a rival in love <3>
── 修羅場の権田原家。
その豪快な呼び名に恥じない状況が、理子の目前で今まさに展開されようとしていた。
怒りの龍神と化した琥珀の醸し出す恐ろしいまでの殺気が室内をくまなく覆いつくし、一方それに対峙する武蔵はといえば、冷静な白虎に変貌し虎視眈々と戦局を伺っている。
「琥珀、武蔵」
一触即発の空気を低く野太い声が割る。
二度目の吐息をつき終った漸次は、己の見事な禿頭を前後に数度撫でながら二つの電脳巻尺を諭し出した。
「いい加減にじゃれあうのもその辺にしとけ。まったく仲がいいのか悪いのか、分からんなぁ、お前達は」
「まぁっ! イヤですわ、漸次様っ!」
琥珀はたった今まで出していた重々しい声を一転させ、急に芝居がかった弱々しい声を出し始める。
「この高貴なワタクシと、こんな粗野で、卑猥で、しかも下劣な男が仲がいいだなんて! たとえご冗談でも言っていいことと悪いことがありますわ!」
そこへおかしくてたまらないといった様子の武蔵が、
「おいおい琥珀ぅ~! 一体お前のどこが高貴なん…」
「愚鈍巻尺はお黙りっ!」
憎き相手に最後まで言わせないほどの素早さで、本来の可愛らしい声とは打って変わったドスの利いた声が室内を真っ二つに切り裂く。
「もういい。分かった分かった」
説諭の効果もまったく無く、まだまだ果てしなく続いていきそうなこの二大巻尺抗争に、漸次はいささかうんざりしたようだ。もう一度大きく溜息をつくと、もたれていた壁から身を離す。
「なぁ武蔵、まずは茶を淹れてくれよ? そしてどうして幸之進の奴がこの嬢ちゃんに襲い掛かろうとしていたのか、詳しく教えてくれ。あぁ、それとなぜ自分の最優先に名を名乗っていないのかもな」
「了解ッス、漸次さん!」
その返事の直後、空中でギッチリと何重にも絡みあっていた巻尺の束が、マジックの種明かしのようにいとも簡単にハラリと解ける。
「待ちなさい! おめおめと逃げるつもり!?」
警戒モードを解き、巻尺を体内に納めて漸次の後をついて室内を出て行こうとする武蔵の背後に、苛立ちが込められた怒号が浴びせられた。だが唐草模様の電脳巻尺はその挑発に乗ることなく背を向けたままで移動を続けたため、琥珀の二度目の咆哮が炸裂する。
「戻りなさい卑怯者っ! まだあんたとの勝負はついてないわっ!」
しかしそれでも武蔵は応酬しない。
だが、漸次がこの寝室から完全に出ていったことを己の透明体内で確認した後、振り向きざまにボソリと呟く。
「……おい琥珀。お前、まさか自分の専属操作者の命令に逆らうっていうのか?」
するとそれまで高飛車だった市松模様の電脳巻尺は、途端にあたふたと動揺した素振りを見せ始める。
「べっ、べつにそんなつもりじゃないわっ! たっ、ただ、あんたと決着を、つっ、つけなくちゃって、思っただけでっ……」
「じゃあ勝負は次にお預けだな。俺様は逃げも隠れもしねぇから安心しろ」
琥珀の言葉を一方的に遮り、武蔵は居丈高に止めの台詞を放つ。
「それより琥珀、その子雌におかしな真似すんじゃねぇぞ? 仮にもお前が慕うコウの最優先なんだ。分かったな?」
「……」
沈黙する琥珀に容赦の無い追い討ちがかかる。
「おい、返事はどうした? 自慢の聴覚回路でもついにイカれちまったか?」
「わ、分かったわよ!」
「いいか、そいつに何かあればコウが黙ってねぇからな。よく覚えとくんだな」
強めの口調で再度念を押し、ようやく武蔵は寝室を出て行った。
「な、何よっ! ちょっと先に生産れたからって偉そうに……っ!」
言わずにはおれなかったのだろう、その声が既に室外へ出た武蔵に届きはしないことを分かっているはずの琥珀が悔しそうに恨み言を吐く。
ようやく静けさを取り戻した室内。
そこに残されたのは、気絶した赤いライオンと、勝気な夢見る乙女、そして超高飛車な市松ピンクの電脳巻尺だった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
薄暗闇に包まれ、静まりかえる密室。
だがその穏やかな静けさに反比例するかのように、室内の緊張感はMAX状態だ。
一名は完全に気を失っているため、残りの二名がお互いを探るように視線を交し合う。
どちらも強気タイプの乙女キャラではあるが、片方は疑惑の眼差しで相手の詳しい素性を掴もうとし、もう片方は赤く煌く電灯を何度も瞬かせて相手を厳しく値踏みしている。その長い洞察合戦の結果、先に言葉を発したのは値踏みをしていた乙女の方だった。
「やっぱりどう考えてもあんたがコウ様の最優先だなんて信じられない! 絶対に何かの間違いよ!」
先ほどからこの市松模様の電脳巻尺に自分を全否定され続けている理子は、またしても自分を貶めるこの発言に怒りを覚えた。……が、琥珀に聞きたいことがあるのでここは一旦グッと堪えることにする。
「琥珀、って言ったわね? さっきから最優先、最優先って一体何のことなのよ?」
「あんたには教えてあげなぁーい!!」
意地悪で舌を出すモーションのつもりなのか、琥珀の体内から薄紅色の巻尺が数センチだけ飛び出る。
「何よ! 教えてくれたっていいじゃないっ!」
「イヤよっ! あんたに教える義理なんてワタクシにはないもの!」
“ 一触即発劇場 By 権田原家 ” 、その第二幕の火蓋が盛大に切って落とされたようだ。
「それよりあんた、一体どうやってコウ様をたぶらかしたのよ! 教えなさいよ!」
「さっきから黙って聞いていれば失礼ね! 私は別にコウをたぶらかしたりなんかしていない!」
「たぶらかしてるわよ!」
「たぶらかしてないってば!」
「あんたにコウ様は勿体無さ過ぎるわっ! 貧乳のくせに少しは身の程を弁えなさいよ! 貧乳っ! 貧乳っ! ド貧乳ーっ!!」
「ちょっ……なんで巻尺にそこまで言われなきゃなんないのよっ!」
二人の乙女は、相手を燃やし尽くせるのではないのかと思われるぐらいの凄まじい眼力でお互いを睨み合う。再び両者の間にしばしの膠着状態が続いたが、その不穏な空気を一瞬で断ち切ったのは、
「……リコさん……」
と気を失っているはずの人間が呟いた一言だった。
「コウ!?」
「コウ様っ!?」
その呟きに反応した理子と琥珀が同時にコウの名を叫ぶ。だがうつ伏せになり顔をわずかに横に向けたコウの表情は、まだ正気を取り戻してはいなかった。
「……なんだ、気がついたかと思ったけど、うわ言だね」
コウが目覚めたのかと思い、熱いバトル中だったことを思わず忘れてしまった理子は、琥珀にそう話しかけた。だが琥珀はその問いかけには応えず、コウの口元のすぐ側にまでそっと寄り添う。
「コウ様……どうして? どうしてこんな野蛮な女がいいのですか……?」
琥珀は気落ちした声でそう呟くと静かに巻尺を出し、コウの頬にかかった髪をそっとかき上げた。