MUSASHI 来襲! <3>
「ちょっとコウ! そっ、それどういう意味っ!?」
「じゃあ先に測ってしまいましょうか。ではリコさん、失礼します」
理子の着ていたベロア素材のワイン色のカットソーがコウの手であっという間に捲り上げられる。
「ひゃああああああっ!?」
ベビーピンクのブラが “ Yeah! Hello! ” 状態だ。
以前、脳内の乙女妄想回路で空想した演劇の舞台の時のように、コウは理子の前に片膝をついて跪いてはいる。が、口にする台詞は「どうか自分と付き合って下さい!」ではもちろん無い。
代わりに、
「採寸はすぐに終わりますからね」
とニッコリ微笑み、華麗に言ってのけてくる。
( ── さ、さっきあんな殊勝な顔してたくせに、この人、私の言ったことを全っ然分かってないじゃないのぉぉぉぉーっ!!)
先ほどのコウとのやり取りがすべてムダだった事を悟った理子は、慌ててたくし上げられたカットソーを必死に引き下ろす。
「だっだからブラはいらないって言ってるでしょーっ!」
すると「おい子雌!」と頭上から声。
「お前、コウにブラを作ってもらえるのがどれだけありがたいことか分かってないな? いいか、よく聞け。コウのブラが欲しい客はな、普通は最低で一ヶ月、シーズンによっては三ヶ月近く待たされるんだぞ? それをこうしてすぐに作ってもらえるんだ、少しはありがたがれよ。ったく無知とはいえ、罰当たりなヤツだな」
「そっそんな事知らないわよっ! とにかくいらないっ! わっ私、もう帰るから!」
貞操の危機を感じた少女はキッチンから脱出する。
「おい、子雌が逃げたぞ。どうすんだ、コウ?」
「困りましたね……。正確なサイズが分からないとブラは作れませんし……」
キッチンから聞こえてくる暢気な話し合いを背に、玄関まで一気に走る。カジュアルブーツを急いで手に取ったその時。
「じゃあ実力行使しかねぇよなぁ」
武蔵の声だ。
間髪入れずにシュン、と鋭く短い音が鳴り、それは廊下の空気を真っ二つに切り裂く。
「きゃあぁぁぁーッ!?」
一瞬にして身体の自由が奪われた。
廊下の奥から飛んできた白い紐のようなものが理子の上半身にグルグルと巻きついたせいだ。
よく見るとただの紐ではない。色々な数字や記号、それに線が書き込まれている。
そしてこの紐の正体が巻尺の紐、メジャーテープな事に気付いた直後、理子の身体はあっという間にグイグイとキッチンへと連れ戻される。たかが直径十センチほどの巻尺のくせにすごいパワーだ。
「お帰りなさい、リコさん」
「手間かけさすんじゃねぇよ、子雌」
キッチンで再びご対面した両名の台詞だ。
「やだやだやだー!! 絶対にやだー!! コウのエッチ!! スケベ!! ヘンターイ!!」
生バストを見られたくなくて全力でジタバタと暴れたが、上半身に巻きつけられた巻尺はびくともしない。もうこうなってはカゴの中の鳥、どう足掻いても逃げられない、子牛が荷馬車で売られてゆく哀れなドナドナ状態である。
「暴れてたら測れねぇじゃんかよ。ったく面倒くせぇ子雌だな」
なぜか武蔵は縛っていたメジャーテープをここでハラリと緩める。
身体に自由が戻り、やった! と思った瞬間、今度はテープは手首だけに巻きついた。そして一気に急上昇する。
「ひゃぁっ!?」
両手が高々と上に上げられ、爪先こそ床にかろうじてついているものの、理子は半分吊るされた格好になってしまった。
「なっなにすんのよっ!?」
「ほれコウ、子雌の手を押さえておくからパパッと済ましちまいな。早くしないと日が落ちちまう。寺に行けなくなるじゃねぇか」
「はい。では急いで」
コウが再び理子の前に歩み寄る。
「やっ、やめてってばコウ!! お願いっ!!」
理子は真っ赤な顔で必死に頼み込むが、返ってきた答えはまたしても、
「大丈夫ですよ。すぐに済みますので」
だった。
本当に、呆れるほどまったく分かっていない男がここにいる。
「だからそういう問題じゃないのーっ!」
しかし理子がいくら騒いでも場の流れは変わらない。コウは軽く一礼すると、採寸を行う前の最初の挨拶を口にする。
「では始めさせていただきます」
再びカットソーがふわりとたくしあげられた。
「ひえええっっ!!」
「武蔵。クロスピンありますか?」
「あぁ。ほらよ」
唐草文様部分がパクリと開き、武蔵の体内から小さなクリップのようなものが飛び出てくる。
「幾ついるんだ?」
「三……いえ、四つ下さい」
武蔵の内部に収納されていたそのクリップを使い、コウは捲り上げた理子のカットソーが落ちてこないように上部で次々と留め始める。
そしてカットソーを留め終わった後、理子の背中にコウの手が回った。
「やややややめてってばーっ!」
ほんのわずかだ。
それは時間にして一秒かかったか、かからないか。
たぶんかかっていないだろう。それほど見事な外しっぷりだった。
親指と人差し指、たった二本を合わせて軽く捻らせただけでパチン、と簡単にホックが外れる音がする。
( ―― プロだ……。やっぱりこの人、ブラのプロだ……!)
