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未来のプレゼン

午前九時、直前。

アステリア・リンクス本社ビル、営業一課のフロアには、定時を告げるシグナルが静かに点灯し始めていた。


白く清潔な照明に包まれた空間。

各々の端末が静かに起動し、背後では複合機のモーター音が短く鳴る。


草薙修也が、緊張気味に口を開いた。

「うん……それじゃ、これから模擬戦のブリーフィング、始めるね」


チームの全員が着席している。

風巻 程時は背筋を伸ばしながら椅子に腰を下ろし、芹沢 珠希は脚を組み、矢口 慎吾は腕を組んだまま無言で草薙を見ていた。


「今回はねぇ……経営戦略室の方から、“営業一課で模擬戦をやってほしい”っていう依頼が来ててさ。課長経由だけど、まぁ……つまり、上の本気ってこと、だと思うんだよねぇ」


風巻はすぐに反応する。

「模擬戦でも、結果が実際の判断に使われるってことでしょうか?」


「うん、うん。その通り。勝てば採用って、そういう感じみたい。……だから、わたしたちが選ばれてるんだと思うよ」


「ふーん。“うちの案”、実弾で上に通せってか。……上等じゃん」


芹沢が気だるげに吐き捨てるように言った。

草薙は目を逸らすように視線を落とし、声を小さくする。


「あー……ただね、それとちょっと補足があって……今回は正式な案件ってわけじゃないの。記録には残らないし、会議資料も、出ないと思うんだよねぇ……」


矢口の眉がわずかに動いた。


「……ほんま、“やってないことになる案件”やな。責任だけ押しつけられるパターンや」


「うん、そう……そういうの、慣れてない方もいると思うんだけども……その、えーっと……今回は特に、気を引き締めていただけるといいかなー……って」


言い淀む草薙に、風巻はうなずいて応える。


「はい、了解です、草薙さん」


その一言に続くように、芹沢がじっと草薙を見つめ、口角を少し上げた。


「それって、あれでしょ。“勝っても報われないけど、負けたら地獄”ってやつ」


「あー、うん……まぁ、そう言えなくも、ないかなぁ……」


草薙の声は、どこか情けなかった。


矢口がため息交じりに言う。


「はぁ……せやから“上の提案”って嫌なんや」


風巻はそっと視線を落とす。


――なるほど。これはもう、戦いじゃなくて、“代行された覚悟のプレゼン”だ。



 空調の音だけが響く中で、風巻 程時の端末が小さく鳴った。通知音は平坦で、どこか無機質だったが、その中身は静かなフロアの空気を一変させるに十分だった。


「……あれ? これ、経営戦略室からの共有です。模擬戦、仕様が変わってます」


声の調子を抑えながらも、風巻はすぐに資料を読み取り、スクリーンへと投影する。

ピシ、と薄く音を立てて資料が映し出された瞬間、芹沢も矢口も自然と手を止め、スクリーンに目を向けた。


「……は? なんやこれ。“外部提案企業との比較実演”って……おい、これ、まさか――」


矢口の声が低くなる。

続けざまに、芹沢が椅子の背にもたれたまま、苛立ちを込めて呟く。


「は? 外注?! ふざけんなって……!」


空気が、変わった。


――彼らにとって、それはただの変更ではなかった。

時間をかけて作り上げた提案。議論を重ね、現場の温度と向き合って組み上げてきた案が、“外部の企業”という一文で、踏みにじられるかもしれない。


草薙が申し訳なさそうに補足を口にする。


「う、うん……えーっと、GF社。正式には“Greedwell & Fang グローバルソリューションズ”だって……」


その名を聞いた瞬間、矢口が鼻を鳴らす。


「……知っとるで。“金の匂いにしか反応せぇへん”って社内でも有名なとこや。提案の規模はでかいけど、ほとんど外注と焼き直しばっかや」


芹沢が身を起こし、腕を組む。


「つーか、なんで、そんな連中が――うちの案件に混ざってくるわけ?」


草薙の声はさらに小さくなる。


「その、経営陣の方で“外部視点を含めての検討”って……。あくまで“公平な判断”をって……」


「公平ねぇ……」


矢口が声を潜めて、苦笑するように言った。


「ほんなら、なんでこっちは事前に知らされてへんかったんや?」


言葉が止まり、全員の視線が再びスクリーンに向かう。


その資料を見つめながら、風巻が低くつぶやいた。


「つまり、ぼくらに求められてるのは“説得力”じゃなく、“撤退の理由”なんですね……GF社に乗り換えるための」


言った瞬間、自分でも空気の重みが変わったのがわかる。

誰もが、言葉を失った。


沈黙のなか、芹沢がその静けさを断ち切るように言った。


「――上等じゃん。あたしらの資料で、黙らせてやればいい話でしょ」


草薙が慌てたように両手を小さく振る。


「ま、まぁまぁまぁ……! たしかに厳しい展開だけどね、でも、えー……社内の理解を得るためにも……その、頑張ろうね……!」


その場しのぎのような言葉に、矢口が肩をすくめる。


「……ほんま、胃に悪い仕事ばっかりやで」



 コピー機が低く唸る音が、営業一課のフロアに穏やかに満ちていた。

電話のベルが断続的に鳴り、誰かのキーボードが一定のリズムで鳴る。

日常と同じ風景――だが、そこには、静かに張りつめた緊張が流れていた。


風巻は、自席でスクリーンを見つめたまま、指を止めていた。


画面には、過去の提案書のフォーマットが開かれている。だが、そこに手を加えることはできないままだ。


――模擬戦、か。

結局、どうすれば“勝てる”んだ……?


頭の中で言葉がこだまする。掴みかけた何かが、指先から滑り落ちるように感じられた。


「固まってんぞ、風巻ー。最初は手ぇ動かせって、口酸っぱく言ったよな」


少し離れた席から、芹沢が声をかける。こちらを見もせずに、モニターに向かったままだった。


「あ、はい……すみません」


慌ててマウスを動かしながら、風巻は思考の切り替えができずにいた。視線は画面の一点に留まり、意識はそこから抜け出せなかった。


背後で椅子が軋む音がした。矢口が立ち上がり、書類を手に複合機の方へ向かう。


「考え込むクセ、悪いとは言わんけど……出すもん出してから悩めや。型もできてへんのに“独自色”とか、無茶やで?」


矢口の言葉は、風巻の胸に鋭く刺さる。


「……でも、ただのテンプレじゃ、勝てない気がして」


ぽつりと、風巻が答えた。


「おー、言うやん。ほな見せてみ? その“勝てる気がする資料”とやら」


そう言いながら、矢口は小さく笑った。

だが、風巻の手元には、何も出ていなかった。


「矢口、それ言い方ドSすぎ」


芹沢がクスッと笑う。


「教育や教育。殴ってへんだけマシやろ」


言い合いの間に、草薙がこちらを一瞥していたが、何も言わずに書類の束を整えていた。


――そうだ。

自分にしか撃てない“資料の弾”って、なんなんだ……?


