戦闘
悲鳴の出所は、校舎南棟二階にある、一年生の教室だった。
「ここだ!」
勇ましく、または無謀にその教室に飛び込んだ俺が見たもの。
それは、教室の後ろ側の隅で、頭を抱えて怯える下級生とおぼしき女生徒三人と、
「なんだ!?ありゃ!」
「なっ、なんという…」
「嘘だろ…おい」
後から飛び込んできた二人も、それには目をむいていた。
そう、女生徒三人が怯えていたもの。
それは二匹の鼠だった。
鼠とはいっても、普段見かける鼠とは比べ物にならないくらい、異常なものだった。
なにしろ、大きさが中型犬くらいあるのだ。
その分、各部が巨大化され、正面から見据えられている彼女たちからすれば、想像もつかないほどの恐怖となっているだろう。
「驚くのは後回しだ!取りあえず彼女たちを助けるぞ!」
号令の後、美景先輩は駆け出していた。
無論その手には、ケースから取り出された木製のなぎなた。
「美景先輩!一人では無茶です!」
俺も美景先輩に続いて走り出す。
手にするのは、竹刀ケースの外側の区画に入っていた、竹刀よりも威力のある木刀。
荷物はその場に捨て置いた。
「ちょっ、俺、得物無いんだけど!」
最後に駆け出したのは裕久だ。
もとから手ぶらだった裕久に武器はない。
あったからと言って、剣道部の俺や、なぎなた部の美景先輩と違って、帰宅部の裕久が上手く扱えるとは思えないが。
俺が美景先輩の背中に追いついた時、既に彼女は二匹の鼠とにらみあっていた。
「うげ…なんて凶悪な面してんだ…」
「確かに、これは私と言えども、尻込みしてしまうな…」
正面から見た鼠どもの面は、凶悪そのものだった。
朝の陽射しのなかでも、不気味に光を反射するピンポン玉のような目。
黄ばんだ前歯は、人間の腕くらいなら簡単に貫通出来そうなくらいに、長く鋭い。
おまけに、その全身を覆う毛は針のように固そうで、素手で組み合おうとは思わない。
「噛みつかれると厄介だな…。裕久君!」
「はい!」
美景先輩の呼び掛けに、すぐさま応える裕久。
「この鼠どもの相手は私と晶君でする。君はこいつらを飛び越えて、彼女たちを保護してくれたまえ!」
「ええ!?でも、俺素手ですよ!?噛まれますよ!?」
「どうせ、お前の事だ!俺の竹刀、持ってるんだろうが!」
「へへっ。ばれてたか」
と、同時。背後から机を踏み切り台にしての跳躍の音。
俺と美景先輩の頭上をも飛び越えて、裕久は鼠どもの向こう側に着地。
「君たち、大丈夫?」
と、女生徒を気遣う。
さて、ここからは俺たちの仕事だ。
裕久の存在に気をとられている隙に、撃退する。
「行くぞ、晶君!」
「美景先輩も、遅れないでくださいよ!」
二人同時に走り出す。
狙うのは、二匹の鼠の間。そこに割り込むようにして入り込む。
鼠どもが気付いた時には手遅れだ。
既に、俺も美景先輩も攻撃の動作に入っている。
攻撃箇所は振り返ろうとして、隙が出来た横腹。
そこを目掛けて、俺たちは全力の一撃を叩き込んだ。
俺は木刀での逆袈裟斬り。
美景先輩はなぎなたによる打突。
俺たちの得物は、強烈な手応えを返してくる。
その結果は目に見える形で訪れた。
俺の一撃を食らった鼠は、勢いのまま吹っ飛んで、そのまま硝子を割って窓の外に。
美景先輩の一撃を浴びた鼠は、僅かに血を吐きながら地面を転がり、そのまま尻尾をまいて退散する。
「よっしゃ!ざまあみろってんだ」
鼠のいなくなった後を見て、俺はガッツポーズをする。
「君たち、怪我はないかね?」
美景先輩はと言うと、すぐさま鼠に襲われていた女生徒たちに近づいて、その身を案じていた。
と、ポンと俺の肩に手が乗せられる。
手の主は裕久だ。
「お疲れさん、晶。お前、結構強いじゃん」
言いながら差し出されるのは、裕久が勝手に持ち出した俺の竹刀。
「ありがとな。なかなか心強かったぜ」
しかし、俺はそれを受け取らず、ズイッと裕久に押し戻す。
「持っとけよ。見たと思うけど、まだあの鼠は生きてるんだ。また襲われないとも限らないし、お前も武器があった方がいいだろ?」
「じゃあ、もうしばらく借りておくぜ」
言って裕久は、手に竹刀を提げる。
「それにしても…」
