第二幕 未知 覚醒
沈んでいた意識は急速に浮上して、全身の感覚を取り戻させる。
まず感じたのは、頬に当たる硬い感触。
うっすらと目を開けて確認すると、その感触の正体が床であることが判った。
更に目を開けると、そこに見えてくるのは、今自分がいる世界。
最初に目に飛び込んできたのは、
安らかな寝顔で眠る美景先輩の顔だった。
「うわっ!」
思わず飛び起きる。
驚きのあまり、心臓の鼓動が早くなっているのが判る。
性格や目付きがキツイとは言っても、美景先輩は美人なのだ。
そのキツイ部分が全て隠された寝顔を、それも息もかかる距離でいきなり見ることになった。
「し、心臓が止まるかと思った…」
俺は深呼吸して、鼓動を整える。
意識を失う直前の出来事は、とりあえず考えるのを後回しに、今の状況を確認する。
真っ先に把握しようとするのは、今自分がいる場所。
周囲の風景は、意識を失う前から変わっておらず、現在位置は元『開かずの資料室』。
目の前の床には、裕久と美景先輩が倒れている。
見たところ、二人に外傷はなし。
たぶん、俺と同じように眠っているだけだ。
「そういえば、鏡は…」
強烈な音と光を放たれて、裕久が取り落としてしまった祭壇にあった鏡。
無事かどうかを確かめるために、俺はそれを探し、祭壇に近い場所に落ちているのを発見する。
恐る恐る手に取り、傷の有無などを確認するが、どうやら無事のようだ。
鏡面にもヒビどころか、傷一つ入っていない。
とりあえず、鏡を祭壇に戻して、そこでようやく俺は気付いた。
窓の外が明るいのだ。
そして、その光は電灯や火による明るさではなく、明らかな陽の光。
〈気を失っている内に朝になっちまったか!?〉
しくじった、と思いつつ、俺は未だ眠る二人を起こそうと、床に膝をつく。
「美景先輩。美景先輩。起きてください」
眠れる獅子状態の美景先輩の肩を揺らし、その意識を覚醒へと導く。
美景先輩の目覚めはいいらしく、程なくして目を覚ました。
「む…。晶君か…」
未だ寝惚けた眼を擦りつつ身を起こす美景先輩は、普段の油断のならない雰囲気がなく、少し可愛らしいと思ってしまう。
しかし、それも十秒たらずのこと。
直ぐに、普段通りの雰囲気を取り戻していた。
「晶君!鏡はどうなった!それに、あの光は何だと思う!」
目覚めた直後とは思えない飛ばしっぷり。
俺は、そのテンションに半ば感心しながら、順番に答えていく。
「鏡なら、祭壇に戻しました。傷なんかはありませんでした。それから、あの光が何なのかは、よく分かりません。それよりも、美景先輩。こいつ起こすの、手伝ってもらえませんか」
そう、一番の問題は裕久だ。
こいつの寝起きの悪さは半端じゃない。
寝起きよりもまず、こいつはなかなか起きない。
思い出されるのは中学の修学旅行での出来事。
裕久を起こそうと頑張っているうちに、朝飯を食い逃し、危うくバスにも置いて行かれるところだった。
「なんだ、裕久君は寝起きが悪いのか」
先ほどの興奮もさめ、普段通りの冷静さを取り戻した美景先輩が、仰向けに眠りこける裕久を覗き込む。
「ええ。こいつの寝起きの悪さときたら、冬眠中の熊も真っ青です」
そんな俺の冗談に、美景先輩は僅かに笑うと、
「ならば取って置きの方法を伝授してやろう。晶君。裕久君の口を閉じてくれたまえ」
指示どおりに、俺は裕久の口を抑える。
「どんなに起きない輩でも、これをされれば一発だ」
そう言って、美景先輩は裕久の鼻を摘まんだ。
「あー、メッチャ苦しかった」
そう言いながら、裕久は資料室の扉から外に出る。
あの後、裕久が起きるのにそう時間はかからなかった。
呼吸を封じられた裕久は、ものの数十秒で顔色を青くしながら、苦しそうに飛び起きてきた。
その後、俺たちは一度家に帰ることを決め、今は資料室からの引き上げの最中だ。
「まだ苦しい気がするぜ…。晶、どうして美景先輩の狼藉をとめてくれなかったんだ」
裕久は起こされた方法に、ぶちぶちと文句をつけているが、今回は味方になる気はしなかった。
「いや、お前の寝起き悪いから。早く起きるなら、それに越したことはないと」
俺は資料室の中置いておいた、自分の荷物を担ぎながら答える。
荷物といっても、教科書の類いは机の中に置いてあるから、筆箱なんかの小物を運ぶ小さなリュックと、家での素振り用に持ち帰る予定だった竹刀ケースだけだ。
