- Risky Lion - <3>
「あぁリコさん、動かないで下さいね」
顔を赤らめ小さく身をよじらせた理子に、コウの口から優しくではあるがそれをたしなめる言葉が出る。
「そっそんなこと言ったって……!」
口を尖らせ強気に言い返すも、今のこの状況はあまりにも理子に分が悪すぎる。ブラのサイドボーン部分と素肌の間に指をスッと差し込まれ、身体がビクリと反応してしまったのだ。
── 現在試着ブラ七枚目也──。
コウは、自分の贈ったブラが理子の身体を無理に締め付けすぎていないかを確認している真っ最中だ。
結局アタッシュケースの中にあったブラすべての試着を半強制的にさせられ、少女の精神はすでに限界にきている。
そして華々しくラストを飾るはこの真っ赤なフロントホックブラ。
体中を恥ずかしさで一杯にさせ、理子は必死に耐える。だがそれでも最後までなんとか耐え切る事ができそうなのは、目の前でフィット具合を細かくチェックするコウの表情が真剣そのものだったからだ。
スーツの上着を脱ぎ、Yシャツの両袖をまくって跪いている一人の青年。
この女性下着請負人の眼鏡の奥にある瞳には邪な色など欠片も無い。
そこにあるのは凛々しい職人の顔のみだ。
「失礼します」
コウはその言葉と共に、様々な角度からブラのフィット具合を確認し、時折そっとブラに手を触れてくる。今回はストラップを少し持ち上げられ、ワイヤーが理子のバストラインにそった自然なカーブになっているかをすぐ側で目視された。
恥ずかしさのため加速し続ける心臓の鼓動が痛いぐらいだ。この小さな胸が心臓の鼓動でかすかに揺れていないかとヒヤヒヤする。
「ひゃあぁっ……ん!」
胸の谷間の下、アンダーラインの部分を優しく指でなぞられ、思わず出てしまったあえぎ声にも似た自分の声に、顔が茹でダコのように真っ赤になってしまう理子。
コウの指は骨ばってはいるものの、女性のように綺麗な手なのですんなりと柔肌の上を滑る。それが心地よくもあり、同時にくすぐったくもあるのだ。そんな理子を気遣ってか、「済みません、くすぐったかったですか」とコウはあくまで紳士的な姿勢を崩さない。
―― そこでパチン、と小気味よい音。
フックがきちんとかみ合っているか、そのホールド具合を確認する為にフロントホックブラの前フックが見事な手際で外された。早い。とにかく早い。
「ヒャアッ!?」
理子は慌てて両腕をクロスさせる。あと一秒遅かったら昨日に引き続き、間違いなくコウの目の前で “ 生バストご開帳! ” となるところだった。
「ちょっ、ちょっとコウ! 外すなら外すって言ってよ!」
乙女にも心の準備というものがある。
済みません、と謝罪した後で、今まで請け負ってきた全ての顧客に告げてきたと思われる、この締めの言葉と共にコウは微笑んだ。
「はいOKです! お疲れ様でした」
……や、やっと終わった……。
長い闘いだった。自分で自分を褒めてやりたい。後はまたコウに背を向けさせてブラや服を元通りに身につけるだけだ。
その時、
「理子、入るわよー?」
かなり強めの音で部屋の扉がノックされ、弓希子の大きな声が戸口の向こう側から聞こえてきた。
「エエッ!? まっままままま待ってお母さんっ!!」
万事休すだ。
理子は慌ててそう叫んだが、せっかちな弓希子によって無情にもドアは大きく開かれる。
「…………あら」
中の二人の様子を見た弓希子は一言そう言うと足を止めた。
今にもずり落ちそうなブラを必死に押さえている理子に、そのすぐ向かいで跪いているコウ。そんな二人をしげしげと眺めた後、弓希子は意味深な笑みを浮かべながらコウに向かって尋ねる。
「なんだかお邪魔しちゃったみたいね……。で、蕪利さん、これから始めるの? それとももうフィニッシュ?」
コウは立ち上がり、捲り上げたYシャツの袖を元通りに下ろしながら爽やかに答える。
「はいっ、たった今終了しました!」
── いざ果てしない、勘違い・ザ・ワールドが今まさにこの瞬間から始まろうとしている。
「バッ、バカバカッ! 何言ってんのよコウッ!」
