Dramatic love! <2>
ここは水砂丘高校一階にある女子ロッカールーム。
六時限目の体育に備え、ただ今柔肌の乙女達がせっせと生着替え中だ。
「……理子、今日なんか荒れてない?」
一番仲の良いクラスメイト、親友の井関真央が白のジャージに腕を通しながら心配そうに尋ねた。
「どうして今日はそんなにイライラしているの? 理子らしくないよ?」
口にヘアゴムを咥え、真央は肩までのストレートの黒髪を両脇で二つに結わえだした。
制服を入れたロッカーの扉を乱暴に閉じながら、理子は内心で(イライラもするってもんよ!)と愚痴る。なにせ、カッコイイ男の人とお話できるチャンス到来かとワクワクしたのも束の間、その相手が思いっ切りのヘンタイだったのだから。
“ 恋の始まりはドラマチックに! ” とは確かに願っていた。そう願ってはいたけれど、その運命の出会いが「貴女のブラを見せてくれませんか?」ではあまりも強烈すぎる。
「今朝ヘンタイに遭遇したのよっ」
不機嫌な理由を重ねて尋ねてくる真央に、一言で答える。
しかしそれがあまりにも大きな声だったので、すでに着替えの終わっていた理子の周りにたちまち騒々しい女の人垣が出来あがった。
「えっ理子、電車で痴漢に遭ったの!?」
「あれってムカツクよね~! 実はアタシも先週お尻触られてるのよ!」
「ウッソ! 私は一昨日! ちゃんと通報した?」
「ううん、私は逃げられちゃったの! でもホント最低だよね、こっちが反撃できないと思ってさ! 女の敵って感じ!」
「私、次やられたら絶対警察に突き出してやるもんね! あ~思い出したらまた頭に来たーっ! ちょっと理子ッ! あんたもちゃんとしなさいよ!? こっちにも隙があるからやられちゃうんだからね!」
「えっ!? あ、う、うん。分かった、気をつけるよ……」
思っても見ない方向に事態が展開していったので小さな声で嘘をつき、とりあえず周りに話を合わせた。そこへいいタイミングで休み時間終了のチャイム。
クラスメイト達はお喋りを止めてぞろぞろとグラウンドへ向かい出した。理子はホッと胸を撫で下ろし、親友を促す。
「真央、行こっ」
うん、と真央は頷いたが、理子に向かって小さく手招きをした。
「何? 真央」
「ちょっと耳かして」
真央は理子よりも身長が低いので理子が身をかがめないと耳打ちが出来ない。言われた通りに少しだけ身をかがめると。周りに聞こえないようにと気を配った真央の小さな声が鼓膜に届いた。
「……理子、本当は痴漢になんて遭ってないでしょ?」
人間、驚くと一瞬背筋が伸びるのは本当だ。
「な、なんで!?」
「適当に話し合わせたの、ミエミエよ?」
「だ、だって、あの流れじゃ本当のこと言えなかったんだもん!」
「じゃあヘンタイに遭った、って一体どういうことなの?」
「……う、うん、実は今朝ヌゥちゃんといつもの朝のお散歩に行ったんだけどね……」
グラウンドへ向かいながら、真子に今朝の出来事の一部始終を話した。説明しているうちにまた朝のあの光景がありありと甦り、勝手に気持ちがヒートアップしてくる。
「……ふぅん、確かにちょっと気味悪いわね」
「ちょっとどころじゃないわよっ! だってブラの写真がこれでもか! とばかりに載っているページを一人でじーっと穴の開くくらい真剣に見つめててさ、そんで最後に私に向かって“ ブラ見せてくれませんか ”よ!? もうヘンタイよっ、筋金入りのヘンターイッ!」
ちょうどすれ違おうとしていた男子生徒が自分に向けられた言葉かと勘違いし、慌てて飛びのいている。
「理子、怒るのは分かるけどもうちょっと声抑えて……」
真央は困ったような笑い顔で理子をたしなめた。
「……い、いけない、つい我を忘れて……」
「でね、理子。“ ブラ見せて ” って言われた後、その人になんて言ったの?」
「なっ、何も言うわけないじゃないのぉーッ!」
「理子ッ、シーッ!」
「あ!」
慌てて自分の口元を一旦手で押さえる。声を落として教えたが、ボリュームを下げすぎて今度は囁き声になってしまった。
