a rival in love <2>
「さてと……」
漸次は立てていた親指を引っ込めると、座り込んだ時と同じように、勢いよくベッドから立ち上がる。
「喉が渇いたな。武蔵、茶を淹れてくれるか?」
「当然日本茶で?」
「おいおい、分かりきっている事を聞くなよ! 何年俺と一緒に暮らしてたんだ?」
その強面には恐ろしく不似合いな子供っぽい表情を浮かべ、漸次が笑う。
「一応確認ッス」
「確認しなきゃいけないほど離れてたわけでもねぇだろうが? おっと、そうだ嬢ちゃん! あんた、何か着る服はあるのか?」
バスローブ姿のままなのが気になったのか、漸次は会話の途中でいきなり理子に話しかける。それまでコウへ心配げな視線を送っていた理子は、慌てて顔を上げて寝室の隅を指した。
「ハ、ハイッ! あそこにありますっ!」
部屋の片隅に、横倒しになった理子のバッグが無造作に置かれている。のんびり屋の割りに意外と気の利く真央が、理子の脱いだ服をバッグに入れてからコウに手渡してくれたおかげだ。
「そうか。ならいい」
理子の返答を聞いた漸次は、良し、といった動作で大きく頷く。
「じゃあ俺達は席を外すから、着替えたら嬢ちゃんも来いよ? 幸之進はそこに転がしておけばいい」
何とも大雑把、かつ無慈悲な台詞を残し、漸次は「行くぞ」と武蔵を促して寝室を出て行きかけた。しかし、たった今召集を受けたはずの武蔵はなぜかその場を動かない。そして、
「ところで漸次さん、あいつはどうしたんですか? あっちに置いてきたんですか?」
と、高いとも低いとも言えない微妙な音声で尋ねる。
「ん? 琥珀のことか?」
リビングに向かって歩きかけていた足を止め、漸次が後方を振り返る。
「そうッス」
「いや、一緒に連れてきたが、そういえば姿が見えんな……」
「マジですかっ!?」
「あぁ。どこに行ったんだろうな」
その返答を聞いた武蔵の口調が、とてつもなく焦ったような超早口へと急激に変化する。
「ぜっ、漸次さんっ、あいつを野放しにしちゃいけませんぜ! あいつはどうしようもないじゃじゃ馬なんですから! ほっぽり出したら何をやらかすか分かりませんよ! この俺が自信を持って保証しますっ!」
「……誰がじゃじゃ馬ですってぇ……!?」
二瞬の間が空いた後、室内の上空から怒りに満ちた若い女性の声が降り注ぐ。
理子が上を見上げると、そこには武蔵そっくりのシルエットがふよふよと宙に浮かんでいた。
「おー琥珀! なんだそこにいたのか! 久しぶりだな!」
「黙れっ、因業巻尺っ!!」
浮遊する物体は、その可愛らしい声にはかなり不釣合いな罵声を武蔵に浴びせると、音も無くスゥッと下に下りてきた。そして一目散にコウの元に近づき、悲痛な声で叫ぶ。
「あぁコウ様っ!! こんなお姿になっておいたわしい!!」
琥珀がコウのすぐ側にまで近づいてきたので、ようやく理子にもこの物体の詳細が見て取れた。やはり武蔵と同じ、電脳巻尺だ。ただしこちらは唐草模様ではなく、白地にピンク色の市松模様である。
「……ねぇ、この人も武蔵の仲間なの?」
率直な疑問を抱いた理子が小声で武蔵に尋ねる。
だが武蔵がそれに返答しようとする前に、
「こんなバカエロ男とワタクシが仲間ですってっ!? アンタ、一回死にたいのっ!?」
内臓されている二つの透明体の先を素早く理子に向け、琥珀が鋭い口調で遮った。
「あんたがコウ様をたぶらかそうとしている性悪女ねっ!」
二つの透明体の先は完全に理子を捉えている。
現在ヒステリーを起こしかけている市松模様の電脳巻尺は、理子に向かって立て続けに暴言を吐き始めた。
「ちょっと、まさかそんな貧相な胸でコウ様を落とせると思ってるんじゃないでしょうね!? いいこと、よくお聞きっ! あんたみたいな女にコウ様を落とせるわけないでしょっ! 笑わせんじゃないわよっ!」
「おっと、ところがどっこい、コウはこの子雌に完璧に落ちちまってるんだよなぁ~」
空気が読めないのは己の操作者ゆずりなのか、武蔵がのんびりとした口調で間に割って入る。
「そんなの嘘よッ!」
琥珀が武蔵の方角に本体を向ける。
自分の話を半ばで中断されたこと、そして武蔵の台詞の内容、その両方が激しく気に入らない琥珀の不満足度のボルテージが、更なる高みへと留まることを知らずに上りつめてゆく。
「武蔵は何にも分かっちゃいないわね! コウ様の好みはこんな凹凸のない女なんかじゃないわ! コウ様はもっとグラマラスな女がタイプなのよ! …ロナみたいな……」
