第13話 健太 Ⅱ 広島弁 1
昼休みに入り、女性社員たちは弁当を持って会議室に入って行く。男性社員たちは外回りに出ている者もいるし、近くの定食屋に通う者もいる。既婚者の中には弁当を持ってきている者もいて、そういう人は応接室で昼食を広げている。
俺はたいていは近くの定食屋に行っているのだが、今日は朝、コンビニに寄って弁当を買ってきた。残念ながら我が社から一番近いコンビニは少し遠くて、昼休みの間に行くには時間が掛かり過ぎるので、朝の通勤途中で買うほうがいい。その弁当を温めたいのだが、給湯室にひとつしかない電子レンジは、女性社員を含む弁当持参組が列をなすので、それを待つのが面倒くさい。
そんなわけでコンビニ弁当よりも定食屋という選択を毎日しているわけだが、今日は止めた。温かい定食屋のうどんより、冷えた弁当だ。
なぜなら、元木さんは昼休みは一人で自分のデスクで弁当を広げているからだ。
昼休みのフロアは節電のために電気を消していて薄暗い。その中で黙々と弁当を食べている姿は、なんだか物悲しい。しかし女性社員たちのあの雰囲気の中で食べるよりは、自分のデスクのほうがいいのかもしれない。あるいは女性社員たちにヒソヒソやられて、追い出される格好になったのか。
というかフロアには一人しかいないので、電話番を必然的に彼女一人でしていることになる。どうしてこれまで気付かなかったのか。欲情している場合でもなかった。
元木さんの退職日まで、あと五日。本当は有休を消化するため、すでに会社からはいなくなっている予定だったのだが、いい人が見つからないのだ。なので部長が元木さんに拝み倒して、今週末までいてもらうことになっている。
そのとき念のため慰留してはみたのだが、彼女はにっこり笑ってこう返事した。
「大丈夫ですよ、私のやっとることなんて大したことないですし。マニュアルを作っておくので、それを見たら誰でもできるようにしておきます」
もう部長と二人で頭を下げるしかない。そしてその言葉は、もう絶対に延長はないことを示していた。当たり前だ。
そんなときにもうひとつ厄介ごとを持ち込むのは申し訳ないのだが、こちらもなりふりは構っていられない。俺は弁当を持って、元木さんの隣のデスクに腰掛けた。
「課長?」
元木さんは箸を持ったまま顔を上げる。
「いや、これからは俺も昼の電話番をしないといけないかもしれないし」
彼女がいなくなって、もしも次の人が見つからなかったとしたら、彼女の仕事を被るのは俺ということになっている。つまり当然、昼の電話番は俺になる。
しかし元木さんは、くすりと笑うと口を開いた。
「たぶん、私がおらんようになったら他の人が帰ってくると思いますよ」
そうなのだ。元々、事務員たちが持ち回りで電話番をしていたはずだ。なのに元木さんが自分のデスクで弁当を食べることになった結果、彼女たちは会議室に籠ることとなったのだろう。公私混同も甚だしい。いや、彼女を口説こうとしている俺が言えた義理ではないが。
「ごめん……気付いてなくて」
「謝らんといてください。それにもう、あと少しですし」
そう口にして、にっこりと微笑む。なんというか、退職願を提出してから、彼女はなにか吹っ切れたような感じがする。
「ちょっと、元気になった?」
「まあ、そうですね。いろいろすっきりしました」
答えながら、弁当の中の卵焼きに手を付ける。俺もコンビニ弁当をガサガサと開けた。
そしてしばらく沈黙が続く。二人して黙々と弁当の中身を口に運ぶ。
いや、なにをしに来たんだ、俺は。電話番……をしに来たわけだが、本来の目的は違う。そもそも、俺のデスクの上にも電話はあるわけで、電話番だけならわざわざ隣に座る必要もないのだ。
「元木さん」
呼びかけに応えて彼女はこちらを振り向く。いやもう俗物ですみません、と謝って、話を打ち切りたくなってきた。しかし、そんなわけにはいかないのだ。
