救出
宗也が行ってしばらくした後。
「うわぁ!」
「なんだ?てめぇ…」
「く…黒鬼だ…」
「『黒鬼の渡』だ!」
などと、お堂の中が騒がしくなる。
それに続くようにして、刀と刀を打ち合う剣戟の音。
不意に、その音が止んだかと思うと、続いて聞こえるのは、ガチャガチャと鎧が揺れて走り去る音だ。
「おい!あいつ、逃げるぞ!」
「『黒鬼の渡』も大したことねぇ!追いかけて、やっちまおう!」
「そうだ!あいつの首取って、名をあげるんだ!」
「追うぞ!野郎ども!」
直後、お堂にいた山賊たちも、逃げた宗也を追って、ドヤドヤと駆けていく。
これで、お堂の中は空っぽになったわけだ。
「行きましょう、薫先生」
俺は、山賊たちが程よく離れた頃合いを見計らって、お堂の中へと移動を開始する。
「油断しないでくださいね、宮前君。まだ、何人か残っているかもしれませんよ」
その後ろに続く薫先生。
俺たちは、細心の注意を払ってお堂の中に潜入。
中は予想以上に散らかっていた。
板張りの床には、そこかしこに酒瓶が散らばり、ついさっきまで酒宴の最中だった事が伺える。
そして、そこには酒宴の跡以外のものが倒れ伏していた。
「………ッ!」
「う、嘘…」
それは、山賊の死体だった。
先ほどまで、生きて酒を飲んでいたであろう、それは、もはや動くことすらない。
そして、その身体には大きな切傷。
身体を両断する勢いでつけられたその傷から、宗也の持っていた太刀か薙刀に斬られたことが、容易に想像できる。
「……嘘だよな…?死体なんて…」
突然見せられた惨状に呆然とし、思わず精神活動を停止させる。
「……っ!驚いている場合じゃありませんでした…。早く、深水さんを探さないと」
立ち直ったのは、薫先生の方が先だった。
そして、呆然と立ち尽くす俺に目をとめる。
「宮前君!深水さんを助けるんでしょう!?しっかりしてください!」
その一言で、俺は正気を取り戻す。
「すみません…薫先生。そうですね。美景先輩を探さないと!」
そう言って、俺は死体からなるべく目を逸らし、お堂の奥へと進んで行く。
さっきの騒ぎで、明かりが消えてしまったようで、俺たちは暗がりの中、必死で美景先輩を探す。
「薫先生!こっちにはいません!」
「こっちも同じです!」
お堂の中には、美景先輩の影も形もなかった。
外に出て、周囲を探そうと、踵をかえそうとした時だった。
「…?今、何か音が…」
静まりかえった、お堂の内部に響く微かな音。
数秒の後に、それは大きく更に確実に響き渡った。
「あっちから聞こえました!」
勢いよく駆け出す薫先生。
向かった先は、お堂の最奥部。
その暗がりに存在していた、別の部屋への出入口。
「深水さん!」
最初にそこを覗き込んだ薫先生が、声をあげる。
続いて辿り着いた俺が見たのは、お堂とは比べ物にならないくらいの小さな部屋に、両の手足を縛られて猿轡を噛まされた、美景先輩の姿だった。
「美景先輩!」
美景先輩は無事だった。
身に付けた制服は、汚れてこそいるものの、それ以上の破損はない。
美景先輩自身にも、かすり傷程度はついているが、それ以上の乱暴をされた痕跡は見当たらない。
と、美景先輩は何かを話したそうに、必死で口を動かしている。
「あっ。待ってくださいね。今外しますから…」
そんな美景先輩を見て、薫先生が猿轡を外す。
途端、
「晶君!後ろだ!」
美景先輩の叫び声が響き渡った。
その言葉に従って後ろを振り返ると、そこには一人だけ帰ってきたらしい山賊の姿と、振り上げられた日本刀の凶悪な輝き。
「くっ…!」
降り下ろされるそれを、俺は何とか木刀の横薙ぎで、軌道を逸らす。
「大丈夫かね!?晶君!」
「ええ、何とか…。薫先生、美景先輩を頼みましたよ」
そう言って、俺は目の前の男に向かって、木刀を降り下ろす。
男は、それを後ろに飛んで回避。
俺は、それを追うことによって、後ろの二人から距離をとる。
「頭の言う通り、俺だけでも戻ってきてよかったぜ…」
片手で持っていた刀を、両手でしっかりと握り直す男。
「まさか、あの黒鬼が囮とはな…。危うくしてやられるところだった」
俺は、木刀を正眼に構える。
それを見た男は、まるで不思議なものを見たかのようだった。
「おい、餓鬼。おめぇ、刀は使わねぇのかい?」
指し示すのは、俺の腰に差さった刀。
「なにぶん、借り物だからな。俺にはこれで十分さ」
それを聞いた男は、心底可笑しそうだ。
「おもしれえ!そんな木刀ひとつでどこまで生きてられるか…見せてもらおうじゃねえか!」
言葉と同時、もの凄い勢いで踏み込み、斬りかかってくる男。
俺は、横に跳ぶことでそれを回避。
しかし、続けざまに刀による横薙ぎが繰り出される。
「やばい!」
それは、身を屈めることでかわす。