ふいに、複合機が紙を吐き出す音がした。

芹沢が立ち上がり、歩いて行く。


風巻は、何気なくその背中を目で追った。


芹沢は出力された資料を片手で整え、めくる。

カラフルな図解。力強いフレーズ。視覚に直撃するような構成。


――派手だ。でも、読みやすい。言いたいことが一瞬で伝わる。

芹沢さんの資料……まるで武器みたいだ。


その背中越しに、芹沢が呟いた。


「プレゼンバトルってのはさ、どれだけ“資料に顔が出てるか”だよ。

誰が言ってるか、何を信じて撃ってんのか――そこが透けてなきゃ、相手はビビらない」


その言葉に、風巻はハッと息を飲む。


芹沢は少しだけ振り返り、口元に笑みを浮かべた。


「悩め。焦れ。でも手ぇ止めんな。あんた、まだ一発も撃ってないから」


そう言って会議室のドアを開き、そのまま姿を消す。

ドアが静かに閉じた音が、フロアに溶けていく。


――自分の顔が、資料に出る……か。

僕は、何を撃ちたいんだろう。


風巻は静かに画面へ向き直り、手を伸ばした。

白紙の資料ファイルを、新しく開く。



 午後4時30分。

アステリア・リンクス本社の営業一課フロアには、言葉を飲み込んだような沈黙が漂っていた。


各席では誰もが無言のまま手を動かし、資料のまとめや装備のチェックに追われている。

蛍光灯の光が、わずかに落ちた。天井からは“終業30分前”を知らせるシステムアナウンスが微かに流れる。

空気そのものが、終わりへと収束していく。


――残り30分。今日という日が、俺たちの答えになる。


風巻は、画面の前でわずかに指先を止めた。

だがすぐに、呼吸を整えるように、深く息を吸った。


草薙 修也が静かに近づいてきて、声をひそめる。


「風巻くん……大丈夫そうかな? 今日はもう……ほんと、ギリギリで」


「はい。間に合わせます」


風巻が短く応えると、草薙は安心したように頷き、控えめに資料を整えて席に戻っていく。


斜め向かいでは、芹沢 珠希がホロディスプレイに向かい、スライドの最終チェックをしていた。

その手つきに迷いはない。データの切り替えと同時に、ちらりと視線を矢口へと送る。


「あと一回だけ、資料すり合わせしとく?」


「……やっといた方がええな。明日、時間足りんのはウチらのせいやない。そやけど、勝たれへんかったら意味ないしな」


矢口の声には、淡々とした現実感とわずかな苛立ちが混じっていた。


風巻は再び端末に向き直り、プロジェクターモジュールの調整を始める。


――“結果は出す、でも評価はされない”。

――それでも、やるしかない。


言葉に出すことなく、そう自分に言い聞かせた。

今日の準備が、明日のすべてを決める。


**************


午後4時50分。

“業務終了10分前”を告げるチャイムが、フロアに柔らかく響いた。

システム連動で、室内の照明が徐々にフェードモードへ移行し始める。

時間が、確実に終わりへと向かっている。


風巻のモジュールが、静かにスライドを投影し始めた。

その場にいた営業一課の3人が並び立ち、仮想会議モードへと入る。

風巻がスライドを送り出し、声を発する。


「提案書のアウトラインはこうなっています。明日の対抗提案と比較して――」


その瞬間。

社内ネットワークに通知音が響いた。


《明日朝、模擬戦プレゼン会議予定。

出席:経営戦略室、GF社外部戦略チーム、営業一課》


風巻は即座に投影を止め、静かに一礼する。


「……やります」



 

午後5時。

館内全域に、自動シャットダウンのアラートが鳴り響く。

