第二話:重なり合う鼓動
東京に戻ってからの私は、仕事をしていてもどこか心ここにあらずといった状態が続いていた。
開発会議で新しいドレッシングの試作品をテイスティングしていても、思い出すのはあの日、助手席で震えていた菜々美の横顔ばかりだった。
私たちは、安否確認のメールから始まり、次第に日々の些細な出来事を報告し合うようになっていった。
「今日は図書館に、昔懐かしい絵本を探しに来たおじいさんがいて……」
「新商品の小麦の配合がようやく決まりました。菜々美さんにも一番に食べてほしいです」
画面越しに交わされる言葉は、驚くほど自然に私の生活に溶け込んだ。
彼女の言葉選びは知性的でありながら、どこか木漏れ日のような温かさがあった。
七歳の年の差など、会話の心地よさの前では何の意味も持たなかった。
一ヶ月後、彼女がお礼をしたいと東京へやってきた。
駅の改札で再会した瞬間、私の心臓は自分でも驚くほど跳ねた。
嵐の中のずぶ濡れの姿ではない、淡いクリーム色のワンピースに身を包んだ彼女は、眩しいほどに美しかった。
「直道さん、あの時は本当にありがとうございました」
そう言って微笑む彼女を見て、私は確信した。
これは単なる偶然の出会いではない。
私が三十五年間、独身で、がむしゃらに働いてきたのは、この日のためにあったのだと。
それから、私たちは月に二回、東北と東京を行き来する遠距離恋愛を始めた。
私は開発部の仕事の合間を縫って、彼女の住む町を訪れた。
彼女が案内してくれた地元の小さな公園、古びた映画館、そして彼女が愛する図書館の静寂。
ある夜、福島の港近くで夜の海を見つめながら、彼女がぽつりと呟いた。
「私、あの日、直道さんの車が見えた時、神様が助けてくれたんだって本気で思ったんです。もしあの日、あなたが通りかからなかったら……」
「僕の方こそ、あの日あの場所にいられたことに感謝している。君を助けるためだけに、僕はあの農家へ行ったのかもしれない」
私の言葉に、彼女は少し照れたように笑い、私の腕にそっと頭を寄せた。
彼女の髪から漂う清潔な石鹸の香りが、潮風に混じって鼻をくすぐる。
私は彼女を一生守っていきたい、そう強く願った。
半年が過ぎた頃、私はプロポーズを決意した。
都内の夜景が見えるレストランを予約し、指輪を用意した。
けれど、土壇場で私は思い直し、彼女と出会ったあの山間部の道が見える丘へと彼女を連れ出した。
「菜々美さん。あの日、嵐の中で君を見つけた。これからの人生、どんな嵐が来ても、僕が君の隣で傘を差し続けたい。僕と結婚してくれませんか」
菜々美は目いっぱいに涙を溜めて、何度も、何度も頷いた。
「はい…喜んで。私、直道さんと一緒なら、どんな道でも歩いていけます」
私たちは抱き合った。
夜空にはあの日見ることができなかった満天の星が、私たちの門出を祝うように瞬いていた。
この時の私は、これから待ち受けているさらなる「運命のいたずら」など、知る由もなかった。