裕久は、端から学園に荷物など持ってきておらず、美景先輩は、資料室の隣に荷物を置いてあったらしく、今はそれを取りにいっている最中だ。
「それにしても…」
俺は窓の外を見て呟く。
「すっかり明るくなってるな」
資料室の中でも思ったことだが、窓の外から降り注ぐ陽の光は、朝に感じるそれと同等だ。
本来なら、時間を確認したいところだが、生憎ここいらの教室に時計はなく、携帯電話も、
「電池切れだもんな…」
俺たち三人で、携帯電話を持っていないのは、美景先輩だけ。
最初は俺と裕久が、携帯電話を使って一度家に連絡を入れようとしたのだが、揃って電池切れ。
たぶん原因は、昼休みに裕久の噂話に感化されて、二人して色んなサイトを覗いた後、充電せずに放置していたからだろう。
「サイト覗いてると、電池食うからなあ」
裕久も今更ながら、自分達の諸行に少しだけ後悔。
二人して肩を落とす。
「こちらの準備は整ったぞ。…何を二人して落ち込んでいるんだ?」
ちょうどその時に、美景先輩が身仕度を終えて戻ってきた。
美景先輩の荷物が一番重そうだ。
一日分の教科書の類いが入っているであろうバッグと、美景先輩の身の丈を超える合皮のケースの中身は、部活で使うなぎなただろう。
肩を落とした俺たち二人を見て、怪訝な声をあげる美景先輩に適当に答える。
「いえ…ちょっと馬鹿だった自分達に落ち込んでまして…」
「君たちが阿呆なのは、いつものことだろう?それを落ち込んでどうする」
直後、グサリと突き刺さる辛辣な一言。
更に肩を落としそうになる俺たちだったが、
「しかし、そこが君たちのいいところでもあるだろう。過去に囚われず未来を見据えて進みだす。阿呆かもしれないが、私にはなかなか真似できない、長所だよ」
と、言う一言でお調子者な俺たちは、一気に元気になった。
「さあ。とりあえず一度帰るとしよう。あの鏡と光がなんだったのか、猛烈に気にはなるが、それはまた今日の放課後にでも調べるとしよう」
美景先輩は、鏡と光が本当に気になるみたいだったが、一度帰るという意思に変わりはないようだ。
「そうですね、一度帰りましょう」
「調査の続きは、放課後のお楽しみだ!」
俺と裕久も、口々に同意。
三人揃って昇降口へと歩き出す。
「それにしても…」
その道すがら、美景先輩がふと口を開いた。
「なかなか昨日はスリリングな一日だった」
しみじみと言うその口調は、どこか楽しそうでもある。
「そう言う意味でしたら、今も結構スリリングな状況だと思いますよ?」
「なぜだ?」
俺の言葉に、美景先輩は意味を図りかねている様子だ。
「だって、今の明るさだと、間違いなく校門や玄関は開いてませんよ。そんなところを宿直の先生にでも見つかったら…」
その台詞の後は、裕久が続ける。
「間違いなく、生徒指導室送りだな」
美景先輩は、そんな処遇になるかもしれないことを、恐ることなくむしろ楽しんで、
「それはいい。私はまだ生徒指導室での指導を受けたことはないのだよ。いっそのこと、わざと見つかってみるか」
「いや、やめてください」
これは、俺の発言。
「俺、この間あそこで一時間も説教くらったばっかです」
こちらは、裕久。
「はは!冗談だよ。私も妙な勘繰りはされたくないからな」
最後はもちろん、美景先輩。
俺たちは、他愛ない話をしながら歩き続け、やっと空き教室が途切れたところで、
「――――――――――っ!」
かすかだが、誰かの悲鳴を聞きつけた。
「今のは…」
「悲鳴です!美景先輩!」
次の瞬間には、俺は悲鳴の聞こえた方向に走り出していた。
「待ちたまえ!晶君!」
「ちょっ、晶どこ行くんだ!」
慌てて俺に続く、裕久と美景先輩。
「二階だよ!たぶん今の悲鳴、二階から聞こえたんだ!」
俺の言に、美景先輩は一気に表情を引き締める。
裕久も、普段のお気楽さは抜けて、滅多に見せない真面目な表情になっている。
「場所は判るか!?晶君!」
「はい。大体ならば」
自信のある俺の答えに、美景先輩は満足そうだ。
「よし、案内してくれたまえ」
「はい」
脚に力を込めて、更にスピードをあげる。
それに追いついてきた裕久も、すでに臨戦態勢に入っている。
「聞こえたのは悲鳴だけ。向こうの状況は判らない。晶、慎重に行くぞ」
「それは、向こうについてから考えるさ」
校舎は広いようで狭い。
悲鳴があがった場所まで、そう時間はかからない。