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紙で撃て。営業はスライドを装填する

足音だけが響く社内の回廊。

 天道の歩みに合わせて、自動ドアが次々と開いていく。

 音楽のように響く電子音、そして――その歩調は一度たりとも乱れない。


 

 

 ナレーションのように、矢口は語り出す。


 「さすが天道部長やな、伝説と呼ばれた理由――それは、彼の処理速度にあるんや」

 「ヒューマン・プロセスのすべてを、手作業で最速化した男――くぅー!かっこええな!」


 彼が目指すのは、部署間を跨いだ回覧ルート。

 その多重化された電子網を、たったひとりで強引に切り拓く。


 各部署の端末に、天道のIDが刺さっていく。

 指先が、打鍵ではなく入力処理として動く。

 モニターには、社内オペレーターたちのログが次々と表示された。


『営業A-3区、承認ルート接続。次の承認者は……』


「飛ばせ。Bパス経由。後で俺がフォローする」


『了解。Bパス、フラグ強制上書き……完了!』


 別部署のネットワークルーム。

 警備認証が二重にかかったICロックボックスに、天道が紙の稟議書を挿入する。


 ピピッ……バシュン!


 電子音が弾け、紙の情報が一瞬で社内クラウドへアップロードされた。

 各部署を示すラインが、光の軌跡となって走っていく。


「いったーッ!あとひとつ!」


 芹沢が端末を見ながら叫ぶ。

 背後で風巻がぽかんと口を開けていた。


「な、なんであんな紙でデータ化できるんだ……!」


 だが答えは来ない。天道は、もう次の手順に移っていた。


 営業一課の格納ベイ。

 午前八時三十七分。

 スーツのコネクタを接続しながら、風巻と芹沢が息を整えていた。


「こっちの準備も終わった。あとは通るだけ……!」


 そして、ドアが開く。


 歩く音。足音のみ。

 戻ってきたのは、天道令司――ただそれだけだった。


 彼は、一言だけを告げる。


「――通った」


 一拍。


 その言葉と同時に、警告モニターが一斉に緑へと変わる。

 【装備接続OK】

 【出撃許可OK】

 【Zウィルス対策完了】


「……ほんとに、できたんですか?」


 風巻が思わず呟く。

 芹沢が、その隣で笑った。


「15分もかかってへんやん。やっぱバケモンやわ……」


 稟議は通った。

 出撃が許された。

 だが、まだ終わりではない。


 天道は風巻に紙の稟議書を突き出す。


「持って行け。そして忘れるな。」


 そういうと踵を返して去っていった。


**************

 


 午前八時四十分、ブリーフィングルーム直前。


 三人の社員がユニットハーネスを着装する。

 出撃前、最後の確認。


制服のジャケットを脱いで壁のフックにかけ、腰のハーネスベルトを確認する。手のひらが微かに汗ばんでいた。


搭乗許可のランプが点灯すると、両隣にいた自身の社装ユニットの後ろで待っている芹沢と矢口が颯爽と乗り込む。


 ――今日は、絶対にヘマできない。


 拳を軽く握って深呼吸を一つ。目の前でコックピットハッチが展開する。前方へとせり出す装甲がゆっくりと開き、搭乗口の内部がむき出しになる。中は、業務用ロッカー程度の空間だが、足元から吹き上がる起動時の冷風と、ホログラム・オペレーターの起動音が、気を引き締めさせた。


 「風巻 程時、営業一課。搭乗開始します」


 マニュアル通りに名乗りながら、彼は一歩、機体の中に足を踏み入れた。


 床に足を置いた瞬間、膝下までのアクティブフットシンクが自動展開され、脛を包み込むようにハーネスが固定される。背面から伸びた接続アームが、肩と腰に順に接触し、スーツとの同調を確立。