そのテクニックのあまりの見事さに、一瞬そんな感動すら湧いたほどの早業だった。
「あ、武蔵すみません、やっぱりもう一本クロスピン下さい」
「おう」
そして武蔵が追加で出した五本目のクロスピンがカットソーと一緒にしっかりと留めたのは、どうみても自分のものと思われる見慣れたベビーピンクのブラだった。
…………と、いうことは。
理子は恐る恐る真下に視線を向ける。しかし、たくしあげられたカットソーとブラで自分の胸は見えなかった。でも妙にスースーした感触が肌を刺す。
( ……ハ、ハダカ……見られてる……の……?)
羞恥のキャパシティを大きくオーバーしているこの非常事態に、少女の脳内はその活動を半分以上放棄してしまった。そんな理子の耳に穏やかなコウの声が響く。
「武蔵、まずはアンダーから行きます」
「今、子雌に一本使っちまってるからスペアの方でいいな?」
「えぇ、お願いします」
「そらよ」
パシュ、という音と共に武蔵の体内から二本目のメジャーテープが飛び出す。利き手で器用にテープをキャッチしたコウは滑らかな動きでそれを理子のアンダーの部分に当てた。
「……64ですね」
コウがそう呟いたのと同時に武蔵の体内がピッという音を発した。
「次はトップです。こちらは武蔵が測って下さい」
「了解」
武蔵自身の操作に切り替わったため、スペアテープが息吹を得たように独自の動きを始める。そして両手の空いたコウは理子のバストを下から包み込むようにクイと持ち上げた。
「いぃぇぇぇッ!?」
バストに直接コウの手が触れたのを感じ、おかしな奇声を上げてしまう理子。
( ── さっ、触られてる!? もしかして直に触られてるッ!?)
