a rival in love <7>
「あいつに変化だと……?」
「ハイ」
武蔵は本体を軽く前に傾け、漸次に向かって頷くような動作を見せる。
「俺がその事実に確信を持ったのは昨夜でした。コウが子雌の親父さんに無理やり酒を飲まされて久々に本能化しちまった後です」
「あぁ。だがいつもの暴走行為が無かったってさっき言ってたな。で、代わりにあいつはリコを襲っちまったわけだろ?」
「そうッス。でも漸次さん、それっておかしいと思いませんか?」
「……確かにな。あの幸之進が破壊行動に出ないで女を襲うなんてありえん展開だ」
この話題に強い興味が湧いてきたのか、漸次は手にしていた緩衝シートを完全に離し、両手の指を組み合わせて「続けろ武蔵」と先を促す。
「了解です」
かつての操作者の命令に、さすがの武蔵も従順だ。
「それでコウが本能化していた時なんですが、その中でちょいと引っかかる言動があったんです」
「引っかかる言動?」
「そうです。コウが子雌の上に馬乗りになって手篭めにしようとした時に言った台詞なんですが、『 親父さんに貰ったアレ、使わなくてもいいだろ? 』 と言ったんです。なっ、そうだよな、間違いないだろ、子雌?」
「エェッ!?」
いきなり確認された問いの内容に、理子は慌てふためいた。そしてまたしても少女の顔が盛大に赤面する中、漸次が「アレってなんだ?」と会話に割り込んでくる。
「さっき漸次さんが見たがっていたこの時代の避妊具のことッスよ」
「おい待て! じゃあ何か? 幸之進の奴、わざわざそんなバカな宣言までしてリコを襲ったのか!?」
「でもあの時は本能化していたからしょうがないッスよ」
「いいや、そんな事は関係ねぇッ!!」
闇雲にローテーブルを叩き、漸次が再び声を荒げる。
「本能化していようがいまいが、あいつはあいつだっ! たとえどんな理由があろうとも、やっちまった事には男としてきっちり責任を取らなきゃいけねぇ!」
「あっ、あのっ! 聞いて下さいっ!」
ここで漸次の誤解を解こうと、理子は慌てて二度目の説明を開始する。
「私はコウに何もされ」
「何も言うなっ! 大丈夫だっ、お前の気持ちはよく分かってるぞっ!」
だが哀れなるかな、その健闘もむなしく、いきり立つ漸次にまたしても話を遮られる。
「済まんリコッ! きっとお前が一番不安だろう! だがお前さんの腹にいるかもしれん赤ん坊のためにも、決してお前を泣かせるような真似はこの俺が絶対にさせん! だから幸之進に “ 何も求めない ” なんて殊勝な事を言うなっ! いいかっ、忘れんな! お前の体はな、もうお前だけのものじゃねぇんだぞっ!」
── あぁ神様、私もう疲れました……。
二の句が告げないとはまさにこのことか。
今回も見事に内容を曲解され、完全に脱力してしまった理子は今回の手篭め&妊娠騒動の誤解を解くことをここで完全に諦めてしまった。
「……あの漸次さん、コウの話に戻っていいですか?」
話題が脱線し始めているため、さりげなく武蔵が軌道修正を計る。
「お、おぉ、そうだったな……。スマン」
「いえ、では続けます」
そう言うと、武蔵は一度だけ理子の方に本体を向け、
「ここからが重要だ。子雌、お前も俺様の話をしっかりと聞けよ? そしてもし内容に異論があったらすぐに教えてくれ」
と念を押す。
「で、どうして俺がその台詞に違和感を感じたかと言うとですね、コウが子雌の親父さんから貰った避妊具の事を、なぜか本能化したコウが詳しく知っていたってことなんです」
「なにっ!?」
漸次が大口を開けて盛大に驚く仕草を見せた。
一方、その事実のどこに驚くべき点があるのかがまったく分からない理子は、目を瞬かせて尋ねる。
「武蔵、それってそんなに重要なことなの?」
「あぁ、すげぇ重要なことさ! なぁ子雌、今の俺様の話におかしな点は無かったか?」
「おかしな点? うん、無いと思うけど……」
「そうか。じゃあ実際はありえない事が起っちまっているんだよ」
「実際はありえないって?」
「あのな、コウは本能化しちまうと今までの自分の記憶が一切無くなっちまうんだよ。……いや、無くなる 、という言い方はちょっと違うな。よし、いいか子雌、これで分かりやすく説明してやるからよく見ろよ」
武蔵は体内から二本の巻尺を素早く出すと、それらを天井に向かって垂直に伸ばす。
並列の状態で静止させた巻尺を使用し、武蔵は更に詳しい説明を始めた。
「今までコウは何度か本能化してきているが、本能化後はその間の記憶しか持てないんだ。つまり、本能化前と本能化後、それぞれのコウが記憶を持っていて、それは今まで決して交わる事は無かった。だが……」
それまでピクリとも動いていなかった巻尺がここで動き出す。
リビングの天井に向かって真っ直ぐに伸びた二本の巻尺がゆらりと傾き、理子の目前で大きくクロスされた。
そしてこの説明で、ようやく理子も話題の論点が見えてくる。
「じゃあ、あの時のコウがパパから貰ったアレの話題を出してきたってことは……」
「そうだ。今までなら絶対にありえないってことさ」
武蔵はそう断言すると毅然とした声で続ける。
「大体な、昨夜本能化した後のコウが、会った事もないお前を知っていたってところからしてすでにおかしいんだ。だからその辺りも踏まえて総合的に考えてだな、今、コウの内部でこういう現象が起きてる可能性がかなり高い」
理子の目前でX印に大きくクロスしていた巻尺が今度は互いに絡まり合い始めた。
大きくねじれてゆく白色の巻尺は、みるみるうちに一本の太い糸のような形状に変化してゆく。
するとそのリズミカルな動きを険しい視線で追っていた漸次は組み合わせていた指を解き、ガックリと大きく頭を垂れた。
「 そうか…… “ 記憶凝着 ” が起こりかけているってことか……」
顔を伏せて呻くように呟いた後、ふぅぅっと大きなため息が漸次の口から漏れる。
ローテーブルの上に置かれてあった気泡緩衝シートがその吐息に素早く反応し、戸惑う漸次の心境を表すかのようにゆらゆらと小さく揺れ出していた。