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幕間 生命の重み

感じるのは、飛沫が振りかかる衝撃と、生暖かい温度。


目に映るのは、赤い色。


そして、俺の足元には、かつて人間だった、もはや物体とかしたモノが倒れている。


〈俺が…やったのか…?〉


俺の手の内には、目の前のそれを斬ったとおぼしき日本刀。


〈そうだ。俺が…殺したんだ…〉


思い出される人斬りの感触。


その後に、俺を襲うのは、人を殺した事実に対する、耐え難いほどの罪悪感と恐怖だった。


「―――――――!」


思わず、声にならない叫びをあげて、


そこで、


俺は目を覚ました。


目を覚まして、真っ先に確認するのは自分の体。


体を起こし、あの赤い色が自分の全身についてはいないかを、確かめる。


〈…よかった。夢だった〉


ほっと一息。


落ち着いて、辺りを見回せば、未だ夜の闇に包まれている。


ここは、宗也の屋敷の一室。


最初に目覚めた部屋と同じ場所だ。


城から帰り、夕食の後に、寝間着の着物と共にこの部屋が割り当てられた。


美景先輩と薫先生は、屋敷の離れを借り受けているはずだ。


〈大丈夫…。今のは夢だ。また、人を斬ったわけじゃない…〉


夢だと判っていても、その感触は本物と大差なかった。


加えて、俺が、人を斬ったのも事実。


〈大丈夫…。大丈夫だ…〉


昼間は、その喧騒の中で忘れかけていたが、俺が人を殺したのは現実にあったことだ。


その事実は、眠りに落ちたときに、夢という形で俺に襲いかかってきた。


それだけのことだった。


〈落ち着こう…〉


一度深呼吸をして、そのままの態勢で目を閉じる。


こちらの世界の静かな夜は、考え事や精神を落ち着かせるのに向いている。


しばらくすれば、普段通りの自分が戻ってくるのが感じられた。


〈ふう…〉


だが、もう一度、眠る気にはならなかった。


眠ってしまうと、また同じ夢を見てしまいそうで、怖かったのだ。


「大丈夫ですか?晶君」


そんな時、僅な火の明かりと共に、部屋に入ってくる人物があった。


「うなされていたようですけど…、気分はいかがですか?」


それは、結衣さんだった。


髪をおろし、薄手の寝間着を着た結衣さんが、小さな燭台を手に、部屋に入ってくる。


「すみません…。起こしてしまいましたか?」


どうやら、相当な大きさで声をあげていたらしい。


結衣さんや宗也の部屋は、俺の居る部屋から少しだけ離れている、という話だ。


同室かどうかは知らないが。


そこから、うなされているのが判るくらいには、大声をあげていたらしい。


「夢を見ただけです。それが悪夢だったもので…。起こしてしまって、すみません」


布団の脇に座った結衣さんは、気遣うように俺の表情を観察している。


しばしの沈黙。


やがて、結衣さんが口を開いた。


「人を…殺した夢ですね」


言い当てられる夢の内容。


俺はその事に、半ば驚き、もう半分はやっぱりか、という思いだった。


「判りますか?」


恐る恐る訊ねる。


俺の問いに、結衣さんは静かに頷く。


「私も、宗也君も、一度は通った道ですから」


「そうですか…」


意外に思うのは、宗也だけでなく、結衣さんもこの感覚に覚えがあること。


「結衣さんも、人を…その…」


訊ねたいが、肝心のところを言いよどむ。


向こうの世界でいるときは、平気で口に出せた言葉だが、それがどういうことか知ってしまった今は、簡単に口にするのが、憚られた。


だが、結衣さんは俺の意図を察してくれたようだった。


「ええ、ありますよ」


語る表情は、穏やかなもの。


しかし、その奥にはどんな感情があるのだろうか。


人の心を読む術のない俺には、知るよしもない。


「こちらに来てから、少したった時でした。たまたま、宗也君と離れて行動している時に、晶君たちのように賊に襲われて…」


自分を守るために、持っていた刀で殺してしまったのだという。


またも訪れる、しばしの沈黙。


初めて聞いた、俺以外の人殺しの話に、訊ねておきながら、何と言ってよいかわからなかった。


「私は…」


沈黙を破ったのは、結衣さんだった。


俺は静かに、その言葉に耳を傾ける。


「私は、人を殺すこと自体は悪いことだとは、あまり思っていません。だって、そうしなければ、仕方のない時もありますから」


