敵意
俺たちが遙との話を終えて、宗也の屋敷に戻ろうと城を出た頃には、すでに陽は大きく傾いていた。
「いや、それにしても、凄いインパクトだったな、彼女」
赤く染まる帰途で、話題になるのは、やはり奇姫、遙のことだ。
「まったくだ。まさか一国の領主が、私たちよりも年下の少女だったとは…。驚くほかない」
美景先輩の、遙を見た時の驚きよう、俺たちと同じ『筒衣衆』と知った時の疑いよう、と言えば、近年稀に見る凄まじいものだった。
「でも、可愛らしい女の子でしたね」
意外なことに、遙と一番意気投合していたのは、薫先生だった。
純粋な者同士馬があった、と言うことなのだろうか。
俺なんかは、終始阿呆呼ばわりだった。
原因は、名前をいきなり訊かれたときに、『えっ?』と答えてしまったことらしかった。
「阿呆呼ばわりはないよな…。阿呆呼ばわりは。嫌われてるのかな…」
だとすれば、少しショックだ。
年下とはいえ、可愛い女の子に嫌われるのは、御免こうむりたい。
なんとなく、肩を落として歩いていると、結衣さんから声がかかる。
「大丈夫だと思いますよ」
「何がです?」
「晶君は、遙ちゃんに、嫌われてはいないってことです」
突然のことに、俺はしばし首を傾げる。
気にせず先を続ける結衣さん。
「遙ちゃんが罵倒するのは、嫌いだからではなく、親愛の証、みたいなものですから」
そして、その後ろを宗也が引き継ぐ。
「そういうのも、どうかとは思うけれども…。とにかく、晶君は気に入られていると思うよ。あの子は、嫌いな人間はとことん無視するんだ」
あの賑やかしい遙が、無視を決め込む。
にわかには信じがたい話だ。
てっきり、あの性格から、嫌いな人間は正直から罵倒しまくるのかと思っていた。
「あの遙が無視するのか。そんな奴いるのか?」
興味本意で訊いてみる。
「信じられない話だがな、一人だけ、いるんだ」
同時、その人物が頭の中に浮かんだのか、宗也の顔が苦々しくなる。
「かくいう私も、あいつは苦手だ。考え方が合わないし、何より性格がな…」
続いて結衣さんも、
「私も、あの人は苦手です…」
と、似たような表情をしている。
「私としては、そちらの方が信じられない。宗兄と結衣姉が、苦手だと言う人間がいるとは」
昔から二人をしる美景先輩は、そう言う。
なんとなく感じてはいたが、やはり宗也と結衣さんは、お人好しのようだ。
今朝方にも、美景先輩に二人のことを聞いたのだが、その話からも、そう感じていた。
「お二人ともが、苦手にする人って、どんな人なんでしょうか?」
薫先生も、興味が湧いたらしい。
二人は顔を見合わせて考え始める。
「そうですね…」
「判りやすく言うならば…」
その時だ。
「奇姫様を手玉にとって、上機嫌で帰宅途中か?」
かけられた、高圧的な声。
その瞬間、一気に場の空気が変わり、宗也と結衣さんの表情も変化する。
とは言っても、険しいものに、ではなくて、仕方がない、といったものにだ。
「噂をすれば、だ」
「影がさしましたね…」
二人はそれぞれ、その声の主へと顔を向ける。
「手玉にとるなどとは、人聞きが悪い。私たちは、『筒衣の砦』の件で、奇姫様のもとに赴いただけだ」
対応したのは宗也。
相手は、おそらく宗也や結衣さんと、歳の変わらない若い男だ。
この男もまた、この世界においては、宗也と同じ侍の身分のようだが、その様子は宗也とは大きく違っている。
着ている着物は、宗也と似たような袴だ。
しかし、その質は遠目からでも判るくらい上等なもの。
腰の刀も、名刀ではあるのだろうが、質素で使い込まれた宗也の刀とは対照的に、絢爛な刀装かつ使われた様子は何処にもない。
「ふん。どうだか」
男の様子は、明らかに宗也を見下していた。
まるで、自分がこの世で一番偉いと言わんばかりに、徹底的に。
だが、宗也はそんなことを意にも介さない。
至って、普段通りの様子で会話を続ける。
「そう言う嵯峨殿も、外出の帰りと見受けられるが…」
その態度こそが、嵯峨殿と呼ばれた男は気に入らないのだろう。
ますますもって、高圧的になる。
「貴様には関係のないことだ!それよりも、それらが『筒衣の砦』の代表だな…」
男の視線が、俺と美景先輩、薫先生の三人に向けられる。
感じるのは、まるでこちらを値踏みするような、舐めるような視線。
あまりにも露骨で、人のことを見下したような態度に、俺の表情も自然、険しくなる。
そのことに、目の前にいる男も気がついたのか、一度嘲るように鼻を鳴らし、再び宗也の方に向き直る。
「女の方は悪くないな。二人とも、なかなかの上玉だ。しかし、男の方は…」
またも、俺に向けられる視線。
それに対し、今度は意識して睨み返す。
「気に食わんな。渡、貴様と同じ反抗的な眼だ」
実際、反抗のつもりで視線を送っているのだから、そう思ってくれないと困る。