 「……っ、よし」


 機体内部の照明が淡く青に変わり、インナーホロディスプレイが半球状に展開される。風巻は視線を正面に向け、首の角度を微調整。視線追従センサーが一斉に緑点灯した。


 全身が、機体に“接続”されていく感覚。重さが増す。感覚が拡張する。


 「ユニット起動……営業出力、同期良好」


 彼の声に反応するように、ユニットの肩部がわずかに駆動した。機体が呼吸を始めたかのように、内部の振動が風巻の背骨に伝わる。


 心臓の鼓動が、少しだけ早まる。


 大きく息を吸い込んで、吐き出す。


 扉が閉じ、遮音シールドが降りる。外界の音が途切れ、室内にはわずかにエンジンの低音だけが残った。



 誰もが黙っている。その静けさの中で、天道だけが声を発した。


『――定時は命だ。遅れれば、負ける』


 無線から天道の声が、起動スイッチのように。

 定刻が刻まれるカウントダウンとともに、戦いの予感が静かに膨らんでいく。



  電子音が、静かに鳴る。


 午前十時。



サイバネ社の大会議室に三機の社装ユニットが並び立った。


大会議室といっても、社装ユニットがまるごと収まる広さだ。

こうしたユニット対応型の会議室を備えていること自体が、企業規模を示す一種のステータスとなっている。



 電子音がコックピットを満たし、風巻の額を一滴、汗がつたった。


――マジか……これ、本当に出撃なんだよな……


 胸に広がるのは、緊張とも恐怖ともつかない、名状しがたいざらつきだった。

 その横で、芹沢の声が無線から弾ける。


「よっしゃ行くよ! 定時出勤、定時突破!」


 とたんに空気が揺れた。推進音が芹沢のユニットから走り、風巻の鼓膜に突き刺さる。

 矢口の冷静な声が続いた。


「それ、突破してええんか……シャチクにはなりたくないんやけどな……」


 その瞬間。

 敵方の通信チャンネルが割り込み、低く緊張を帯びた声が響く。


「こちらサイバネ社・営業戦略部第一機動課。アステリア・リンクス、戦闘認可の稟議書は?」


 風巻の指が慌てて胸ポケットを探る。紙が一枚、折りたたまれて握りしめられた。


「あっ……はい、これ………」


 電子音がピロリと鳴った。


「紙かよ!? 今どき原本提出!? ……スキャンするから、こっちに出せ!」


 敵隊長の怒鳴りに、矢口が皮肉を一滴こぼす。


「ほらな。紙の一枚で戦場が動くって、こういうことや」


 その時だった。

 スキャンに気を取られた敵部隊に向けて、芹沢のユニットが爆発的に加速する。


「今ッ!」


 地面を焼き付けるようなブースト。唐突な突進に、敵隊員の悲鳴が走った。


「っ……騙したな!?」


「騙したも何も稟議は通ってるの!」


先手必勝。芹沢らしいといえばそれまでだが、今回は少し話が違う。


「そっちの稟議? まだウチには届いてないけど? 紙で稟議ごっこしてんのかよ、アステリア!」

 

 風巻は慌てて両手を振る。


「ち、違います!これはその、あの……!」


 慌てる風巻の言葉の尻をかき消すように、風巻のユニットが突如スリープモードに入った。


「えっ、やばっ!? ま、待って、マニュアルどこ……!」


 コックピット内。視界の隅に、“言い返すための30の言い訳”と書かれた冊子が覗く。


 だが、風巻は震える手でそれを退けた。


「……もう、言い訳はあとだ!」


 マニュアルを投げ捨てる。

 するとユニットが再起動し、制御不能のまま敵部隊の後方へ――奇跡的な軌道だった。


「なんだこの動き……っ、センサーが……!」


 敵隊員の混乱を尻目に、風巻は咄嗟に叫んだ。


「この稟議書が時間稼ぎのものだと言うのなら、あなた方が証明すべきでは!!」


「ぐっ……」


「あれが本物なら社内処分はまぬがれんか……確認は?」


「昨日の夜から、まだ一度も……」


「チッ……」

 

 敵機の動きが鈍くなる。


「まぐれか……? でも――効いてる?」


 ユニットが敵側面を突く。


「効いてるなら、それは“正解”ってことだろ!」


 一瞬の静寂。

 続いて、敵の声が低く漏れた。


「確認完了……稟議書、受信済み……」


「……紙の稟議だなんで、そんなの……通ってるとは思わなかった」


「昨日の段階では届いていなかったはずなんだ……まさか“人力の裏回し”なんて、想定外だったんだよ……」

 

「……まぐれに突破された時点で、言い訳はもう通用しねぇんだよ……撤退だ!!」


 敵機は三体とも一斉に風巻たちの機体から離れていく。


「か、勝った――――」


 そこへ芹沢の声が割って入る。


「上出来! よくやったよ風巻!胸張っていいよ!」


 風巻、矢口、芹沢――三機の社装ユニットが一列に並ぶ。

 そして、敵の戦線を押し返した。


 快晴の空。

 青く透き通るその下に、営業の“戦場”が確かにあった。

 矢口の声が、通信の奥から静かに響いた。

 

「これが稟議、通ったチームワークってやつや」


**************


 

