Bloody Hands <3>
時刻はすでに午前三時を過ぎていたが、少女と巻尺の会話はまだ続いていた。
「武蔵」
「あ?」
「コウと武蔵ってさ、特別な絆があるよね。それ、すごく感じる」
「……まぁな。コウがまだガキだった頃から、俺らはずっと一緒にいるからなぁ」
武蔵が言葉の一つ一つに混入させる不揃いな間。そのせいで音声の中に懐かしさがこもっているような錯覚すら覚える。
「そんな小さな頃から!? コウってそんな子供の頃からブラを作る仕事をしていたの!?」
純粋に驚いた理子が大きな瞳をさらに見開いてそう尋ねると、
「おい子雌、お前さっきから鋭いとこばかり衝いてくるじゃねぇか……」
電脳巻尺のブルーランプが点灯し続ける。やがてその光が再び消えた時、武蔵がボソリとその問いに答えた。
「確かに今の俺の主人はコウだが、昔は違ったんだよ」
「あんたの前のマスターって誰?」
「……名は漸次。コウの親父さんだ。漸次さんもコウと同じ職業なのは知ってるか、子雌?」
以前にコウが、“ 僕の家は祖父の代からの女性下着専門店なんです ” と話してくれたことをしっかりと覚えていた理子は、「うん」と頷く。それを確認した武蔵は続きを話し始めた。
「普通、俺ら電脳巻尺はな、女性下着請負人の資格を取った奴らに “ 女性下着縫製協会 ” の方から支給されるものなんだ。だが俺の場合は特例みたいなもんで、試験をパスして資格を取ったコウがこの俺を専属の電脳巻尺として登録し、本来コウに与えられるはずだった電脳巻尺が代わりに漸次さんの所に行ったってわけよ。ま、簡単に言やぁ、チェンジしたってことだな」
「ふぅん……」
そう相槌を打ったが、コウがわざわざそんな面倒な事をした理由が今の理子にはよく分かる。
「コウは武蔵のことをすごく大切にしてるよね。だって前に武蔵のことを “ 僕の家族 ” って言ってたもん」
「ななっ、なにィーッ!?」
音声のトーンが途中から不自然に上がった。
「コッ、コウの奴、そんな事言ってたのかよっ!? チッ……、しょっ、しょうがねぇなぁコウは! 俺らはあくまで “ 操作者 ” と “ 補佐物 ” の関係なのによ……! どうかしてるぜ、ったくよ!」
そう呆れたように言いつつも、なぜか武蔵は収納口からメジャーテープを意味無く何度もピロピロと出し入れさせ始め、しかもその動きをエンエンと繰り返している。そんな武蔵を見た理子は思わずプッと吹き出した。
「な、なんだよ子雌!? 何笑ってんだ!?」
「……武蔵、照れてるんでしょ?」
「だだだだだれが照れてるかよ!! こっ、子雌のくせに男をからかうな!」
機械のくせに自らを男と言い張る武蔵に理子が笑い声を上げると、武蔵は悔しそうに垂れ下がっていた巻尺を収納する。その直後、室内に青い光が二度だけゆっくりと点滅した。
「でもようやく笑ったな、子雌」
今の青いサインはきっと安堵の意味だ、そう直感した理子に、武蔵が突然本題を切り出す。
「おい子雌、お前に折り入って頼みがある」
その声には真剣味が感じられる。電脳巻尺にもし表情が作れるとしたら、たぶんこれ以上無いくらいの真剣な顔をしていたに違いない。
「頼みって?」
「……酷い目に遭わせちまったのは分かってる。だがコウが今夜お前にした事を、許してやってくれないか……? 明日の朝に目を覚ましたら、コウは多分お前を襲おうとした事を覚えていないと思う。また錯乱して何かやったんだな、ぐらいの記憶しか残っていないんだ。こいつも可哀想な奴なんだよ。だから、だから頼む。こいつを許してやってくれ……!」
頭を下げているつもりなのか、武蔵は理子に向けて軽く本体を前傾させる。収納口の銀枠がフローリングに当たり、コトリ、と小さな音がした。
今まで自分に散々不遜な態度を取ってきた傲慢な武蔵がここまで神妙に頼み込む姿に、少女は胸を打たれる。
「……うん、いいよ。今夜の事、全部許すよ」
理子は噛み締めるようにそう答える。
黒煙の立ち込める廃墟の中、光を失った瞳で空を見上げる少年の横顔を思い返しながら。
「済まねぇ……! 恩にきるよ子雌!」
斜めになっていた体勢を水平に戻し、武蔵は嬉しそうに言った。
「もう金輪際コウには酒を飲ませないようにするからな! 俺がしっかり監視するからよ!」
