幕間 幸せな時間
突然だが、俺の名前は山崎 裕久。
俺は、今猛烈に幸せであることを、自慢したい。
昨日は、『開かずの資料室』の真相を確かめようとしたのを発端に、とんでもない不幸が次々と訪れた。
まず、お化けみたいな大きさの鼠に襲われた。
次に、妙な男たち相手に、薫先生にいいとこみせようと反撃を試みたが、見事に返り討ちにあった。
しかも、今いる場所が異世界だとかいう話だから、たまったものではない。
だが、今の幸せの前には、そんなことはどうでもいい些細なことだ。
と、俺の占拠する保健室のベッドの前を、一人の女子生徒が、パタパタと通り過ぎる。
背中の半ば位まで伸びた髪の一部を、アクセントのように後頭部でくくった彼女。
彼女の名前は、狩野 沙希。
昨日、ボコボコにされて動けなかった俺を、一生懸命看病してくれた後輩だ。
「どうしたの?沙希ちゃん」
何かを探している様子だったので、俺は訊ねた。
「あれっ?裕久先輩、起きてたんですか?」
昨日からの短い付き合いで判ったのは、彼女は何にでも一生懸命で、一生懸命になってしまうと他のことが見えなくなる、ということだった。
確かに、痛みで動きたくない俺は、昼寝をしていた。
しかし、結構前には起きていたはずだ。
そして、起きた時には既に、沙希ちゃんは何やらパタパタと、保健室の中を動き回っていた。
〈探し物に一生懸命だったんだろうな…〉
たまに、俺が重症じゃなくて良かったと思う。
沙希ちゃんなら、重症患者を、何かに夢中で忘れることくらい、やりかねない。
「何か探し物でしょ?何を探しているんだい?」
「ほぇぇ…、当たりですよ。裕久先輩、超能力者ですか?」
まあ、あれだけ戸棚を開けたり閉めたりしていれば、誰だって判るだろう。
「まあ、そんなところかな。で、何を探しているの?」
「えっと、消毒薬とガーゼと包帯です。今日は、お夕飯の担当の子が包丁で怪我したらしくって…」
ふと、保健室の入口付近を見る。
そこには、一年生と思われる女の子が、左手の人差し指を押さえて、椅子に座っていた。
「保健の先生がいてくれればよかったんですけど…」
そう。生憎、保健室に常駐しているはずの養護教諭は、こちらへは来ていなかった。
だから、俺と沙希ちゃんが、占拠できたわけなのだが、
「わたし、裕久先輩の看病したかったから、保健室にいたのに…。ついでに保健室の管理まで任されるなんて、不幸ですよぅ」
沙希ちゃんに保健室管理を任せてしまったのは、俺と晶たちが助けた、あの男性教師だ。
あの先生、なんだかんだで人望はあったらしく、今では学園を取り仕切るまでに出世している。
「まあ、そう言わないで、沙希ちゃん。さっき言ってた三つだけど、入口側の戸棚の一番手前の薬箱の中だよ」
よく仮病を使って、保健室で寝ていた俺だ。
保健室の中は熟知している。
「そうでしたか!ありがとうございます!裕久先輩!」
輝くような笑顔を見せて、俺の言った戸棚へと駆けていく沙希ちゃん。
あんなに可愛い子に看病してもらえるなんて、ボコボコにされたあの時は、夢にも思わなかった。
〈ああ…何か意味もなく幸せ…〉
その時だった。
さっき戸棚の中から、目的の薬箱を見つけた沙希ちゃんの悲鳴があがったのは。
「ああっ!ひ、裕久先輩!助けてくださいぃ」
「沙希ちゃん!?どうした!」
また、あの化け物鼠が出たのかと、慌てて声がした方向を振り向く俺。
〈学園の皆が、苦労して全部追い出したはずだけど…まだ残っていたのか!〉
同時に、ベッドの脇に立て掛けてあった、晶から借りた竹刀を手にとる。
もし、例の鼠が出たなら必要になるだろう。
「ふぇぇん…。裕久先輩ぃ、早く助けてくださぁい…」
しかし、そこに俺が見たのは、予想に反して繰り広げられていた、平穏な光景だった。
「沙希ちゃん…、どうしたら、そんなことになるんだよ…」
悲鳴をあげていた沙希ちゃんは、何をどうすれば、そんな器用なことができるのか。
全身に、包帯が絡まりついて身動きが取れなくなっていた。
「知りませんよぅ。包帯を巻いてあげようとしたら、こうなっちゃったんですよぉ」
泣き声を上げている沙希ちゃん。
俺は、痛む体に鞭打ながら、必死で包帯と格闘する沙希ちゃんのもとへと向かう。
どうやら、忙しくも幸せな時間は、もう少しの間は続きそうだ。