a rival in love <8>
── 漸次のその落胆振りを見る限り、今の武蔵の話は決して良い報告ではないようだ。
ガラス窓を通して陽光が差し込むリビングはしばらくの間静寂さに浸され、武蔵の体内から発せられる機械音のみが微かに聞こえる。
「ねぇ武蔵、ボンドって何…?」
まだ完全に今までの話を理解し切れていない理子は、すぐ横にいる武蔵に尋ねてみた。
「記憶の融合だ」
即座に答えが返ってくる。だがそれはサービス精神の欠片も感じられないくらいのひどく簡素なものだった。
「えっ、それって良い事なんじゃないの? だって記憶が分かれているよりも一つになる方がいいじゃないっ!」
「いや、コウの場合は記憶は分離したままの方がいいんだ」
「どうしてよ? だってお酒で急に性格が180度変わっちゃうのよ? もし記憶が一つになればいつもの優しいコウのままでずっといられるんじゃないの?」
「あぁ。お前の言う通り、その可能性は高い。……だがな、かといってこのままコウの記憶が融合しちまうのは色々とマズいんだよ」
「だから! それはどうしてなのって聞いてるの!」
「悪いがそれはいくらお前でも言えねぇな」
「もうなんなのよぉぉーっ!!」
またしてもローテーブルが地響きのような激しい音を生み出す。
先ほどの漸次に続き、今度は理子がテーブル上面を思い切り両手でブッ叩いたせいだ。
少女のこの剣幕に、さすがの武蔵も次の言葉がすぐには出てこなかったようだ。よって、ついに堪忍袋の緒が切れた理子の口撃ターンはまだ続くこととなる。
「アンタ、コウが私のことを “ パートナー ” って言い出した時もそうやって途中で話をはぐらかしたでしょ!? これまで人を散々振り回しておいて、どうして肝心の部分はいつも隠すのよっ!」
「落ち着けよ子雌。別に隠そうとしてる訳じゃねぇって」
「現に隠してるじゃないの!!」
「いいか子雌、よく聞け。俺様はコウの補佐物だ。専属操作者に関する重要情報を主の許可なく勝手には話せない。それだけのことだ」
「だ、だからって……!」
ここまでは勇ましかった理子もそう呟いた後、グッと言葉に詰まる。それは武蔵が言い放ったその理由があまりにもっともすぎるということが、理子自身で理解できているせいだ。
「おい武蔵。リコは本当に何も知らないのか?」
いつの間にか顔を上げた漸次がこの会話に割り込んでくる。
「はい。まだ詳しくは何も話してないですね。とにかく今のコウはこの子雌の事を型式としてではなく、あくまでも No,0 として見ちまっているので」
これは漸次への返答だったが、一旦は口を閉じた理子もそれを聞いてやはり黙ってはいられない。
「ちょっと! だから何なのよ、そのモデルとかナンバーゼロとか! 私にも分かるように説明してってば!!」
「俺様から話せない理由は今言ったはずだ。そんなに知りたいなら直接コウに聞くんだな」
「だってまだあっちの部屋で気絶してるじゃない!!」
「じゃあ明日でもまたここに来いよ。コウにはお前のその気持ちを話しておいてやるからさ」
すると漸次もその意見に同調する。
「そうだな、今日のところはリコはもう帰った方がいい。大事な身体に差しさわりがあったら大変だ。おい武蔵、念のためにリコを送ってやれ」
「了解です」
「い、いいです! だって家すぐ近くだし!」
「そうか……」
コウの記憶凝着疑惑のショックがまだ残っているのか、漸次は気落ちした声でそう呟くと理子の意見をそのまま呑んだ。そして続けざまに「武蔵」と、唐草電脳巻尺の名を呼ぶ。
「なんスか?」
「お前は今日俺と一緒に一度戻れ」
「ど、どうしてですか!?」
驚き過ぎたのか、唐草模様が宙に飛び上がる。
「なぜ俺に戻れと言うんですか!? 漸次さん、理由を教えて下さい!」
「お前に俺からちょっとした贈与物があるんでな。黙って受け取れ」
「贈与物?」
「あぁ、見たら驚くぞ。だが中身が何なのかは戻ってからのお楽しみにしておけ」
「……いえ、お言葉を返すようですが、それはできません」
意外なことに、武蔵はかつての専属操作者のこの命令には従わない構えを見せる。
「それではコウをここに一人残していく事になります。せっかくの漸次さんの計らいですが、コウを置いて俺は戻れません。そのお気持ちだけ有難く頂いておきます」
武蔵は神妙な口調で漸次の申し出を辞退すると、深々と本体を前に傾倒させた。どうやら詫びの姿勢のつもりらしい。
しかし漸次は余裕の表情でフッと笑うと、自信たっぷりの様子で親指を立てる。
「心配すんなっ! お前を連れ帰る代わりに、琥珀を置いていくから大丈夫だ!」
だが漸次の言葉とは裏腹に、琥珀の名を聞いた途端、武蔵の口調はたちまちいつもの調子に戻ってしまう。
「アイツをですか!? それは絶対にヤバいですって! あのじゃじゃ馬をここに置いて行くなんて危険極まりないッス!」
「大丈夫だ。琥珀も最近はかなり聞き分けが良くなってきている。それにお前を連れ帰るとは言ってもわずか一日のことだ。これは俺からの命令だ。いいな?」
そう断定され、武蔵の本体電飾が不規則な点滅を見せる。これは電脳巻尺が激しく煩悶している証拠だ。
「……了解です」
武蔵はそう一言だけ答えると後は黙り込んだ。
漸次は再び湯飲みを手にすると、冷めかけた日本茶を啜る前に理子に声をかける。
「リコ、幸之進の目が覚めたら俺からもあいつに更に詳しく話を聞いておく。その上でお前のご両親に挨拶に行かせてもらう。だから何も心配するな。分かったな?」
「は、はい……」
「ほら、来いよ子雌。玄関まで送ってやる」
武蔵は理子の目線まで浮遊高度を上げ、玄関に向かって先に移動し始めた。理子はソファから慌てて立ち上がると、
「えっと、じゃあこれで失礼します」
と漸次に挨拶をした。
「おう。毛躓いたりしないように足元には気をつけてな。何があってもまず手をつき、腹をかばうんだぞ。いいな?」
「……エ? あっ、えっと、その……、は、はい……」
とりあえず口中でモゴモゴと曖昧な返事はしたものの、やはり妊娠関係の誤解だけは解いておくべきだ、と理子は先ほどまでの考えを急速に改める。
なぜなら、こんな誤解を抱いたままで漸次に自宅に来られたら、またしても父の礼人を筆頭に、久住家の中で “ 果て無き勘違い・ザ・ワールド第二弾 ” が大炸裂してしまう事必須なのは疑いようの無い事実だからだ。これ以上恥辱で瞬殺されたら本当に身が持たない。
「おい、さっさと来いよ子雌! ったく、鈍くせぇヤツだなぁ」
せっかちな性格の武蔵が、なかなか自分の後をついて来ない理子を乱暴な言葉で追い立てる。
「う、うるさいわね、分かってるわよ!」
―― どうやら理子の受難は続くようだ。
コウや武蔵、そして漸次の時空転送者達によって、まだしばらくは振り回されっぱなしの人生を送る事になりそうな予感に、哀れな一人の少女が精々今出来る事といえば、リビングを出ながら軽い吐息をつくぐらいしか残されていないのであった。