前半は思い切り感情の赴くままに叫んだ琥珀だったが、なぜか最後の言葉は尻切れトンボのように聞き取れないほどの小声で締めくくる。そして再び理子に向き直ると、憎憎しげな口調で続けた。
「ちょっと! あんたいつまでコウ様のお体に触ってんのよ! さっさとその手を離しなさい!」
体内から綺麗な薄紅色の巻尺を少しだけ出すと、琥珀はそれをピラピラと前後に振り、いいから早くそこをどけといわんばかりのジェスチャーをする。
だがここまで容赦なく立て続けに罵詈雑言を浴びせられ、元々勝気な理子がこのまま黙っているはずがない。空中を浮遊中の琥珀にビシッと人差し指を突きつけ、
「なんであんたにそんなこと命令されなきゃいけないのよっ!!」
と、語気も荒く言い返す。
「まぁ なんてふてぶてしい女……!」
身震いのつもりなのか、琥珀はまるでイヤイヤをするように自分の本体を左右に小刻みに動かした。そして出していた巻尺を素早く体内に収納すると、「コウ様がこんな野蛮な女に魅かれているなんて絶対に嘘だわ! どう考えたってありえないわっ!」と強い口調で断定する。
「だからさっきから言ってるだろ? 実際コウはこの子雌にベタ惚れなんだって」
「因業巻尺は黙ってて!!」
琥珀の鋭い叱責が飛ぶ。しかし武蔵は全く堪えた様子を見せず、琥珀のすぐ側にまでズイ、と近づいた。
「側に来ないでよ! あんたのバカが伝染るじゃない!」
「おい琥珀、お前……」
武蔵はそこで一旦言葉を切った。そして何かに思案しているのか、ブルーランプを不規則に点滅させる。
「な、何よ?」
武蔵の真剣な様子に当てられた琥珀が思わず空中で数センチ後ろに下がった時、元祖無神経巻尺の爆弾発言が華麗に投下された。
「……お前、もしかして太ったか?」
「……っ!」
その指摘に琥珀は絶句した。そこへ普段からデリカシー要素をあまり持ち合わせていない武蔵の追い討ちがかかる。
「やっぱお前太ったよな? 絶対そうだって! 俺と大して変わんねぇじゃん!」
「だ、黙りなさぁーいっ!!」
薄暗い室内で絶叫が響く。琥珀のヒステリーはまさに今、最高潮の瞬間を迎えつつあった。しかし武蔵のツッコミは止まらない。
「お前一体何を装備ってそんなに太ったんだ?」
「うるさいうるさぁーい! 仕方ないじゃないっ!!」
琥珀は半泣きの口調で自己保身に走る。
「だって! だって漸次様が、前のワタクシの本体じゃ小さくて扱いづらいって仰るんですもの!!」
その答えを聞き、武蔵は心底納得したようだった。
「分かる分かる! 漸次さんは手がでっかいからなぁ。確かに前の琥珀の型なら漸次さんには使いづらいかもなぁ」
「済まんな、琥珀」
琥珀登場以降、部屋の壁にもたれて事の成り行きを見守っていた漸次がここでようやく言葉を発する。
「あっ! いえ、漸次様がお謝りになることなどございませんわ! ワタクシは今は漸次様の専属電脳巻尺なのですから!」
琥珀は慌てたように漸次に向かって弁解をする。
「それにワタクシ、このサイズになって良かったと思っているんです。……なぜなら!」
突然、何かが空を切り裂く音が発生する。
「今日こそ この男を痛めつけることが出来ますからっ!」
空を切り裂いたのは薄紅の巻尺だった。
しかしそれはすぐ向かいにいた武蔵の身体を縛り上げることは出来ず、代わりに武蔵が防御のために出した白色の巻尺とがんじがらめに絡まる。
「残念だったなぁ、琥珀ぅ~?」
琥珀の攻撃を紙一重の差で見事にかわした武蔵はわざと語尾を上げて軽口を叩き、体内から一定の高音を二秒間だけ鳴らす。恐らくそれは口笛の代わりとして鳴らしたもののようであった。
「相変わらず反応速度だけはいいわね……!」
琥珀は今にも舌打ちをしかねないほどの忌々しげな音声でそう呟いた。そして自分の持つ全ての力を出し、絡まりあった薄紅の巻尺をギリギリと音が鳴るくらいにまで引く。
「でも今日こそはあんたをコテンパンにやっつけてやるからぁっ!」
「おぉっ!?」
実際に体感した琥珀の潜在能力に、武蔵の口から思わず驚愕の声が漏れる。
「おい琥珀! お前、パワーがかなり強化されているじゃねぇか!」
「当たり前じゃない! 伊達に能力補強してないわよっ!」
「なるほどな! さすがデブ女になっただけのことはあるなっ!」
「……!」
琥珀の周囲のオーラが一瞬で変わった。
「オマエダケハ ゼッタイニ コロス……!!」
どうやら武蔵の口の悪さが今回は最悪の方向に向かったようだ。
怒りに燃える琥珀の全身がうっすらと桃色に発光し始める。
その様子をずっと見ていた漸次はやれやれといった様子でいかつい肩幅を竦め、壁にもたれたままで大きくため息を吐いた。