奇姫
「奇姫様。渡様と富川様、それに『筒衣の砦』より代表の方、三名がお見えになられました」
城内、俺たちを案内してくれた侍の声が、襖の向こう側にかけられる。
「そうか、来たか。入ってきてくれ」
返ってくるのは、凛と響く女性の声。
「どうぞ、お入りください」
案内の侍の手によって、目の前の襖が開かれた。
その向こう、広がるのは宴会場かと思ってしまうほどの広さの一室。
なんでも、領主への謁見の間、らしい。
そして、その広い部屋の上座にあたる場所。
俺たちから見て部屋の奥が、他の場所から一段高くなっている。
そこに、領主だという人物はいた。
〈あれが領主!?〉
部屋の奥に座る人物は、俺の想像とは遥かに違っていた。
身に纏う着物は、豪奢だが品があり、領主が纏うのに相応しいものだ。
だが問題は、それを纏う人物だ。
まず、歳が若い。
領主というものだから、てっきり老婆かと思っていたが、そうではなかった。
部屋の奥に座る女性、いや少女の歳は、たぶん俺よりも年下。
推測するに、おそらく十五か六といったところ。
しかし、最も目を引くのは、その容姿だ。
顔立ちは、年相応のあどけなさはあるが、整っている。
あちらの世界の芸能人などと比べても、人の好みにもよるだろうが、劣ることはない。
個人的には、勝っていると思う。
そして、何より特徴的なのは、その髪だ。
絹糸のように少女の背後に、伸びているその髪は、陽の光と思うほどの見事な金色をしていた。
俺の隣、美景先輩と薫先生も、彼女の姿には呆気に取られたようだ。
驚きの表情を露骨に浮かべて、二人とも少女の姿を見ている。
「失礼します」
宗也の声で、俺たちは我を取り戻した。
見ると、少女の姿を気にすることなく、堂々と宗也は部屋の中へと進んでいた。
「奇姫様、失礼します」
続いて結衣さんも、歩を進める。
俺たち三人も、慌ててそれに倣い、部屋の中に。
先に入った二人は、奇姫というらしい少女が座る上座の、二メートルほど手前で歩みを止めている。
俺は、その二人の少し後ろで、足を止めた。
俺と一緒に入ってきた、美景先輩と薫先生もつられるようにして、似た位置に。
「もうよいぞ。下がれ」
再び、少女の声が響く。
それは、案内の侍に当てられたもの。
命じられた侍は、少女に一礼してから、丁寧な動作で襖を閉めて、姿を消した。
しばらくして、案内の侍の気配が感じられなくなったころ、おもむろに少女、奇姫は口を開いた。
「で、宗也。今度来た連中と言うのは、お前の後ろにいる三人のことだな?」
「ああ。彼らの他にも数十人、建物ごとこちらに辿り着いていた」
「建物ごと何十人もか…。知っている限りでは、一番大きいな。それで、名前は何て言うんだ?」
「えっ?」
突然、指差されて戸惑う俺。
そんな反応をする俺に対し、奇姫はじれったそうに促してくる。
「えっ?、じゃないぞ。名前だ名前。えっ?、て言うのが名前なのか?」
何だか、気のせいか喋り口調が随分と軽い気がする。
そんなことを考えながらも、俺はきっちりと名前を名乗る。
「宮前 晶、と言います」
「晶、だな。じゃあ、そっちは」
次に指名されたのは、美景先輩。
美景先輩も、奇姫の態度に俺と同じような違和感を感じているのだろう。
その目が、如何わしいものを見る目付きになっている。
「深水 美景、と申します」
「美景、だな。最後にお前は?」
俺と美景先輩とは対照的に、こちらは何の疑問も持っていなさそうな薫先生。
至って普段と変わらない様子で、挨拶をする。
「村上 薫、と言います。よろしくお願いしますね」
「うむ。よろしくだ、薫!」
次の瞬間、奇姫は勢いよく立ち上がった。
それから、トテトテと俺たちと宗也の間に立つと、
「あたしは槙野 遙だ。こちらでは、奇姫、とも呼ばれているな。よろしく、だ!」
そう言って、満面の笑みを浮かべた。
本来ならば、こちらも笑みで返すべきなのだろうが、俺に浮かんできたのは、笑みではなく疑問だった。
「槙野 遙?奇姫じゃなくって?」
「そうだぞ?何かおかしなところでもあるのか」
俺の疑問に対して、返ってきたのも疑問だった。
どうやら、彼女にとっては、俺が疑問に思ったことは当たり前のことらしい。
「どういうことなんだ?宗也」
俺は訊ねる先を、奇姫から宗也に変える。
「彼女、奇姫こと槙野 遙は、私や結衣、そして君たちと同じ、異世界への漂流者。こちらで言うところの『筒衣衆』なんだよ」
宗也は、大したことではないように、さらっと言ってしまったが、俺にとってはそうではない。
支援をくれる天ヶ原の領主が、俺たちと同じ世界の住人だったなんて、天地がひっくり返るような衝撃だった。
「嘘ではないのか、宗兄」
いまだ、疑いの眼差しをむける美景先輩。
よく考えてみれば、その証拠となるものは何一つない。
「嘘なものか。…とは言っても、遙がこちらに辿り着いたのは十年前。こちらで暮らした年月の方が長いわけだが。そうまで疑うなら証拠を見せよう。遙」
「なんだ?宗也」
呼びかけられて、後ろを振り向く奇姫、もとい遙。
「お前が向こうにいた時の服を、見せてやってくれ」
「あれか…。少し待っていろ」
そう言うと、遙は上座に戻り、一番奥で何やらゴソゴソし始める。
しばらくの後、戻ってきた遙の両手には、小さい目の桐箱が。
「これは、あたしが向こうにいたときに、着ていたものだ」
箱を畳に置き、蓋を開ける遙。
その中にあったもの。
それは、俺から見ればとても小さい、洋服だった。
「あ…、これ、学園の近くの幼稚園の制服ですね…」
最初に気づいたのは薫先生。
「ふむ…。確かに、古びてはいるが、見覚えのあるものだな」
続いて美景先輩が。
最後に俺も、そのことに気づく。
「本当だ。じゃあ、奇姫様は…」
「遙、でいい。『筒衣衆』のみんなは、そう呼ぶからな」
遙は、箱の中から、件の制服を取り出した。
「あたしがこっちに来たばかりの頃は、これを着れていたんだ。いつの間にか、こんなに大きくなってしまったけどな」
制服を眺める遙の目は、どこか懐かしそうで、悲しそうだ。
「あたしは、もうほとんど向こうのことを覚えていない。両親の顔ですら、まともに思い出せない。だから…」
再び、遙がこちらに向いた時には、懐古も悲哀もその顔にはなく、笑みが浮かんでいた。
「お前たちが見ていた、向こうの話を聞かせて欲しい。忘れたくは…ないからな」
だが、そう言う表情はどこか悲しそうだった。
その顔を前にして、俺たち三人は、ただ頷くことしかできなかった。