もちろん、次に話題になるのは決まっている。
「俺たち以外にもいたんだな。こんな時間に学園にいる奴」
もちろん、先ほど助けた女生徒のことだ。
美景先輩とのやり取りを聞いていると、どうやらなぎなた部の一年生らしい。
「君たちは、どうしてこんな時間に学園にいるんだね?」
美景先輩の問いはもっともだが、それを言うと俺たちがここにいることも、おかしなことだ。
しかし、女生徒の一人はそんなことに気づく様子もなく、更には俺たちにとって、気になる答えをした。
「それが…判らないんです」
「判らない、とはどういうことだ?」
美景先輩のさらなる問いに、女生徒たちは顔を見合わせる。
どうやら、正直に言ってしまって大丈夫がどうか、決めあぐねている様子だ。
その様子を見て取った美景先輩は、女生徒たちの答えを聞く前に、まず自分から口を開いた。
「大抵のことは受け入れられるから、安心したまえ。…実を言うとな、私も何故この時間に学園にいるかと、理由を問われればよく判らないのだ」
それを聞いて、女生徒たちの表情は、一気にはっとしたものに変わる。
美景先輩は、女生徒たちを促すために更なる事情を告げる。
「突然意識を失ったかと思うと、次に目覚めた時には既にこの時間だった。それは、そこにいる男子生徒も同じことだ」
最後のとどめに、と俺と裕久も美景先輩に続く。
「そうなんだよ。気づいたら床で寝てたんだ。だよな、裕久」
「ああ。お陰で全身が痛くて痛くて」
言葉に、肩を回す仕草を加える裕久。
女生徒たちは、もう一度顔を見合わせると、おずおずと口を開く。
「先輩方も…同じなんですか?」
「同じ、とは、今に至った状況が、かね?」
美景先輩の問いに、女生徒たちは首を縦に振る。
「話してくれないか?」
そして、遠慮がちに紡がれるのは、俺たちと似た状況の話だ。
「部活が終わった後、教室に忘れ物をしたことに気づいたんです」
語りだしはごく普通。
「それを取りに教室に戻ってきて、忘れ物を見つけて、帰ろうとしたときに…」
しかし、その状況が進むにつれて、女生徒の声は暗く沈んでいく。
「急に目の前が真っ白になって、気がついたら床に倒れていて、こんな時間に…」
既に泣きそうな声をあげる女生徒に、美景先輩は優しく声をかける。
「そうか。よくわからない状況では、さぞ怖かっただろう。私はこんな性格だし、彼らと一緒だったから平気だったが…君たちと同じ状況だったらどうだっただろうか。やはり、動くことすら出来なかっただろうな」
美景先輩に寄り添われながら、女生徒はさらに気になることを漏らした。
「大きな鼠にはおそわれるし…携帯は壊れて通じないし」
その言葉に気付いたのは裕久だった。
「えっ?携帯、通じないの?」
裕久の問いに、女生徒の一人が自分の携帯電話を見せることで応える。
こちらに向けられた小さなディスプレイ。
そこには何も映ってはいなかった。
俺や裕久のように、電池が切れているわけではない。
確かに電源は入っているのに、その画面が映し出すのはホワイトアウトした真白い表示。
「私のだけじゃないんです…」
さらに示される二つの画面。
これらも、先の一つと同じく映し出されるのは、真っ白な画面。
「どういうことだ?」
俺は頭を悩ませる。
だが、それも暫くのこと。
「とにかく、一度家に帰ろう。あまり、ここに長居するのは得策では無さそうだ」
そう言うと、美景先輩は立ち上がり、動き出そうとする。
「あっ…待ってください」
それを止めたのは、女生徒の内の一人だった。
「実は…まだ道場の方に何人か残ってた筈なんです。ひょっとしたら私たちみたいに、倒れてるかも…」
それを聞いた美景先輩の顔に、再び険が戻る。
「それはいかんな…。一度道場に足を向けるか…」
ブツブツと呟きながら考えるはじめる美景先輩。
暫くして、考えがまとまったのか独り言が止む。
「なぎなた道場に行くなら、俺たちも一緒に行きますよ」
それを見計らって、俺は声をかける。
「いや、駄目だ」
まず放たれたのは、拒絶の一言。
「君たちには、やってもらいたいことがある」
続いて口に出されたのは、これからの行動指針だった。