことを話してくるよ」
「うーん、今日は止めておいたほうがいいと思うけどなぁ」
シロナの提案にコウが怪訝な顔をする。
「どうしてさ?」
「だってリコって私に性格が似ているんでしょ? ならきっと今頃頭に血が上ってる真っ最中だと思うのよね。多分家に行ってもまともに話を聞いてくれないんじゃない?」
「……そうかもしれないな」
それは大いにありそうな展開だ。
先ほどまでのたわいもない雑談のおかげで曇りが取れ始めていたコウの表情が、不安と戸惑いと衝撃のせいでまた沈んだものに逆戻りしてしまっている。
「イヤね、大の男がそんな情けない顔しないの! 明日の朝、リコが学校に行くところを待ち伏せすればいいのよ! 家に逃げ戻る事もできないだろうし、絶好のチャンスじゃないっ」
その提案にコウの表情にほんのわずかだけ生気が戻る。
「じゃあ明日の朝、リコさんが学校に行く時を見計らって会いに行ってみるよ」
「明日、私も一緒に行くー!」
「シロナも一緒に? どうして?」
「だってリコも私が何者なのかきっと気になっていると思うしさ、下手にこそこそ隠れるより、堂々と出て話をしたほうがいい結果になるわよ! ね、ついていってもいいでしょ?」
「うーん……」
シロナを連れて行くべきか否か。
口元に手を当ててコウはしばらく考える。そして熟慮の末、コウは結局その提案を受け入れることにした。
「分かったよ。明日一緒に行こう」
「やった! じゃあさ、明日リコに何かお詫びのプレゼントでも渡せば?」
「プレゼント?」
「そう! なんだかんだ言って女ってプレゼントに弱いからね!」
「何を贈ればいいのさ?」
「え~それぐらいは自分で考えれば~? あ、その雑誌読みたいから貸して!」
コウが手にした事でそちらに興味が移ったのか、シロナがファッション雑誌をやや強引にもぎ取る。
「それに私はリコのことを全然知らないから、何を貰ったら喜ぶのか分からないし。だからあんたがリコの身になって考えてみればいいんじゃない?」
すぐ側でシロナが呑気に雑誌をパラパラと眺めだすのを横目に、何を贈れば理子が喜んでくれるのかを必死に考え始める。だが理子を泣かせてしまったことへの贖罪の意識に囚われているため、上手く頭が働かなかった。
( リコさんの身になって、か…… )
明日の朝、理子が学校へ行く時間までに決めなければならない。
コウに残されたタイムリミットはあとわずかだった。