- Risky Lion - <2>
今の呼びかけが疑問系になってしまったのは、コウの格好が見慣れないものだったせいだ。
紅い夕日が差し込むリビング内にいる、細身のスーツを着た青年。
暖かな色合いのダークブラウンのスーツに、ホワイトカラーのシャツ。濃いマスタード色のネクタイを締め、しかも銀縁の眼鏡までかけている。これで髪の色が暗赤でなければ、どこかの上場企業に勤めるビジネスマンのようだ。
「理子っ、アンタいつの間にこんな素敵な人とお付き合いしていたのよ!?」
お帰りの挨拶も無しに、弓希子が興奮した声を張り上げて駆け寄ってくる。
「この私に今日まで気付かせないなんてさすがは私の娘! 血は争えないわね! さ、いいから早くそこに座りなさい! 蕪利さん、わざわざウチに挨拶に来てくれたんだから!」
宙を飛ぶような勢いでやってきた弓希子に肩を掴まれ、引っぺがすようにコートを脱がされると強引にコウの横に座らされた。唖然として隣を見上げると、いつものあの穏やかな笑みとぶつかる。眼鏡をかけてはいるが、その奥の瞳は見慣れた柔和な光で、この人物は間違いなくコウだ、と理子はやっと認識する。
「それで蕪利さん、話は戻るけど、ウチの理子とはまだお付き合いを始めたばかりなのね?」
待ちきれなさを隠す事無く前面に押し出して、弓希子が会話の続きを始める。この様子からも理子が帰ってくるまでにもコウに矢継ぎ早に色んな質問をしてたであろうことは容易に想像が出来た。
コウは理子から弓希子に視線を移し、よく通る声で答える。
「いえ、まだリコさんからはきちんとしたお返事はいただいていないんです。僕から一方的に告白しただけで」
「なに言ってるの! アナタみたいにしっかりしていて素敵な男性をウチの理子がお断りするわけないじゃない! ねぇ理子!?」
「……コウ、これはどういう事!?」
怒りを押し殺して低い声で尋ねる理子にコウは笑みだけで返事をする。
「笑ってないで答えてよ!」
「あらあら、ごめんなさいね蕪利さん。この娘ったらきっと照れてるのよ。何分、今まで男性ときちんとお付き合いしたことが無いからね……。まだあっちの方も全然分かってないと思うけど、そこは蕪利さんがこれから色々とレクチャーしてあげてね」
「ちょっ、お母さんてば何言い出してんのよっ!?」
「何よ本当のことじゃないの。それより蕪利さん、今日は我が家で夕食を食べていって! うちのダンナもまたすぐ帰ってくると思うから」
「はい。ありがとうございます。リコさんのお父様にももう一度ご挨拶したいのでお言葉に甘えさせていただきます」
「じゃあ私、これから夕食の支度をするから、蕪利さんは理子の部屋で休んでてよ」
「なっ! なによそれっ! 勝手に決めないでよお母さん!」
「いいじゃないの、別に! ねぇ蕪利さん?」
「えぇ、僕もリコさんのお部屋を見たいです」
足元に置いてあった黒のアタッシュケースを手にコウは立ち上がる。
「リコさん。お部屋はどちらですか?」
「階段を昇って右側の部屋よ」
と弓希子が代わりに答える。
「はい。では行きましょうか、リコさん」
ヌーベルが先にリビングを飛び出して一声吠えた後、“ ホラ、こっちだよ! ” とコウを先導し始めている。
「ヌゥちゃん、あんたまで……」
現時点でこの家の中に自分の味方は誰もいないようだ。
外堀を完璧に埋められ、いざ城に攻め込まれる寸前の将軍の心境ってこういう感じなのだろうかと思う理子であった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
渋々コウと共に二階へ上がると左側の部屋が開いて拓斗がヒョイと顔を出す。
「なぁコウさん、ウチで飯食ってくんだろ?」
「えぇ拓斗くん。図々しくそうさせてもらうことにしました」
「構わねぇよ。食ってけ食ってけ!」
理子は叫びたいのを堪え、額に手を当てながら呟く。
「……ちょっとあんた達、なんでそんなに意気投合してんのよ!?」
「なんでって、姉ちゃんの初めての彼氏だろ? 粗相があっちゃいけねぇじゃん! じゃあコウさん後でな!」
「えぇ後でまた」
バタンと拓斗の部屋の扉が閉まる。
「リコさんのお部屋はこちらですか?」
反対側の扉の前でコウが明るく尋ねる。
「コウ! ちょっと来なさい!」
もう我慢の限界だ。自室のドアを開け、コウを中に入れるとこちらもバタンと荒々しくドアを閉める。
「…………どういうつもり!?」
ドアを背に精一杯睨みつけると、
「どういうつもり、とはどういう意味でしょうか?」
「家にまで押しかけてきてどういうつもりなのかって事! 第一、どうして私の家が分かったのよ!」
「ではお一つずつ回答させていただきます」
コウは眼鏡の淵に軽く手を当ててずれを直すと一つ咳払いをした。まるでこれからパネルディスカッションでも始めるかのようだ。
「まずリコさんのお宅がなぜ分かったかというご質問ですが、武蔵のおかげです」
「なによそれ!?」
「昨日、武蔵がリコさんのバストを測った際に貴女に発信機をつけたそうです。その後のリコさんの足取りを武蔵が追跡した結果、こちらのご住所が判明いたしました」
( ── あのエロ巻尺…………!!)