そこから更に言葉は続く。


「本当に悪いのは、人を殺して、その事実から目を背けて、殺してしまった生命をないがしろにすることなんだと、私は思います」


奪ってしまった生命は戻らない。


だからこそ、その生命と正面から向き合って、奪ってしまった生命と事実を認める。


たぶん、そういうことなのだろう。


そして、それは殺した相手の生命を背負って生きる、ということなのだろうと、俺は思った。


「今の、ほとんど宗也君の受け売りなんですけど…」


今のを聞いて晶君はどう思いましたか、と結衣さんは訊ねてきた。


「その通りなんだと、思います」


そう。でなければ、死んでしまった相手が浮かばれない。


生き残った人間の、自己満足かもしれない。


それでも、少なくとも俺は、そう考える。


そうですか、と結衣さんは立ち上がった。


「ここから先は、晶君が自分で考えて、どうするかですから、私が言ってあげられることは、これでおしまいです」


結衣さんは、明かりを持って部屋の出入り口に。


その背中に向かって、俺は礼を言う。


「ありがとうございました。こんな夜中なのに、わざわざ様子を見に来てもらって」


「いえ。私が、勝手に来ただけですから、気にしないでください」


僅かに振り向いて、結衣さんはそう言った。


そして、静かに襖が開けられる。


部屋を出るとき、結衣さんは何かを思い出したように、俺に振り返った。


「これから先、みーちゃんや薫さんも、晶君と同じことになると思います」


それは、俺と同じように、誰かの生命を奪ってしまって、そのことに苦しんでしまう、ということ。


できれば、そんなことに、あの二人にはなって欲しくはないが、たぶん無理なことだろう。


それを望むのには、この世界は少し物騒すぎる。


「その時は、晶君。貴方が、支えてあげて下さいね」


その言葉に、俺は静かに頷いた。


俺の反応に、結衣さんは僅かに微笑み、おやすみなさいと、今度こそ、部屋を去っていった。


明かりが無くなったことによって、再び訪れた夜の闇。


その中で、俺は横になり、眠ることにした。


今度は、不思議と悪夢を見る気はしなかった。






晶君の部屋を出た後、私、富河 結衣は寝室へと戻っていく。


幸い、晶君は落ち着いたようだったので、今度は悪夢にうなされることはないだろう。


〈人を壊してしまうのに、十分過ぎるくらいに、生命の重さは重いですから…〉


思い出される、こちらにきたばかりの日々。


たぶん、その頃一番大変だったのは、宗也君だったと思う。


見知らぬ世界で、たった一人、私を守るために必死になっていた。


そして、味あわせてしまった、生命の重さ。


何度も何度も、うなされて苦しんで、それでも戦い続けていた宗也君を、私は見ているしかできなかった。


〈もう少しでも、何かしてあげられればよかったんですけれど…〉


程なくして、私も同じ重みを知った。


辛くて苦しくて、そんな時に、宗也君は支えてくれた。


嬉しい反面、悔しくもあった。


何もできなかった自分に対して、宗也君はしっかり背中を支えてくれたからだ。


〈でも、今はちゃんと、私も宗也君を支えられますけどね〉


などと考えている内に、寝室の前に到着。


静かに襖を開く。


部屋の間取りは、晶君の部屋とほぼ同じ。


その中に、敷かれた布団は二組。


一つは私の。


もう一つの布団の主は、縁側の雨戸をあけて、月を見上げながら私を待っていたらしい、宗也君だ。


「晶君の様子は、どうだった?」


気配に気づいて、話かけてくる宗也君。


昨日、みーちゃんには曖昧なことを言って、お茶を濁したが、実は私と宗也君は、こちらに来てから、夫婦同然の暮らしをしていた。


ただ、面と向かって、訊ねられると恥ずかしかったので、思わず誤魔化してしまったのだった。


「なんとか落ち着いてくれましたよ。でも、やっぱり辛そうでした」


訊かれたことに答えながら、私は宗也君の隣に座る。


「そうか…。なんとかしてあげられれば、いいんだかな…」


そう言う宗也君の表情は、本当に心配そうだ。


「きっと大丈夫ですよ…。彼、強い子だと思いますから」


そう言って私は、宗也君の肩に頭を預ける。


二人で見上げる月は、もうすぐ満月。


こちらの月も、あちらの月と同じように、夜を優しく照らし出している。

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