  エレベーターのドアが開いた。


 営業一課のフロアに、ブーツのソールが重たく響く。

 戦闘から戻った風巻、芹沢、矢口の三人は、それぞれに社装ユニットの装甲を脱ぎながら、どこかぼんやりとした顔で歩を進めていた。


 椅子がきちんと揃ったオフィス。

 蛍光灯の光が静かに差し、昼過ぎの静寂が漂っている。

 その中で、資料の束を抱えた営業事務の二ノ宮 梓がちらりと目線を向けた。


「おかえりなさいませ。結果は……?」


 それに答えるように、芹沢が風巻の背中をポンと叩く。


「うちの新人が、ええ仕事してくれてん!」


「まあ、まぐれね」


 芹沢が即座に突っ込んだ。


「……まぐれでも、勝ちは勝ちですよ」


 風巻の反論に、二ノ宮がにじり寄ってきて、じっと彼の顔を覗き込む。


「ふーん、覚醒顔には見えないけどね。ま、デスク戻ったら請求書処理お願いね。三枚」


「え……三枚……?」


 気の抜けた声に、芹沢が笑いながら補足する。


「出撃報告、稟議通過確認、そして勝利の申請ね」


 二ノ宮がくるりと背を向けながら言い放った。


「あと、社長宛に“紙の原本で提出した件”について始末書も追加で」


「ちょ、なんで俺だけ!?」


 風巻の叫びをよそに、矢口がぼそりと呟く。


「なにがいいたいんや。紙は重い。だが通る。それが稟議やで」


 そこに、草薙課長代理が顔を見せた。

 疲れた笑みを浮かべて、軽く一礼する。


「まあまあ……皆、無事で何よりだ。うん。」


「くーさーなーぎーだーいーりー?」


 芹沢が奥歯を噛み締めながら草薙の名前を伸ばして呼ぶ。


「ああ……うん、言いたいことはわかるよ? 君たちが出撃前にね、ハンコ押したから……だから、問題はない、うん」


「それ以前の話やんけ……」


会話はそれで終わり、芹沢は少し大きめな声で草薙を詰めた後、三人はそれぞれのデスクへと戻っていった。

 何事もなかったかのように、キーボードの音と、社内チャットの通知音が再び空間に満ちる。


 ――掲示板に、いつもの標語が貼られていた。


 “納期は命日。今日も我々は生き延びる。”


 風巻は深くため息をついた。



**************


 午後四時三十分。

 フロアに緊張が走ったのは、その声が聞こえたときだった。


「──風巻」


「えっ……あ、はい!」


 天道令司。

 営業一課の部長が、視線を上げずに名指しした。それだけで、周囲の空気がわずかにざわついた。


 風巻は戸惑いながら立ち上がり、部長席の前に立つ。


 天道は、書類を整理する手を止めずに言った。


「稟議を通したあの判断……無駄ではなかった」


「……え、あ、ありがとうございます」


 返事はつい、間の抜けた声になってしまう。

 だが天道は、そのことに一切触れず、目を合わせないまま言葉を重ねた。


「偶然は、二度目から“再現性”になる。次も見ている」


「はい……!」


 その言葉の意味を、風巻はまだうまく咀嚼できていなかった。

 だが、胸の奥に確かな火種のようなものが灯った気がした。


 書類の音が止まり、時計の針が午後四時四十五分を指す。


「定時を超えると、人は狂う……だが……」


 初めて、天道が風巻の方に目を向けた。


「懸命に、働け」


 その言葉に、風巻は何も返せず、ただ深く頷くしかなかった。

 天道はすぐに視線を戻し、再び書類に目を落とす。


 風巻は、深く頭を下げて自席へと戻っていった。


 午後五時。


 終業のチャイムが鳴ると同時に、オフィスの照明が半分落とされた。

 フロアには誰もいない。

 ただひとり、風巻だけが、椅子に座ったまま稟議書の控えを見つめていた。


(――通った……僕の稟議が)


 そう呟いて、彼は小さく笑った。


(……たかが一枚、書類が通っただけ。だけど。

 誰かが止まって、誰かが動いて、誰かが見ててくれた)


 窓際に立ち、暮れていく都市の灯りを眺める。

 ビルの影が長く伸び、空は鈍い橙に染まっていた。


(たぶん、まだ何も変わってない。

 でも、定時までにやり切った。間に合わせた。

 ――そういう日は、悪くない)


 遠くで社装ユニットの駆動音が響く。

 格納庫に戻る音。その振動が、壁をわずかに揺らす。


 風巻は、ジャケットの背を伸ばしながら小さく呟いた。


「……定時、最強」


 誰もいないフロアに、彼の声だけが静かに残る。


 出口へと歩き出す背中には、グレーのジャケットに刺繍された、“定時こそ正義”の文字が、淡く光っていた。

 

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