自分のバストを持ち上げているその手はまだ少し冷たかった。つい先ほど玄関で握られた時と同じ温度。やはりどうみても触られている。
「リコさん、緊張なさらないで下さい。立った状態でバストを測ると重力でバストが下垂してしまうのでこうして正しい位置に合わせて測るんです」
にこやかな説明が真下から聞こえてきた。
バストの最も隆起している部分にスルスルとテープが絡みつき、またピッという電子音。
「トップ測ったぜ、コウ」
「ではいつものように記録しておいてください」
武蔵は「了解」と言うと二本のメジャーテープを素早く体内に収納した。
両手の拘束が解かれて理子に自由が戻る。
だが身体と精神、その両方に受けたあまりのダメージに、理子は冷蔵庫に背中を預けながらキッチンの床にペタンと座り込んでしまった。
コウは跪いていた身をさらにかがめ、理子のカットソーにつけていたクロスピンを一つずつ外し出す。
「お疲れ様でした! 胸のカーヴもハンド採寸出来てますし、明日までにリコさんのブラをお作りしてお届けしますね!」
しかし放心状態の理子は返事をしない。するとクロスピンをすべて外し終えたコウは、更なる手伝いを申し出る。
「リコさん。よろしければそのブラ、僕がつけましょうか?」
この言葉が怒りのビッグ・バンへの最終起動スイッチだった。
半停止していた理子の神経回路がこの瞬間に一気に繋がる。
「コウのバカァァァァァァァ――――ッッッ!!!」
たぶんこれが今までで一番スナップが効いた一撃だ。
またしてもコウの頬を渾身の力をこめて思い切り引っぱたいた後、理子は服を元通りに引き下げ、リボンを掴むとこの修羅場ハウスから飛び出していった。
そして理子のいなくなったキッチンで男一名と機械一体の会話は続く。
「……しっかしやたらと気の強い子雌だな。今の絶対全力で引っぱたいてきたぞ?」
「まぁ慣れてますんで。これで三度目ですから」
リコの赤い手形がついた左頬をさすりながらコウは余裕の笑みだ。
「でもお前の好みがああいうタイプだったとはなぁ」
「意外でしたか?」
腕を組んでキッチン台に寄りかかり、そう武蔵に尋ねるコウの声はかすかに笑いを含んでいる。
「……いや、納得だね。なにせお前は真正のマゾ体質だからな」
「ははっ、相変わらず失礼ですね、武蔵は」
コウは身体をくの字に曲げて軽い笑い声を上げた。
「大体よ、あの子雌に惚れたきっかけが今みたいに顔を引っぱたかれたからなんだろ? それに今のビンタだってお前ならいくらでも避けられたはずなのにわざと喰らってたじゃねぇか」
「いえいえ、リコさんの手のあまりの速さにまったく避けられなかったんですよ」
「嘘つけっての! ま、いいや。じゃあ俺はまたちょっくら出かけてくるぜ」
再び外出しようとキッチンからリビングへ浮遊移動した武蔵は空中で一旦停止する。メジャーテープ収納口のすぐ上部にあるレンズが何かを捉えたようだ。
「おーいコウ。これなんだ?」
「なんですか?」
「これだよこれ」
リビングのテーブルの上に置かれている白い紙袋を武蔵はメジャーテープで指す。
「あぁ、そういえばリコさんが持ってきていた物ですね。一体何でしょう。忘れ物でしょうか」
「中身はなんだ?」
スペアのテープも出し、武蔵は二本のメジャーテープを手のように器用に動かして紙袋をがさごそと開ける。中にあったのは六匹のたい焼きだった。
「なんだ、“ 小麦の魚皮 ” じゃねぇか」
「あぁ、これは一石庵さんのたい焼きですね。ここのたい焼きってとても美味しいんですよ。白餡タイプのたい焼きが特に美味しいんです」
「ふーん、一応これを手土産を持ってきたってことか。多少は気が利くところがあるじゃねぇか」
「そうですね。本当にいい娘ですよ」
袋からスウィート風味の小麦魚を一匹取り出し、コウはそれを優しい眼差しで見つめる。
「そうだ、コウ。今の子雌でお前の顧客数がとうとう千になったぞ。今度祝いでもやるか?」
「あぁ武蔵。リコさんのデータはNo,0に書き換えて置いて下さいね」
「何ぃっ!? 最優先にか!?」
「はい」
「コウ、お前マジで言ってんのか!?」
「えぇもちろんですよ」
「ほぉ……」
今回はレッドランプではなく、その一つ上のブルーランプがゆっくりと点滅を始める。
「……じゃあこの先、お前が為すべき事は一つだな、コウ」
「はい。分かっています」
コウは力強く頷く。
「でもあの子雌はじゃじゃ馬そうだから手懐けるのに苦労しそうだがな」
「いえいえ、道程が険しいほど燃えますよ」
「ヘッ、ヒヨッ子が随分と頼もしい事言うようになったじゃねぇか! よーし、じゃあ今回も俺からのありがたい人生必勝アドバイスをくれてやる。いいか、“ 将を射んとすれば…」
「まず馬を射よ、ですね」
「分かってんじゃねぇか! ま、せいぜい頑張りな」
「えぇ、頑張ります!」
左頬に赤々とした理子の手形をつけ、少々白餡がはみ出しているたい焼きの尾を口に、どこまでも爽やかに笑うコウであった。