a rival in love <6>
「どうだっ! 全部撲滅したぞ!」
菓子箱の中に入っていた気泡緩衝シートの膨らみを全て潰し終わり、完全にペラペラになったシートを目の高さにまで掲げた漸次が大満足の表情を見せる。どこまでも子供っぽいその様子に、理子はたまらず吹き出してしまった。
「お疲れ様でしたっ!」
笑顔でねぎらいの言葉をかけると、漸次は照れからか顎を撫でながら言い訳をする。
「俺としたことがつい熱くなっちまったな! 未来の娘の前でカッコ悪い所を見せちまった!」
── へ!?
漸次の最後の台詞に驚くあまり、元々大きい理子の両目が更に見開かれた。
「み、未来の娘って……?」
「あん? お前さんのことに決まってるじゃねぇか!」
漸次はとぼけた声を出し、 “ 今頃何を言い出してるのか ” と言った表情で切り返す。
「幸之進の奴、言ってたぞ。ここで惚れた女性が出来た。自分の想いをのんびり伝えていくつもりだったが、どうしてもすぐに責任を取らなければならない事態になったから、一刻も早く所帯を持ちたいってな」
「えええええええーっ!? ちょ、ちょっと待って下さい! 私っそんな話、何も聞いてないっ!!」
降って湧いたこの超異常事態に、理子は慌てふためいた。
確かにコウから “ 自分と付き合ってほしい ” と告白されてはいる。だがまだ正式にOKもしていないこの段階で、なぜいきなり結婚などという話が出てきているのか。
第一プロポーズだってされていない。
理子の想像する正しい男女交際、そのセオリーを軽く三段階ほどブッ飛ばして物事が進んでいる。
「何? 嬢ちゃんが聞いていない? ふぅむ、そいつは解せんな……。幸之進の話だと、お前さんのお父上には今朝の時点ですでに婚儀に関しての話を通し、了承をもらっているらしいぞ?」
── 来た。
一瞬クラクラと眩暈がしたのと同時に、哀れな少女は今回の事態の背景を半強制的に認識させられる。またしても自分を蚊帳の外に置き、父親の礼人とコウの、 “ 理子が大好き暴走コンビ ” で勝手に話しを進めているようだ。
「あぁそうか! この時代は本人に求婚する前にまず親御さんに許可を得ないといけないんだな? 古の時代の良き伝統文化がここにはまだ残っているわけだ。さすがだな!」
理子が頭を抱えている間に漸次が斜め上を行く解釈をし出し、一人勝手に納得している。
「ちょ、ちょっと武蔵、あんたからちゃんと説明してよ……!」
理子はすぐ側で暢気に浮遊していた武蔵に小声で催促をしたところ、すかさず涼しい答えが返ってきた。
「俺、したぜ? さっきお前が着替えている間にな」
「嘘言いなさいよ! 全然話がおかしくなってるじゃないの!」
「おかしくなってねぇって。今朝コウは、お前の親父さんに手をついて頼んだんだ。 夜中にお前を強引に手篭めにしちまったから、どうしても責任を取らせてほしいってな」
「てっ、手篭めっ!?」
武蔵が口にしたその淫靡な単語と、昨夜のコウとの一夜を同時に思い出し、理子の顔が朱に染まる。
「本当に済まなかった! その件は幸之進に代わって俺からも謝罪させてもらう!」
スキンヘッドのてっぺんが理子の前に無防備に晒される。大きく頭を下げたままで漸次は野太い声を張り上げ、必死に謝罪を続けた。
「だがまさか幸之進の奴が女を襲うとは夢にも思わなかった! あいつの父親、兼監督者として俺は失格だ! でも嬢ちゃ…いや、リコ! 幸之進は誰でもいいから女を襲うような奴じゃない! あいつはな、あんたが好きなんだ! あんたがいいんだよ! それだけは信じてやってくれっ!」
漸次がさらに深い角度で頭を下げたので、ついに後頭部のテカリまでが露になる。
「あ、あのっ、ちょっと待って下さい! 別に私は何も……」
「いや大丈夫だ! 何も言うな! よく分かってる!」
本当は乱暴などされていない事を説明しようとした理子の言葉を強引に遮り、漸次は素早く顔を上げるとこれ以上ないくらいの自信に満ち溢れた男らしい口調できっぱりと言い切った。
「この時代の女は “ 貞女は二夫に見えず ” なんだよな? だからお前さんの純潔を奪っちまった幸之進にはきっちりと責任を取らせる! 我家の誇りにかけて、ヤリ逃げなんて卑怯な真似は絶対にさせやしねぇ! 必ずお前達を夫婦にしてみせるから何も心配すんな!」
「め、めおと……」
斜め上をどこまでも突き抜けてゆくこの漸次の解釈に、始めから説明しようとしていた気力が一気にゼロへと落ちてゆく。精神ポイントを大きく削られた理子はクラクラとする頭を押さえ、グッタリとソファの背もたれに身体を預けた。
── コウといいこのお父さんといい、何なのよ、この親子は……っ!