「ううん、それはうちのお父さんが悪いんでしょ? コウならきっともう飲まないよ。私の方からもお父さんにキツく言っておくから」
「あぁ、頼む」
そう言うと武蔵はまたメジャーテープを一本だけ宙に出した。
「握手だ、子雌」
「え?」
「お前、気が強くて野蛮なだけのメスかと思ったが結構イイ奴だな。お前のこと認めるよ。だから握手だ。手を出せよ」
「う、うん」
理子がおずおずと右手を差し出すと、宙を漂っていたメジャーテープがグルグルと包帯のようにきつく手の甲に巻きつく。
「これからよろしくな、子雌」
「……ねぇ、いい加減にそのヘンな呼び方は止めてくれない?」
「無理だな。なんかもう呼び癖がついちまった。諦めろ」
「あんたねぇ……!」
「さぁてと!」
理子の手から巻尺を外すと武蔵はさっさと宙に浮き上がり、コウの側に移動する。
「じゃあ子雌、悪いが今夜はコウのこと頼むな?」
「ハ!?」
「だってよ、こいつもう朝まで絶対に目を覚まさないぜ? ここに泊めてやってくれよ」
「エエエエ――ッ!?」
乙女の絶叫が室内を放射状に拡散する。
「こここ、ここって、まっまさか、そそそそそのベッドじゃないでしょうねっ!?」
「他にどこがあるんだよ?」
「あんたがコウを連れて帰ってよっ!」
「バカ言うなよ。確かにコイツは細身だがそれだって男だ。それなりに重量あるだろ。運べるわけないだろうが」
「昨日私を玄関からあんなにスゴい力で引っ張ったじゃないっ!」
「あれはちょいと牽引しただけだろうが。人間を吊り下げて長距離を空中移動となると無理だな。さすがの俺も壊れちまうよ」
どうしてもここで引き下がるわけにはいかない理子は必死に食い下がる。
「だってベッドは一つしかないのよっ!?」
「いいじゃねぇか。コウは朝まで起きないからもう襲われることはねぇって。安心して寝ろ。ちょっと狭いだろうが一日くらい我慢しろよ」
「じゃっ、じゃあ床に置く! 手伝ってよ武蔵!」
「おい……この寒い時期にコウを床に放置するってか? お前は鬼か」
「ちゃんと布団はかけてあげるわよ!」
「こんな固い床で寝かすのか? 可哀想だろうが。動かすの面倒だしよ、いいじゃねぇか、そこで」
「ダメダメダメダメダメ――ッ!」
そのあまりの拒絶ぶりに武蔵は横たわるコウの脇に静かに降りた。
「……なぁ、なんでお前そこまでコウを拒絶すんだよ? あーあ、もしコウがこの事を知ったら相当なショックを受けるぜ、きっとな」
「ちっ、違うの──っ!」
理子は大声で叫び、ベッドに横たわるコウをビシッと指差す。
「コウを拒絶してるんじゃないの! 男の人と、いっ、一緒のベッドで眠れるわけないじゃないっ!」
神経麻酔が本格的に効き始めているのか、目を閉じているコウはだいぶ安らかな顔になってきている。
「何? そんな理由かよ? しっかしお前って本当にウブだなぁ……。まぁだからこそコウもこうやって暴走しちまったのかもなぁ」
「な、なによそれ?」
「いやだからさっきも言ったけどよ、コウが今回破壊活動を一切しなかった理由さ。あの杯を受けた時点でいつもならとっくに理性は無くなっていたはずなのに、コウは最後までお前の親父さんの酒の席に付き合ってよ、しかも酔っ払った親父さんをかついで帰ってきたんだ。今までのコウならこんなこと絶対ありえねぇ。すぐにあの酒場を飛び出してどこかのでかい建物をぶっ壊しに行ったはずだ」
── あ。
そうだ。そう言われて初めてその事実に気がつく。
「……どうして今回コウはすぐに暴走しなかったのかな?」
「そうだな、俺の推測ではたぶん理性のスイッチが今回は全部倒れきらなかったんだと思う。きっとコウ自身が自分の中で必死で戦ったんだよ。そして何とか残ったわずかな理性でお前の親父さんをここまで送ってきたんだ。そして無事に届け終わって気が緩んだ瞬間に完全に本能化したんだろうな。……だがよ、それでもこいつは破壊行動には出なかった」
ベッドの上で眠る赤髪のライオンを黙って眺めている理子の側に、浮き上がった武蔵が音も無く近寄る。
「…………コウはそれだけ本気でお前が欲しかったんだなぁ…………」
意図的にトーンを下げた武蔵の音声が室内に静かに響く。
その言葉がまた少女の心を大きく揺らし、その場に佇む理子の胸の奥は再び熱く火照り始めていた。




