a rival in love <5>
怒りに任せ、昼の日差しが充満しているリビングの扉を勢いよく開ける。
そんな理子をまず最初に出迎えたのは爽やかな煎茶の香りだった。
「お、着替え終わったか! 早くそこに座んな」
L字型のソファの奥にどっかりと座り、漸次が手招きをしている。
「は、はいっ」
指示された場所に腰を下ろすと、漸次はローテーブルの上に置かれていた二つの湯飲みの内の一つを手にし、「ほら、あったまるぞ。飲めよ」と押し付けるように理子の目の前に差し出した。
「いっ、いただきますっ」
室内に入ってすぐ、この急かされるような待遇に思わず口調がどもってしまったが、とりあえず湯飲みを受け取り、煎茶をコクリと一口分だけ飲み干した。じんわりと爽やかな渋みが口中一杯に広がり、寒さのために先ほどまで気を失っていた身体が隅々まで喜んでいるのがよく分かる。
「おい子雌。お前もうちょい静かにドアを開けろよ。ぶっ壊れちまうだろうが」
キッチンにいた武蔵が巻尺の先に有名デパートのロゴが入った紙袋をぶら下げて現れ、理子に小言を投げかける。
「ご、ごめん!」
権田原家が賃貸物件だという事を思い出し、理子は慌てて謝った。
「いいじゃねぇか武蔵! 元気があって結構結構! そんなドアの一つや二つぶっ壊れたってどうってことねぇさ!」
白い歯を剥き出しにした顔で漸次が豪快に笑う。そして自分も煎茶を啜りフゥと満足げな吐息をついた後、理子の全身をしげしげと眺めた。
「だが幸之進の好きなタイプがこういう元気のいい嬢ちゃんとはちと意外だったがな」
すると漸次の呟きに「そうッスか?」と武蔵が異を唱える。
「反対に俺は全力で納得しましたけどね」
「さすが武蔵だな。幸之進のことなら何でも知っているっていうわけか」
「まぁ俺らは付き合い長いッスからね」
「そうだな」
漸次は目線を落とし、「俺よりも武蔵の方が幸之進と一緒に過ごした時間は長いもんな」と語尾を噛み締めるように呟く。
“ 一緒に過ごした ” というその言い方に小さな違和感を感じた理子が口を挟もうとした時、武蔵がさりげなく話題を変えた。
「あっそうだ。漸次さん、これ食いますかっ?」
武蔵は手にしていた紙袋をローテーブルの上にドサリと置く。漸次は数秒間手元の湯飲みから視線を外さなかったが、やがてゆっくりと紙袋へ視線を移し、「おう茶菓子か。中身は何だ?」と尋ねた。
「確か焼菓子です。一昨日コウが買ってきたんですよ。一つは昨日子雌の家に土産として持っていって、こっちは自分が食おうと思って買ったみたいッスね」
「ほう、洋煎餅か」
「よ、ようせんべー?」
「あぁ、漸次さんは古風な人だから、よく和系言語に言い変えちまうんだよ。ま、あまり気にするな」
思わず聞き返した理子に、巻尺を左右に操って包装紙を乱暴に破きながら武蔵が説明する。
「しかし幸之進は昔から甘いもんには目が無いよなぁ」
「漸次さん、それが今回は食うためだけじゃないみたいですよ。調査しているみたいッスね。最近はあちこちで色んな菓子を買っているし、この間なんて駄菓子屋にまでつき合わされましたから」
「じゃあ幸之進も着々と準備を始めているというわけだな? 俺ものんびりしてはいられんな」
漸次はそう言いながら目の前の青い正方形のクッキー箱に手を伸ばした。だが蓋を開けた手が宙で一旦止まる。
「……何だ、これは?」
漸次はそう呟くと手にしていた幾何学模様の描かれた箱の蓋をテーブルの上に置き、箱内の上部に置かれてあるシートを手に取った。そして不思議そうに触ったり、ひっくり返したりし始める。
「なぁ嬢ちゃん、これは一体何なんだ?」
「それですか? え、えっと……」
漸次が手にしているシートの正式名称が分からない理子は一瞬口ごもった。
「私は “ プチプチ ” って言ってますけど……」
「 “ ぷちぷちぃ ”?」
漸次は素っ頓狂な声で復唱すると、手にしていたシートの表面を撫でさする。
「これは一体何の目的でここに入ってるんだ?」
「えーと、それは、たぶんクッキーが崩れたり割れたりしないように保護のためだと思いますけど……」
「ほぅ……」
理子の答えに漸次は感心したような声を上げる。
「漸次さん、今調べて見ましたが、それはいわゆる緩衝材の一種ですよ。 “ 気泡緩衝シート ” っていうみたいッスね」
検索を終えた武蔵がプチプチに関しての追加情報を出す。
「なるほどなぁ、この時代はこれが緩衝材なのか。この膨らんでいる部分に入っているのは空気というわけか」
よほど興味が出たのか、漸次は気泡緩衝シートから手を離さず、指の腹で凸部分の感触を何度も確かめている。
「あの……」
「ん? どうした嬢ちゃん」
「未来ではこんなシートはもうないんですか?」
「無いなぁ」
と漸次が即答する。
「例えばこういう崩れやすい洋煎餅を守る目的なら、それぞれ個別に分子凝着した方が早いし確実だ。でもこのシートはなかなか興味深いぞ。ほら見てみろ武蔵。こうやって指で押してみると何とも言えん感触だ」
漸次は気泡緩衝シートの盛り上がった部分を太い親指で押し、突起部分が一気にへこむ感覚を楽しみ始めた。リビングに一定の間隔でプチプチという軽快な音が鳴り続き、その様子を眺めていた武蔵が少々呆れたような小声で言う。
「メチャクチャ夢中ッスね、漸次さん」
「いやいや、これは始めると止まらなくなるぞ! この感触が止められん!」
( コウのお父さんって見かけは少し怖そうだけど、こういう子供っぽい所はコウにそっくりかも…… )
大きな背中を丸め、プチプチ遊びを無邪気に楽しんでいる漸次の様子に、理子はそっと含み笑いを漏らした。