しかし、本当の衝撃展開は実はここからだった。
「それとリコ」
漸次が大きく身を乗り出し、今までとは打って変わった険しい表情を見せる。
「これから先、身体を冷やすことだけは厳禁だぞ。このクソ寒い季節にさっきみたいな格好のままでいるなよ。分かってるな?」
「エ? ど、どうしてですか?」
「お前さん、孕んじまった可能性もあるっていうじゃねぇか」
「ハァァァー!?」
吃驚するあまり、顎が外れそうになる。
「何でも幸之進の話だと、お父上から必ず装着しろとの指示のあった、なんつったっけ、“ 近藤何とか ” っていう、 人類繁殖抑制道具とやらをあいつが装着しなかったそうじゃねぇか?」
「コンドー何とか……!? それってまさか……!?」
少女の脳裏に父から強引に託された、『 朝まで闘魂!』の桃色箱が浮かぶ。
「あいつはしっかりしている奴だとおもっていたんだが、幸之進もやはり男だったということなんだな……。決して順序を取り違える事だけはしないようにとリコのお父上から厳しく言われていたらしいのに、結果がこの有様だ。情けねぇよっ」
ここで苛立ちが急に全身を襲ったのか、漸次はローテーブルを右の拳で一度だけ殴打した。鈍い打音がリビングを垂直に駆け抜ける。
「……畜生っ! 俺の完全な監督不行き届きだ! リコ、本当に済まねぇ! せめてこれからはたっぷりと睡眠を取って、美味くて栄養のあるモンをたくさん食って、幸之進のために元気な良い子を産んでくれな!」
……コウと初めて出会ってからこれで通算何度目の瞬殺になるのだろう。
スキンヘッドが陽光で見事に輝く様を目前にし、恥辱に震える乙女は心から願う。
── 神様っ、私はこのまま石になりたいです……っ!
「なぁ武蔵…」
漸次はやるせない表情で眉間を指で押さえ、武蔵へ視線を向ける。
「なんスか?」
「その “ 近藤何とか ” っていうこの時代の避妊具はどんな形をしているんだ? 後学の為に是非知っておきたい」
すると武蔵は気軽な口調で、「それなら実物がありますよ! なんなら持ってきましょうか?」とコウのいる寝室の方向を巻尺で指し示した。
「やっ、やめてぇぇぇぇぇ──っ!!」
理子は両手で頬を覆い、両肩で息をしながら絶叫した。これ以上の羞恥体験を続けたら本気で乙女の身が保たない。
「あ、それよりも漸次さん、避妊具を見る前に俺からちょいと重要な報告があるんですが」
武蔵が珍しく真面目な口調で切り出し、エンエンと続いていた羞恥会話をようやくここで止めた。
「何、重要な話? 言ってみろよ」
武蔵は「実は……」と言い掛けた後、話を中断して「おい子雌」と理子を呼ぶ。
「な、何よ?」
「途中でお前にも確認しておきたいことがあるから俺様の話をよく聞いておけ。いいな?」
拒否の返事など許さないようなその物言いに、この場はおとなしく頷くことにする。
「うん。分かった」
「よし」
武蔵は素早くローテーブルの上に移動すると、漸次と理子の視線を自分に集めた上でゆっくりと話し出した。
「実はコウのことなんですが、あいつに変化が起きているような気がするんです」