理子はぎりり、と下唇を噛む。
「そして、今日こちらにお伺いさせていただいたのも、武蔵からのアドバイスです」
アタッシュケースを床に寝かせ、コウはその場に跪く。
「あのエッチなしょうもない巻尺がなんて言ったのよ!?」
「将を射んとすればまず馬を射よ、と。ですから貴女を手に入れるためにはまずご家族の方に許しを得るべきだと僕は考えたんです」
「何よそれ! ふざけないで!」
するとコウはケースにかけていた手を一旦離し、弾かれたように立ち上がる。
「いえ、僕は本気です。本気で貴女が欲しいんです」
この大胆な台詞に理子の顔が一気に紅潮する。
「な、なにを言ってるのよ……」
心臓がドクドクと熱く脈打ちだし始めているのが分かる。
「リコさん、僕の事が嫌いですか? 貴女のお相手に僕はふさわしくない男でしょうか?」
コウがすぐ側まで詰め寄ってくる。
見慣れないスーツ姿のせいか、どうしても目の前の眼鏡をかけたこの青年が自分の知っているコウとうまく重ならない。畳み掛けるように尋ねられ、思わず一歩後ずさる。
「でももしリコさんがどうしても僕のことが嫌いだというのであれば、その時は潔く諦めるつもりです……」
後ずさりした理子にショックを受けたのか、コウは声を落とす。
「……お返事、今頂いてもよろしいですか?」
「まっ、待ってよ! そんな急に言われたって……!」
怒っていたはずなのにまた立場が逆転している。またこうしてコウのペースになってしまうのだ。
「僕とお付き合いしていただけますか?」
「だっ、だから待ってって言ってるでしょ!」
理子は大声で遮る。
「コウは何でもいきなり過ぎなの! 少しは私にも考えさせてってば!」
するとコウは真摯な態度のままで質問方法を変えてきた。
「では希望は持っていいのでしょうか?」
「……!」
言葉が出ない。
澄んだ真っ直ぐな視線が理子に向けられている。そこは一切の虚飾が無かった。感じられるのはコウのただひた向きな一途な情熱だけだ。
今が夕方で良かったと理子は心から思った。
窓から入る西日のおかげで顔が赤くなっているのがあまり目立たないで済んでいるからだ。朝にリボンを結んでいる時に感じた、あの上手く説明できない気持ちがまたふわりと身体の表面に出てきそうになる。
それをなんとか押し留めて赤い顔をわずかに背けると、視界の端でコウが嬉しそうに微笑むのが見えた。どうやら理子の沈黙を良い方に解釈したようだ。ほころぶようなその笑顔にまた頬の熱が勝手に上がる。
「ありがとうございます!」
素早く背中に手が回りお馴染みの抱擁タイムが始まるかと思いきや、コウはすぐにその抱擁を解く。
「そうだ、リコさんにプレゼントがあるんです!」
「プレゼント?」
「はい!」
コウはアタッシュケースのある場所に戻るとその蓋を開ける。
「こ、これって……」
絶句しかけた理子であったが、実はある程度の予想はついていた。
真っ黒で地味なケースの外側とは違い、内部はまさにカラーのワンダーランド、強烈な色彩天国がそこに展開されている。
「全部リコさんのものです。サイズはピッタリのはずですのでどうか受け取って下さい」
アタッシュケースの中身はブラで溢れかえっていた。赤・橙・黄・緑・青・藍・紫、とまさに箱に詰め込まれた極彩魔法である。
── 華やかなレース、手の込んだ刺繍、上品なフォルム、落ち着いた風格。
プロの技、飽くなき “ 職人魂 ” が感じられる気合の入った作品に仕上がっている。
「じゃあリコさん、つけてみてもらえますか?」
コウはその中の一つを手にすると本当に邪気の無い、幼い子供のような清らかな笑顔でそれを大きく広げる。
「ハ!?」
「フィットしているかどうか確認したいんです。もし合っていなければすぐにお直しさせていただきますので」
紫色のシャンテイ調のレースブラを手にコウがにこやかに近づいてくる。
「ままま待ってよ! まさかここでつけろっていうのっ!?」
「はいっ!」
元気な返事と共にパープルブラがずい、と目の前に差し出される。
ブラの事に関してはこの青年に何を言っても無駄だということが分かり、今度こそ本当に絶句する理子。そしてもう抵抗する気力がほぼ失せてしまった中、健気にも自分自身に向かって説得を始める。
( ── ど、どうせ昨日ハダカの胸を見られちゃってるもん! 今更ブラを見せることぐらいどうってことないじゃないっ!)
「あ、リコさん、よろしければ僕がつけましょうか?」
「い、いい! 分かった! つける! つけるから! 自分でつけるから向こうむいててよ!」
「はいっ」
コウは嬉しそうにブラを理子に手渡すと素直に背を向けた。
「いいって言うまで絶対こっち見ちゃダメだからね!?」
「分かりました。ではつけ終わるまでお待ちしています」
本当に振り向かないか、しばらくコウの背中を凝視した後、ため息を一つ。
( この先、私、一体どうなるんだろう…… )
少女は美しいパープルブラを手にうな垂れる。
脳内でポップ調のドナドナマーチがエンドレスで流れ始める中、観念した理子は制服のジャケットのボタンをゆっくりと一つずつ、おずおずと外し始めた。