第四話:運命の結び目
「一ノ瀬先生…本当に、先生なのですか…?」
私の震える声に、かつての恩師は深く、重く頷いた。
その瞳には、かつて理科準備室で私を叱咤激励した時の鋭さと、そして長い年月を経て得たであろう慈愛が混ざり合っていた。
「山口、立派になったな。…いや、今は開発部の山口課長さんと呼ぶべきかな。お前が手掛けたあの『減塩ドレッシング』、新聞の特集で見たぞ。お前の名前を見つけた時は、自分のことのように嬉しかったもんだ」
その言葉を聞いた瞬間、私の視界は急激に滲んだ。
高校時代の私は、親の離婚や環境の変化に抗うように、ただただ荒れていた。
学校をサボり、大人を信じず、自分の将来などどうでもいいと投げやりになっていた。
そんな私を、放課後になるたびに呼び出し、時には拳を交えるほどの熱量で向き合ってくれたのが一ノ瀬先生だった。
「先生、あの時の…あの時のお礼も言えないまま、私は…」
「いいんだ、山口。お前がこうして、自分の力で道を切り開き、私の娘を助けてくれた。これ以上の恩返しはないよ」
傍らでこのやり取りを黙って見ていた菜々美が、溢れる涙を拭いながら口を開いた。
「お父さんから時々聞いていたの。『私が一番手を焼いたけれど、誰よりも心の優しい教え子がいたんだ』って。それが、まさか直道さんだったなんて…。あの嵐の夜、道端であなたに声をかけられた時、初めて会った気がしなかったのは、お父さんからあなたの『魂』の話を聞いていたからかもしれない」
菜々美の言葉に、私は運命の重みを感じずにはいられなかった。
私が東北の農家を訪れたのも、その土地の小麦にこだわったからだ。
もし、私がもっと手を抜いて仕事をしていれば、あの時間にあの場所を通ることはなかった。
もし、先生が私を更生させてくれなければ、私は食品メーカーに就職することも、課長になることもなかっただろう。
点と点が繋がり、一本の太い線になる。
十七年前の師弟の絆が、時を超えて、愛する人との縁として結実したのだ。
「先生、いえ、お父さん。…菜々美さんを、一生をかけて幸せにします。かつて先生が私の人生を救ってくださったように、今度は私が、あなたの愛した娘さんの人生を、命を懸けて守り抜きます」
私は畳に深く頭を下げた。
板張りの床に、私の涙がぽつり、ぽつりと染みを作っていく。
一ノ瀬先生は椅子から立ち上がり、私の肩にその大きな手を置いた。
かつて、卒業式の日に「頑張れよ」と叩いてくれた、あの温かい手だった。
「山口、顔を上げなさい。お前なら、安心だ。…いや、こちらこそ。私の大切な宝物を、よろしく頼む」
その夜、私たちは三人で食卓を囲んだ。
先生が秘蔵していた日本酒を酌み交わしながら、私の失敗談や、菜々美の幼い頃の話に花を咲かせた。
窓の外では秋の虫が鳴き、静かな月光が降り注いでいた。
これほどまでに心が満たされた夜を、私は他に知らない。




