崩れる意識、穿つ希望の
営業一課・社装整備室。
整備アームの無機質な動作音が、低く天井に反響している。
焼成コイルの残り香と微かな油の匂い。そこに浮かぶのは、試作スライドの投影ホロ――青白く、静かに、空間を切り取るように漂っていた。
部屋の片隅で、芹沢がスライド投影砲の調整に没頭していた。
肩ユニットの付け根を開き、内部ケーブルを点検しながら、同時に片手でホログラムを操作していく。無駄のない動き。呼吸すら整備の一部のように見える。
「……つまり、向こうの出してくるプレゼン構成は“即効性+再利用可能”の既存案や。数字もコストも揃っとる。パッと見は完璧やけど……“未来”は何も語ってへん」
資料の演算を走らせながら、矢口が静かに言った。
机に投影されたスライド群には、数値比較やコストモデルのグラフが並ぶ。合理性に満ちた攻撃型資料。だが、そこに“思想”の痕跡はなかった。
「こっちは違う。見せる資料に込めるのは、“未来に向けた選択”。……それで勝てるかどうかは、あたしらの腕次第」
芹沢はそう言うと、最後の同期調整を終え、スライドに視覚効果を追加した。
ホロに流れるようなエフェクトが走り、一瞬、光が跳ねる。
そのわずかな煌めきに、風巻は目を細めた。
「スロー再生用のスライド同期、バッチリ。プレゼン中に一発、見せ火力として撃てるわよ」
「演出が過ぎたら、説得力は落ちる。……中身で押し切れん資料に、視覚効果足しても意味あらへんやろ」
矢口が眉をひそめて言う。
「はあ? 戦場で見せ方無視してどうすんのよ。あんた、相手の目が止まる一瞬を、なんで軽視できんの?」
その一瞬で決まることもある。芹沢の怒気は静かに燃えていた。
矢口の合理主義と、芹沢の現場勘。ふたつの価値観が、火花を散らしていた。
その空気に、風巻が踏み込んだ。
「えっと……二人とも……どっちも、大事なんだと思います。伝えることと、伝わること……その、両方を、考えないと……」
――静寂。
ふたりの間に漂っていた緊張が、わずかに弛緩した。
「……せやな。すまん、芹沢。言い過ぎた」
「こっちこそ。ちょっと熱くなっただけ。明日、ちゃんと仕留めりゃ文句ないでしょ」
ふたりが互いを認めたその瞬間、部屋に少しだけ温度が戻る。
奥から、草薙がそっと声をかけた。
「あのぅ……あんまり夜遅くまで、準備してると……その……翌朝、バイオリズム崩れたりするかも、だからね……?」
「それ、“健康管理部”からの警告かいな」
矢口が苦笑混じりに返し、風巻も思わず笑ってしまう。
「でも……草薙さんの言う通りです。明日、定時に全力出すには、今夜の準備で無理するのは……やっぱり、逆効果かも」
「……じゃ、今夜はここまで。明日、“ミライノ”で勝ち切るために、ちゃんと眠ろ」
芹沢が肩の装甲を静かに閉じると、それに呼応するように整備アームがスリープモードへ移行した。
照明が一段落ちる。
そのときだった。
シュゥン――
静かな機械音と共に、整備室のドアが開く。
入ってきたのは、天道。
スーツではなかった。私服のまま、無言で歩を進め、ゆっくりと整備室を見渡す。
言葉を発する前に、その眼差しだけで空気が変わる。
「……未来への責任か」
その短い呟きに、誰もが息を飲んだ。
作業をしていた手が止まり、空間のすべてが静止する。
天道の視線が、風巻に向いた。正面からではない。ただ、確実に彼を射抜くように。
「なら、お前が持て。風巻。
“選んだ責任”は、いつだって当事者にしか背負えない」
風巻は、その意味を理解するのに一瞬の間を要した。
目を見開いたまま、手を握りしめる。指先が白くなる。
胸の奥で何かが決まり、覚悟として立ち上がる。
そして顔を上げ、真っすぐに天道を見た。
「はいっ!」
――風が抜けたような静寂のあと、芹沢と矢口が同時に振り返る。
草薙は、小さく息を吐いて微笑んだ。
天道はそれには何も応えず、黙って背を向けた。
去り際、風巻のユニットを整備していたアームに、一瞥だけ視線を落とす。
ドアが閉まる。
そして照明が一段落ち、整備室には静かな重みが満ちていた。
――午前九時。