幸い、それは通じていたようだが。
「おい!貴様ら!名は何と申す」
宗也と結衣さんとは顔見知りのようだし、貴様ら、とはたぶん俺たち三人のことだろう。
俺としては、できるだけ関わりたくはなかったが、話しかけられてしまったからには仕方がない。
「名前を訊ねる前に、自分から名乗るものだろう?それくらいの礼も無い奴に、教える名前なんか、生憎持ち合わせてはいないよ」
無礼を承知で、そう言いきってやった。
「やはり、無礼者であったか。渡と同じだ。ならば、女共。名を名乗れ」
この男が気に入らないのは、たぶん美景先輩も同じだったのだろう。
普通では、絶対にあり得ない態度を、美景先輩はこの男に対してとっていた。
「ふん。無礼はどちらか…。生憎と、私も貴様のような無礼者に名乗る名前はない」
まるで、男の鏡うつし。
美景先輩は、男と同じ態度をもって、応えていた。
更には、あの薫先生でさえもが、名前を名乗ることはなかった。
「………」
顔を背けて、無視を決め込んだのだった。
態度にこそ出さないものの、男は内心で荒れ狂っているのだろう。
目には見えない威圧感が、一層に強くなっていた。
そこに宗也が一押し。
この場から去れるようにと、話を進める。
「残念ながら、そういうことのようだ。では、私たちはもう行くぞ?早く帰って休みたいからな」
言い切ると同時に、宗也は歩き出した。
すでに話は終わったとばかりに、男を気にかけることもなく。
その背中に、男は怒鳴り声をあげる。
「行くがいい!どこへなりとでも!なるべく俺様の視界に入らないようにな!」
続いて、突然のことに出遅れていた、俺たちに向かっても。
「貴様らも、俺様の視界から消えろ!目障りだ!」
「言われなくても、そうさせてもらうよ。こっちも似た気分だからな」
そして、歩き出す俺たち。
が、最後に男は、俺たちの後ろを歩いていた結衣さんを引き留めた。
「あの話だが、考えてくれたのだろうな?」
思わず耳をそばだてる。
「あの話、とは?」
「決まっているだろう。俺様の側室になる、という話だ。無論、承知してくれるのだろうな?」
どうやら、結衣さんを男の愛人に、という話のようだ。
だが、考えなくても、結衣さんの答えは決まっているだろう。
そのことは、俺にさえもわかる。
「そのことですか。何度申し上げられても、お断りいたします。私には、宗也君がいますので」
失礼します、と結衣さんは、スタスタと俺たちの方へと歩みよってきた。
「愚かな男だ。結衣姉を側室になどと。結衣姉が宗兄にぞっこんなのは、誰が見ても明らかだろうに」
追いついてきた結衣さんに、声をかけたのは美景先輩だ。
確かに、それは言えている。
結衣さんは、明らかに宗也一筋だ。
たぶん、その逆も同じだろう。
「私と宗也君は、そんなのじゃないっていってるじゃない、みーちゃん…」
そう言う結衣さんだが、その顔は僅かに赤い。
そのことに、美景先輩は満足そうだった。
「ふむ、そういうことにしておくよ、結衣姉。それよりも、今の男は誰なんだ?」
俺も気になっていた質問。
それに、結衣さんは僅かに表情を曇らせながら、応えてくれた。
「嵯峨 康行。前領主様の実の息子です。何度お断りしても、側室になれってしつこい方です」
どうやら、表情を曇らせる原因はそこらしい。
「今の嵯峨って人が、さっき宗也と言っていた、遙が唯一無視する人ですか?」
そういえば、噂をすれば影、みたいなことを言っていたのを思い出して、訊ねてみた。
「ええ。たぶん、あんな性格ですから、領主の地位を継ぐことができなかったんだと思います」
なるほど、だから遙が領主になっているわけか。
などと考えて、ふと疑問が浮かぶ。
「遙って、向こうの世界の人間ですよね。なのに、実の息子押し退けて領主になるなんて…。前の領主とは、どういう関係だったんですか?」
まさか、夫婦というわけではないだろう。
「遙ちゃんは、前領主様が養子になされたんです。それで、領主の地位を継ぐことができたんです。…っ!宗也君、もうあんな所に。皆さん、早く行きますよ」
唐突に、結衣さんは早足になる。
その行く先。
見れば、宗也の背中が随分と小さくなっている。
「相変わらず、歩く速度は宗兄には敵わない、か」
感慨深く呟きながらも、結衣さんの後に続く美景先輩。
「薫先生。早くしないと、迷子になりそうです」
「それは困ります…。行きましょう、宮前君」
続いて、俺と薫先生も速度をあげる。
俺は最後に、もう一度だけ後ろを振り返った。
そこに見えるのは、ポツンと立つ人影が一つ。
たぶん、嵯峨のものだ。
俺は、その嵯峨の姿から、気のせいかもしれないが、敵意を感じていた。
〈嵯峨 康行…。気をつけなくちゃならないかもな…〉
こちらに来て二日目の日常も、滞りなく過ぎて行く。