照明が一斉に暗転し、ビルは終業モードへと切り替わった。


誰も、席を立たない。

誰も、言葉を発さない。


営業一課のフロアに残されたのは、暗がりの中に浮かぶ端末の光と、

それぞれの胸に灯る、小さな覚悟の火だった。



 白く硬質な壁に囲まれた戦略ラボ。

棚には各種試作ユニットのパーツが、沈黙する兵器のように並べられている。


中央にはホログラフィックの資料投影が浮かび、

その下に、営業一課の3人と設計技術部の主任――佐原の姿があった。


ラボの空気は冷え切っていた。だが、静けさの奥には確かな熱があった。

準備の場ではある。だがその実、この空間はすでに“戦闘前夜”の空気を孕んでいた。


佐原は、立ったままホロを操作していた。

投影されたのは、中央で駆動部を変形させるユニットの立体モデル。青白い光が、チームの顔を照らす。


「……このコアが“選択型駆動”の中枢だ。汎用系にも対応できるし、環境型にも瞬時に切り替えられる。出力はやや落ちるが、リカバリ速度が桁違いに高い」


風巻は、その設計思想の一端を感じ取ろうとしていた。

未来を描くための構造。過去の焼き直しではなく、更新された骨格――。


矢口が、やや皮肉交じりに笑った。


「……はは。こらまた、ずいぶん未来志向な設計やな。量産考えてへんやろ、正直」


だが、佐原はその突っ込みを否定しなかった。


「もちろん考えてる。ただ“今の量産ライン”には対応してないだけだ」


風巻が少し眉を動かした。


「……つまり、新しいラインが必要になると」


「そう。だけど、それは“未来に向けた選択肢”だ。今あるものを焼き直すより、きちんと更新する。それが、この《ミライノ》に込めた思想だ」


《ミライノ》。

その名前が、ホロディスプレイの端に浮かび上がる。


芹沢が、操作パネルに手を伸ばした。

指先で空間をすくい取るようにして、スーツ装備型のプロトモデルを手元へ引き寄せる。


「この仕様、営業用にも転用可能だな。推進モードと通信同期……うん、いける」


視線だけで戦場の運用を組み立てている。芹沢のその動きに、風巻は密かに感嘆していた。

だがその時、矢口の声が現実を突きつけた。


「けど、GFのやつらは“今あるもんで出せ”って言うてくる。今の路線が“完成してる”って前提で話してくるぞ」


風巻は、ふとつぶやくように言った。


「……“完成してる”なら、“進化”は必要ないってことになるんですね」


その言葉と同時に、ホロに浮かぶ《MIRAINO》のモデル名が、静かにその存在感を強めた。

その瞬間、チームの全員が、自然とそこに視線を向けていた。


佐原の声が、空間を貫いた。


「このユニットには、ただの性能じゃない。“未来の意味”を、ちゃんと込めたつもりだよ」


技術屋の誇りとも、挑戦とも取れる声だった。


矢口が、短くうなずいた。


「……なら、見せつけたろ。“意味のある提案”っちゅうもんをな」


芹沢の唇が、わずかに持ち上がる。


「よっしゃ。うちらが動けば、それが戦闘データになる。勝てば本採用。つまり……」


風巻は、言葉を継ぐように小さく息を吸い、口を開いた。


「……未来を、自分たちで掴むってことですね」


誰も答えなかった。

だがその代わりに、全員の視線が《MIRAINO》に集まっていた。

戦闘装備でもあり、思想の具現でもある、その提案の象徴に。


静かに、ホロの光が空間を包み込む。

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