第3プレゼン戦闘ホールの床が微かに振動し、ホログラフの起動が始まる。淡く立ち上がる光の層が、全天球の演算フィールドを形作っていく。
その中心に立つのは、外資系企業《GF社》の部隊。先陣を切るユニットの肩越しに、女の声が響いた。
「GF社に歯向かう愚か者っていうから、どんなユニットで来るのかと思ったけど……期待はずれだったみたいね」
ソフィア――GF社戦略部隊の隊長。冷ややかな瞳の奥に、すでに勝利を確信した色が浮かんでいた。
「模擬戦開始――タイムスタンプ、午前9時00分。各部隊、資料展開開始」
アナウンスが流れた瞬間、GF社のユニットたちは一斉に起動。まるで数秒先の未来すらシミュレートされていたかのような動きで、情報展開が始まる。
まず動いたのは先頭のユニット。肩部の装備が変形し、回転する投影装置が放たれた。
《グラフローダーMk.II》
――武器カテゴリ:TYPE-E兵装
――弾薬:棒グラフ弾、円グラフ連弾、未来統計スライド
――効果:資料洪水による視界封鎖(物理)+劣位認識(心理)
空間が、視覚的な“情報”で満たされていく。
続いて後衛。背部の兵装が展開し、膨大な文書資料が階層構造で空間に滲み出した。
《ロジックストラクチャー送信機》
――武器カテゴリ:TYPE-O/A混合兵装
――弾薬:階層化承認ツリー、再構築済み議事録ログ、因果構造パッケージ
――効果:資料破損・表示遅延(物理)+理解不能・読解誘導(心理)
グラフが空から、ログが地から。まるで重力の異なる構造体が世界を染め変えていく。
「――これが、TYPE-E+TYPE-O/Aの連携兵装。島国のあんたたちじゃ、一生お目にかかれないでしょうね」
ソフィアが口角を上げる。
視界が消える。
アステリア側のユニットが後退するなか、芹沢の社装ユニットが円グラフ弾を正面から受けた。肩部のショルダー投影砲が直撃を受け、赤熱と共にスパークを上げる。
「っ……クソ、やっぱり正面は無理か!」
装甲が剥がれ、背面のパネルが爆ぜる。装備、停止。
一方、矢口のユニットも干渉を受けた。背部のログジャマーが階層構造に阻まれ、投影資料が空中でフリーズする。
「情報密度が高すぎて……資料が通らへん!? 再投影、5秒待機やと……っ」
風巻は、二人の様子を見守っていた。
――これが……“勝つために作られた資料”。
――でも、それで未来は語れるのか……?
その思考の間にも、再投影が重なる。階層ログが視野と制御領域を圧迫し、芹沢のユニットが再度前進。しかし、もはや通常の再起動は間に合わない。
芹沢は迷いなくコンソールにコマンドを叩き込んだ。
#REF:自律式資料投影ルート強制解放
風巻には見えた。操縦桿に添える芹沢の手が、まるで傷ついた子どもに触れるように優しかったことを。
「……ごめんね、痛い思いさせるけど……ちゃんと治すから――もう少しだけ、付き合って」
《#REF》ユニットが強制展開。TYPE-E副モジュール「過負荷統計演算器」が全出力で起動し、機体が激しく震える。
「アステリア・リンクス、TYPE-Eユニット #REF――起動確認」
爆発音。スーツの一部が破損し、映像が乱れる。絶叫混じりの通信が途切れ、煙が前方に立ちこめた。
黒煙の中、芹沢のユニットが膝をつく。肩の装備は崩れ落ち、再起動は……叶わなかった。
「芹沢さんッ!!」
「ウソやろ……っ、芹沢!!」
矢口が叫ぶ。
だが、GF社のユニットは無傷。
「残念ね。得意のカミカゼアタックも……私には効かないわ!!」
再び展開されるグラフローダーとロジックストラクチャー。ホール全体が支配下に置かれる。
「惨めに砕け散りなさい!! 私にはあなた方のようなプレゼンは意味がない!届かない!GF社のように数字で優位性を示せない資料は、全て拒否よ!!」
風巻は、拳を握る。歯を食いしばり、空間を覆う情報の嵐を見上げた。
――違う。今は数字で戦うんじゃない。
――“意味”で、勝ちに行く。
右腕のプレゼンキャノンを構え、資料を起動する。《ミライノ》のスライドが投影される。
白と青の光――それは、未来を象徴する構成だった。