「……何も言わないで頬に平手打ちして逃げてきたわよ……」
「ウソ! 理子ってばスゴイ……」
「だ、だって “ ブラ見せて ” よ!? すっごく恥ずかしくて、もう顔から火が出そうだったんだから! それにいきなり面と向かってそんなこと言われたら普通の女の子なら当然引っぱたくぐらいすると思うけど?」
「でも “ 見せてくれませんか? ” って聞いてきただけでしょ? 無理やり見ようとしてきたわけでもないのにいきなり叩いちゃうなんて、ちょっとやり過ぎのような気がするな。それにきっと私だったら驚いていつまでも立ち尽くしていそうっ」
のんびりとした性格の真央は理子を見上げてフフッと笑う。
「……そ、そっかな……」
親友からそう言われた理子は、やっぱりあの時いきなり引っぱたいたのはちょっとやり過ぎだったかも、と少しだけ反省した。
早朝の公園。
パーンという乾いた音が辺り一円に響き、みるみるうちに赤くなる左頬を手で押さえ、理子を呆然と見つめていたあの青年の顔を思い出す。
( ── うん、そういえば真面目に頼んできたような気がしないわけでもなかったような……。痛かったかな、あの人。痛かったよね。だって思い切り引っぱたいたから、頬、 あんなに真っ赤になっちゃってたもん……)
「やだ、理子、大変!」
真央が急に焦った声を出す。珍しい。
「早く行かないと授業に遅れちゃうっ!」
気付くとさっきまで近くを歩いていたクラスメイトはどこにも見当たらない。いつの間にか足が止まり、廊下で立ち話をしていたせいだ。
「えーっ! 遅れたら広部先生にグラウンド三周させられるーっ!」
「急ぎましょ!」
二人は急いで靴を履き替え、外に向かって走り出した。しかし体育教師の広部修はもうすでにグラウンドに来ており、クラスメイトは全員体育座りをして広部の話を聞いている最中だった。大柄な体格の広部は走ってくる理子と真央に気付くと、隆々とした筋肉がついた両肩をいからせながら二人に向かって大声で怒鳴る。
「くぉらぁ! お前達遅いぞ!」
「す、すみませーん!」
「遅刻の罰だ! そのままグラウンド三周! とっとと行ってこーい!」
「は~い……」
「理子~! 真央~! ファイト~!」
「しっかりね~!」
クラスメイト達が叱られた二人を人事だと思ってめいめいに茶化す。
「真央、ごめんね……。私のせいでグラウンド三周の刑になっちゃって……」
「うぅん、色々聞いたのは私だし。私の方こそごめんね。じゃ行こ!」
二人はお互いの顔を見てニコッと笑いあい、走り始めた。しかしこの後の体育のことを考えて、体力温存のために走るスピードをお互いさりげなく加減するのは忘れない。
「ふぅ、あと一周だね、理子」
運動オンチな真央はもう半分ばてているようだ。
「今日の体育がマラソンじゃなくて良かったよね、真央」
「ホント。この後また走らされたら私はビリ確実よ」
「真央は体育が苦手だもんね…………って!? ひええぇぇぇーッ!?」
「な、何? 急に変な声出してどうしたの、理子?」
「まっ、真央っ! 走って! もっと早くっ!」
「え? どうしたのよ? だって体力を残しておかないと……」
「いいからッ!」
理子は真央の手首をがっしりと掴み、スピードを上げて残りの距離を一気に走り切った。
息を切らせながらクラスメイト達の元に戻ると、先ほどまで渋い表情をしていた広部が日に焼けた両腕を組み、一人感動している。
「久住! お前最後の周に急にペースを上げたじゃないか! 井関の手を引いてあれだけ早く走れるなんて大したもんだ!」
「い、いえ……」
三周目を必死に走った理由をこの場で言えない理子はそう言葉を濁すしかなかった。横で真央が理由を聞きたそうな顔をしていたが、「後で」と小声で呟き目配せをする。
その四十分後。
体育の授業が終わりロッカールームに戻る途中で、理子は真央が尋ねてくる前に自分の方から勢い込んで話し出す。