真っ赤な顔で理子はコウを叱ったが、コウは涼しい顔で、
「でもちょうど今終わったところじゃありませんか。あ、これどうぞ」
と制服のシャツを差し出してくる。
そのやり取りを見ていた弓希子は見事に予想通りの勘違いをしたようだ。
「終了か……。ちょっと理子、あんたちゃんと声控えめにしたんでしょうね?」
「だからお母さんっ違うってば──っ!」
「拓斗も向かいの部屋にいるんだからね? あんたも姉なんだから、その辺の事は一応考えて配慮してくれないと。あんまり強烈な刺激を与えるとあの年頃は色々と厄介なんだから」
「それでしたら大丈夫です!」
ここで空気の読めない青年がまた爽やかに口を挟む。
「リコさんは声はほとんど出されていませんでしたから。あ、でも一度だけ我慢できない時がありましたね。済みませんでしたリコさん。次回触る時は気をつけますね!」
「コッ、コウッ!?」
── この状況から抜け出す道は最早無し。完璧な泥沼コースまっしぐらだ。
「あら、そう。ならいいんだけどね。でもいいわね若いって……」
昔の何かを思い出したのか、弓希子は遠い目をし、フゥ、となんとも悩ましげなため息をつく。
「あ、蕪利さん。ウチのダンナが今帰ってきたのよ。でね、あなたと二人だけで話がしたいって言ってるのよね。今いい?」
「はい。構いません」
「じゃ、来て。下の書斎で待ってるから」
「はい。じゃあリコさん、行ってきます」
再び背広を羽織り、眼鏡の位置をきちんと決め直すとコウは弓希子に連れられて部屋を出て行く。すると閉められようとしていたドアがまた素早く開き、隙間から弓希子が顔を出した。
「理子、あんたもいつまでも情事の余韻に浸ってないでさっさと服着ちゃいなさいよ?」
「じょっ、情……!?」
バタン、とドアが閉まる。急激に身体の力が抜けて理子はその場に座り込んだ。
だが感覚が完全に麻痺したのか、もう怒る気力は完全に無くなっている。
「…………なんで私がこんな目に…………」
とりあえず今の内に服を着ておかないといつまたコウが戻ってくるか分からない。
今外されたブラを急いで身につける。その時ふと姿見に映っている自分を見て理子は一つ気付いたことがあった。
胸の大きさも形も変わったような気がするのだ。
もちろん小さいことは小さいのだが、理子の二つの丘陵はピン、と自己を主張している。
ブラ自体も決して大げさな表現ではなく、“ 包み込まれる ” ような感覚で、それでいてバストをしっかりとサポートしているのが分かる。着け心地もとても良い。
思わず姿見の自分の胸に魅入り、オーダーメイドで作るブラは市販のものとはまったく違うことを体感していると、またドアがノックされた。
「リコさん、入ってもよろしいですか?」
── コウだ! もうお父さんとの話終わったの!?
「ダッ、ダメ! まだダメーッ!」
そう叫ぶと慌てて服を着る。手近にあった制服のシャツを掴んで急いでそれを身につけた。本当は私服に着替えたかったが仕方が無い。シャツを着終わると「い、いいよ」と声をかける。
「失礼します」
ドアが開いてコウが入ってくる。
「リコさん。お父様が呼んでますよ」
「え? 私?」
「はい」
「コウ、お父さんに何言われたの……?」
実は先ほどから心配でたまらなかったのだ。日頃から自分に対する父の溺愛ぶりに迷惑している理子としては、礼人がコウに何を言ったのかがとても気になる。
お父さん、まさか錯乱して暴力でもふるわなかっただろうかと思い、さりげなくコウの全身をチェックしてみたが、眼鏡も割れていないし、顔にも殴られた痣などはない。
コウはニッコリと笑うと穏やかな声で言う。
「お父様は貴女のことをよろしく頼む、と仰ってました」
「ウソッ!?」
思わず大声を出してしまった。
「いえ本当です。さ、早く下に行って来てください。お父様が待ってますよ」
「う、うん……」
コウに急き立てられ、とりあえず一階へと下りた理子は疑惑心フル満タンで礼人の部屋の前に立つ。
扉の向こうがやけに静かなのが気になったので、元気良く入ろうと心に決めてドアのノブにグッと手をかけた。