「俺たちが選んだのは、未来に意味を残す提案です!」
その瞬間、会議室のガラス越しに声が響いた。
「……未来への責任は、今の選択に宿る」
天道だった。
風巻は視線を上げ、敬礼のように姿勢を正す。
「――はいっ!」
スライドが炸裂し、GF社後衛の投影装置が一瞬ラグを起こす。
「GF社・後衛ユニット、資料展開バッファ一時低下。戦術演算、2秒遅延」
わずかな隙。
風巻の放ったスライド弾は、“理解されないまま”相手の思考を奪っていく。
――心理的ダメージ、発生。
視界が歪み、色彩が流れる。
戦場が、ほんの一瞬だけ――沈黙した。
――静寂が、戦場を覆っていた。
ホログラム空間の演算フィールドがゆっくりと消退し、空間に残っていた情報の残響が薄れていく。全天球を包んでいた資料の嵐も、今はただの粒子となって虚空に溶けていった。
天井のパネルが再点灯し、現実の照明が会場を照らしはじめる。観覧エリアのガラス越しに、小さな拍手の音が響いた。
膝をついたままの風巻のユニットから、圧縮された熱気が白い蒸気として立ち上る。装甲の表面は、プレゼン弾の負荷でわずかに歪み、静かに軋んだ音を立てていた。
芹沢の社装スーツは外装にヒビが入り、肩部の装備はもはや機能停止に近い。矢口の機体もスライド装填ユニットをゆっくりと閉じ、音もなく電源を落としていた。
草薙の声が、端末越しに届く。
「……終了信号、確認。戦闘停止処理、正常完了です」
芹沢の機体はもくもくと黒煙をあげていた。
「芹沢さぁん!!」
草薙が完了の宣言と同時にすぐにコックピットから降りてきた。
すでに救護班が駆けつけていて、コックピットから出されて担架に横たわっていた。、見たところ外傷はなかったが、風巻に気がついた芹沢は、親指を立てて祝った。
会議室越しに立ち上がったのは、GF社戦略部の隊長――ソフィア。無傷のユニットを背にして、静かに目を細める。
「……なるほどね。“思想”だけで押し切るなんて、なかなかの無茶」
すぐにホロ通話が接続される。スクリーンに映る彼女の輪郭は、明瞭すぎて冷たい。
「でも、今回はこっちの“準備不足”。本番でないのはお互い様――
次は、“現実”で叩き潰してあげるわ。覚悟しておいて」
通信が切れる。その言葉だけが、真空のような静けさの中に残った。
風巻はユニットからゆっくりと降り、ヘルメットを外す。少し汗ばんだ額に風があたる。視線を向けた先、芹沢はまだ自機の装甲に手を添えたまま佇んでいた。矢口もまた、何も言わずに静かに背を預けている。
「……結局、撃ち落とせたのは、ミライノに将来を託す夢を盛り込んだだけのテンプレ“既存案”だけやったな」
矢口がぽつりと呟く。
芹沢も、小さくうなずいた。
「うん……“ミライノ”が実戦に乗ってたら、どこまでやれたんだろ」
その言葉に、草薙の声が続く。控えめで、どこか祈るような口調だった。
「でも……プレゼン中の投影、ちゃんと反応ありました。“ミライノ”、伝わってたと思います。たとえ、資料の一部だけでも」
誰も“勝った”とは言わない。
けれど、誰も“負けた”とも言わなかった。
やがてチームは控室へと戻っていく。照明が順に落ち、訓練フィールドに闇が降りてくる。
風巻だけが、その場に残っていた。
室内に残されたホログラム投影装置が、自動で再起動する。沈黙の中、風巻が提出したプレゼン資料が再投影される。宙に浮かび上がったのは、“ミライノ”――未来に向けた提案ユニットの、未完成設計図だった。
仄かな光の中、風巻は顔を上げる。誰もいないホールに、ただその図面だけが輝いていた。
彼は、静かに心の奥から湧き上がる言葉を、噛み締めるように思った。
――未来は……待ってても、来ないんだよな。
誰かが、“まだ見えない何か”を信じて、今を賭けてでも、踏み出さなきゃ。
……それが、あの人たちの選んだ道だった。
だったら、俺も――。
“今”の勝ち負けより、明日に残せるものを……作ってみたい。
手を伸ばす。ホログラムの“ミライノ”に触れるように。
その指先に、小さな光が落ちた。
蛍光灯の名残でも、スクリーンの反射でもない。
それは――覚悟を照らす灯だった。