「真央! いっ、いたのよ、あの男がッ!」
「あの男?」
「朝のヘンタイ男よッ!」
口角泡を飛ばしかねないほどの勢いで理子は叫ぶ。
「さっきグラウンドを走っていた時、フェンスの向こう側にいたの! 私の方を見て手を振ってた!」
「朝の人ってあの男の人なの? 私も見たわよ。髪が赤くて背の高い男の人でしょ? 理子、あの人に学校教えたの?」
「おっ、教えるわけないじゃないっ!」
「じゃあなんで理子がここにいるって分かったのかしらね」
アルカリに反応したリトマス試験紙のように理子の顔色が即座に変わる。
「真央っ、もしかしてストーカーだったらどうしようっ!」
「う~ん、ストーカーではないと思うけどなぁ……」
「もうっ、真央は他人事だからそんなお気楽なことが言えるのよーっ!」
ロッカールームで絶叫する理子に、「うぅん、そんなことないよ?」と答えた後、真央は両脇のゴムをほどき始める。
「そりゃあ、私もさっきの理子の話だけを聞いた時はちょっと不安を感じたけど、でも実際に見てみたら全然そんな雰囲気の人じゃなかったんだもの。だってあの人、とっても優しそうな顔で理子の方を見てたよ? 単に理子の事が好きになってここに会いに来ただけじゃないの?」
「エッ……!?」
真子がサラリと言い出したその言葉は理子のハートを一瞬強く突いた。でもそれは心地良い痛みだった。
「でももしそうだったら理子ってばいいなぁ~。だってあの男の人、かなりかっこよかったもん! どっちが先に彼氏ができるかな、なんてこの間私言ったけど、この分じゃ理子にあっさり先越されちゃうかもね?」
この真央の言葉でスイッチがONに切り替わる。
待ってました! とばかりに乙女妄想回路がここぞとばかりにフル稼働を始めた。
理子の脳内のみ限定で只今絶賛公開中の妄想劇場は今、厳かに幕が上がる。
ただし、たった今上演開始になったばかりなのに、すでにクライマックスシーンなのはご愛嬌。
白いタキシードに身を包んだあの赤い髪の男が胸に手を当て、女王に永遠の忠誠を誓う騎士スタイルで理子の目前にスッと片膝をつき、「どうか自分と付き合って下さい!」と告白している場面が何度も繰り返されている。放っておくと無限に続いてゆく、恐怖のループシアターだ。
しかしそんな夢見心地な時もほんのわずかな時間で強制終了する。
「理子? 私の話、ちゃんと聞いてる?」
真央の言葉でハッと現実に戻り、理子の妄想劇場は敢え無くカーテンコールを迎えた。
そして舞台衣装をつけたまま急遽楽屋に戻らされたせいで、とても重要だが気付きたくなかった事実にまで気付いてしまう。
「……真央……今、一瞬でも彼氏が出来るかも、なんて夢見た私は馬鹿みたい……」
肩を落とす理子に「どうして?」と、真央が尋ねる。
制服に着替えるために脱いだ体操着のシャツを胸の前で抱え、理子は周りに聞こえないように小声で叫んだ。
「だって、だってよ? いくら好きになったからって言ったって……! どこの世界に会っていきなり “ ブラ見せて ” なんて頼んでくる男がいるっていうのよッ……!?」
「……あ、そうか、それもそうだよね……うん……」
上半身、水色のブラ一枚でガックリ落ち込む理子にさすがに上手くフォローする言葉が見当たらず、真央はそそくさと着替えを始める。
教室に戻るとすぐに帰りのホームルームが始まった。
担任が明日の行事予定をエンエンと話していたが、数分おきに教室の窓ガラスから何度もチラチラと外を見ていた理子はその話のほとんどを上の空で聞いていた。
( ……あの人、もしかしてまだあそこにいるのかなぁ……。今日はこれで学校も終わりだし、あのまま待ち伏せされていたらどうしよう……)
確かにいきなり引っぱたいた事はほんの少しだけ反省した。それは事実。
だがあの青年が再び目の前に現れ、、またしても「ブラを見せてくれませんか」などとフザけた事を言ってきたら、脳から電気信号で送られる条件反射で、あの端正な顔をもう一度引っぱたいてしまいそうな気がしてならなかった。