直後、男の頭上から降り下ろされる銀色の刃。
「もらったあ!」
「くそっ…!」
襲いくるその刃を、俺は、またも横に払うことで回避する。
だが、その一撃を皮切りに、繰り出されるのは連続攻撃。
斬り、薙ぎ、突かれる攻撃の群れに、俺は防戦を余儀なくされる。
「ほらほら、どうしたあ!」
繰り返される刃の襲撃に、俺の木刀はもはやボロボロ。
その身は随分と歪になり、これでは反撃にでることもままならない。
「晶君!」
お堂の裏から駆け出てきたのは、美景先輩。
その手足には、薫先生に解いてもらった縄の跡が、痛々しく残っている。
「宮前君!大丈夫ですか!?」
続いて出てきたのは、薫先生。
縄を解くのに、相当苦労したのだろう。その指先はボロボロだ。
「加勢するぞ!」
近くにあった燭台を手にして、俺たちの戦いに参戦しようとする美景先輩。
「こないでください!」
それを、俺は叫ぶことで制止した。
「しかしだな…」
来るな、とだけ言われても納得はできないようだ。
「俺の腕前だと、美景先輩を気遣いながら戦うのは無理です!最悪、俺が美景先輩を傷つけてしまう!」
男の攻撃を防ぎながら、そう叫ぶ俺。
話している間にも、男の攻撃が止むことは決してないのだ。
「仲間を気遣いながら戦うとは…余裕だな!」
その直後、俺の木刀が男の一撃で、使い物にならないほどの長さに切断される。
同時に、腰に差した刀の鞘が、コツンと壁に当たり、俺はお堂の隅に追い詰められていたことに気がついた。
「今度こそ…もらったあ!」
途端に世界がスローモーションになる。
目の前の男は、刀を頭上に大きく振りかぶる。
その後ろ、お堂の反対側からは、燭台をなぎなたの代わりにした美景先輩が、こちらに向かって走り出している。
それに続くように、薫先生も。
しかし、二人が間に合うことは無いだろう。
二人がこちらに駆けつけた頃には、俺は真っ赤な花を咲かせているはずだ。
〈あっ…俺、死んだわ…〉
諦めるのに、かかった時間はほんの一瞬。
大人しく斬られようと、目を閉じようとしたとき。
コツン、と刀の鞘が壁に当たった。
宗也から借り受けた刀は、その存在を重みとして、俺に伝えてくる。
その事を認識した俺は、咄嗟に木刀を捨てて刀の柄に手をかけた。
あとは簡単。
男の刀が俺に到達する前に、
抜き打ちざまに、俺は、男を、斬っていた。
返ってくるのは、刃が肉を裂く手応え。
降りかかるのは、生暖かい鮮血の花。
胴を大きく斬られた男は、その中身を外界に吹き出しながら床に倒れ込み、二度と起き上がることは無かった。
「大丈夫か…?晶君…」
心配そうに傍にやってきた美景先輩にも、俺は気づくことができなかった。
俺の頭を埋めるのは、人を斬った感触と、他人の生命を奪った、その事実だけ。
「宮前…君?」
薫先生も、俺の様子を確かめようと、顔を覗き込んだようだったが、それさえ気づくことができなかった。
「晶君!薫さん!首尾は!?」
宗也が飛び込んで来たのは、そんな時だった。
飛び込んですぐ、お堂の様子から何があったかを把握。
そして、ゆっくりと俺に近づいてくる。
「しっかりしないか!」
一喝と共に、俺はその頬を殴られて。
それによって、ようやく俺は外界の存在を認める。
「なっ…!貴様、突然やってきて何をしている!」
宗也の行動に、美景先輩は食って掛かるが、宗也はそんなことを気にも止めない。
「君の覚悟はその程度だったのか?誰かを助けるために、誰かを傷つけて、殺して。その程度で、止まってしまう程、彼女の存在は軽かったのか?」
それは…断じて違う。
俺は、命を捨てる覚悟でここに来ている。
「俺は…自分の命を捨てる覚悟で…」
「だったら、他人の命を奪うことは考えなかったか?」
考えないでもなかった。
しかし、考えるのと実際に目の当たりにするのとでは、
「確かに、実際に殺すのと、考えることは、全く違うな。では、君はここに止まるといい。守ることを放棄して、山賊たちに殺されるといい」
それは嫌だ。
殺されるのが、ではなく。守ることを途中で放棄するのが、だ。
「嫌だ…。俺は、最後まで成し遂げたい」
諭されるごとに、だんだんと調子が戻ってくる。
「ならば、今為すべきことは」
宗也の問いにも、はっきりと答えられた。
「ここから、逃げることだ」
俺の答えに、宗也は力強く頷いた。
「では、行くぞ」
そう言って、駆け出す宗也。
「行きましょう、美景先輩。薫先生」
俺は、俺の傍にいてくれた二人を促す。
「もう、いいのか?」
俺に、調子を訊ねる美景先輩。
「ええ。だいぶ立ち直りました」
「無理はしないでくださいね」
尚も心配してくれる薫先生。
「わかってますよ。さあ、行きましょう!」
俺は、そんな二人を伴って走り出した。