なんだかドキドキしている。中学生か高校生か、俺は。もう三十路だぞ。いやちょっと待て。よくよく考えると、これより以前にまともに女性を口説いたのは元カノのときが最後だから、大学四年のときか。ブランクが長すぎる。中学生や高校生のほうが、まだ上手くできるのかもしれない。
はあ、とひとつため息をつくと、不思議そうな顔をしている元木さんのほうに顔を向ける。まあいい。当たって砕けろだ。
「あのな、近いうち、飲みに行こうか」
「え?」
「二人で」
「二人?」
元木さんは少し考えるようにわずかに首を捻ったあと、ゆっくりと箸を下ろした。
「……送別会、ですか」
「まあ、そんなところ」
誰かが退職するとなると、普通は送別会が行われる。少し前にも行われた。しかもその人はパートで正社員ではなかった。正社員である人間が辞めるときに送別会が開かれなかったのは、俺が知る限り、一度もない。
けれど今回の場合、誰も言い出さなくて、そのままなあなあになりそうな気配だ。たいていの送別会は女性社員が仕切るので、そのせいだろう。元木さんの口調からして、送別会があるのかないのか測りかねていたところもあったのではないだろうか。しかし結果は、ご覧の通りだ。
元木さんは、だから俺が一人で送別会を開こうとしている、と思っているような気がする。普通なら、二人きりでの飲みに誘われたなら、まずは口説かれているのかと警戒するものだと思うが、そんなふうには見えない。いや、警戒しているがおくびにも出さない、というだけなのかもしれないが。
元木さんは、ぼそりと答える。
「私はええですけど……。あの、課長、私とあまり一緒におらんほうが」
「どうして」
「私、あまり評判が良うないので」
「俺は結婚してないから」
俺の返事に、あんぐりと彼女の口が開いた。それから眉根を寄せる。
「それは……どういう意味です?」
既婚者と二人でいるとまた良からぬ噂が立つかと思いそう答えたのだが、どうやら無神経な発言だったらしい。これは頭にチョップをくらっても仕方ないやつか。
「ああ、いや。気分を害したならごめん」
「……はあ」
「実は、口説こうとしているんだけど」
またしても彼女の口があんぐりと開いた。
「……は?」
喉の奥のほうから、そんな呆けた声がした。そこまで驚かれるとは、やはり警戒していなかったのか。むしろ今日まで、俺の下衆な心はバレているのではないかとヒヤヒヤしていたのだが。
そこで電話が鳴った。俺は照れ隠しもあって素早く受話器を取った。
「お電話ありがとうござ……ああ、部長」
『木佐貫か、すまんがワシの机の上、見てもらえるかのう。ファイルがある思うんじゃが』
どうやら忘れ物をしたらしい。こんなタイミングで電話してくるとは、次は絶対に飲みに付き合わないぞ、と心の中で悪態をつく。
部長にファイルの中身の数値を告げ、電話を置くと、今度は元木さんが電話中だった。
「今、席を外しておりまして。掛け直させましょうか。……はい。念のため、お電話番号いただけますでしょうか。……はい、……はい。確認いたします」
メモ用紙に書き込んだ電話番号を元木さんが読み上げている。昼休みなんだから席を外しているのはわかりきっているだろう、と内心、電話の相手に八つ当たりをしてみる。
元木さんが受話器を置いて、それから俺はまた彼女に向かって言った。
「ひとまず、二人で送別会、しよう」
これを逃してはならない、と勢い込んで誘う。その勢いに気圧されたのか、元木さんは戸惑いながらも頷いた。
「今週の金曜でいい?」
それが元木さんの最後の出社日だった。
「は、はい」
よっし、と俺は胸中でガッツポーズを決める。時計を見ると、十二時五十分。間に合った。あたりがにわかにざわざわしだして、会議室から女性たちが出てくる。
俺は慌てて弁当を片付けると、元木さんに向かって確認した。
「じゃあ金曜、仕事が終わったら、そのまま一緒に行こう。待っていて」
元木さんは、再び首を前に倒す。ひとまず第一段階は突破したようだった。




