石動
「おはようございます! 芹沢さん!!」
「おはよ……」
返ってきたのは、死んだ魚のような目。
営業一課のドアが開いた瞬間、そこに現れた芹沢は、まるでゾンビだった。
顔色は青白く、目の下には濃いクマ。
まだ午前中だというのに、すでに一日を終えたような疲労を纏っていた。
「(……芹沢さん、まだ怒ってるのかな)」
昨夜から、どう声をかけるか考えていた。
けれど返ってきたのは、気のない挨拶だけ。
風巻の肩が、しゅんと落ちる。
「おい」
ポン、と肩を叩かれ振り返る。
そこにいたのは――同じくゾンビの顔をした矢口だった。
「矢口さん……どうしたんですか?!」
「すまん……大きい声ださないでくれるか?」
掠れた声。虚ろな目。
いつもの勢いはどこにもない。
すっと気配。
二ノ宮が近づいてきた。
ふたりを見ただけで、即答する。
「検査しなくてもわかります。頭痛、吐き気、脱力感……アセトアルデヒドの分解が追いついてない典型例。二人の口からもアルコール臭がします。つまり二日酔い」
「二日酔い?!」
風巻が思わず大声を出す。
「風巻君……ごめん、ほんと大声は勘弁して……」
机に突っ伏したまま、芹沢が消え入りそうな声で呟く。
「ご、ごめんな……さい……」
謝りながらも、目は開かない。
チャイムが鳴った。
その直後、草薙が歩いてきて、二人を見下ろす。
「……午前様か? 二人とも」
「……すみません草薙さん……」
芹沢が顔を上げずに謝る。
声は真面目でも、姿勢は完全に崩れていた。
草薙は何も言わず――ただ話題を切り替える。
「今日から営業一課に新メンバーだ」
「新メンバー? そんな話なかったですよね?」
驚く風巻に、草薙が頷いた。
「……天道部長が動いていたのだ。セーフティ解除が決まる前からな」
「天道部長が?」
その言葉と同時に、風巻の背後に“影”が落ちた。
振り返る。
白髪交じりの短髪。異様にでかい肩幅。鉄柱のような腕。
全体から威圧感がにじみ出ていた。
「がっはっは! 石動剛三だ! よろしくな!」
巨体の手が、風巻の肩を勢いよく叩く。
悪気はなくても、重さは変わらない。
ドスンッ。
背中が一瞬沈んだ。
「彼はセーフティ解除の戦いを知る数少ない社員の一人だ。前線の維持は彼に任せておけばいいだろう」
草薙がそう説明した瞬間、芹沢が顔を上げた。
「……ちょっと待って……草彅さん」
「どうした? 芹沢君」
「天道部長は、私たちを信じてないんですか?」
問いに、草薙はすぐ答えられない。
目を伏せ、深く息を吐く。
「いや、それはわからないが……」
一拍置き、言葉を続けた。
「今の芹沢くんと矢口くんを見たら、信じられないと言うかもしれないね……本当に、しっかりしてくれよ二人とも」
「ガッハッハ!! 草薙よ、そう言ってやるな」
隣で石動が豪快に笑う。
「俺もお前も、天道も初陣の前は震え上がって縮こまったではないか」
「お、おい石動……」
草薙が困ったように顔をしかめた、その時。
――ピピッ。
警告音。
二ノ宮の端末にアラートが届く。
「草彅さん! 敵機です。GF社のユニットと照合! 警告を無視して本社に接近中!」
「うそ!」
芹沢の声。
一瞬で目が覚めたように鋭い。
「くそっ! 畳み掛けてくる気だな。石動! 風巻! すぐに社装ユニットに!」
草薙の指示が飛ぶ。
「まって! 私も!」
立ち上がろうとした芹沢を、草薙が手で制した。
「二日酔いのパイロットは待機だ。セーフティはもう解除されてる!」
瞬間、空気が変わった。
緊張が肌を這い、空調の音すら消えた気がした。
アステリア・リンクス社
地下四階。
格納庫の奥――
壁面全体が沈黙する鋼鉄で覆われたその空間に、二機の社装ユニットが鎮座していた。
各部のロックはすでに解除済み。
外部供給ラインもすでに切り離され、今はただ、発進を待つばかり。
風巻と石動は、ユニット内部コクピットに完全搭乗済み。
前方の視覚ディスプレイには出撃カウントと戦術地図が、静かに点滅していた。
風巻の手はレバーに添えられていた。
緊張のせいか、わずかに指先に汗がにじむ。
その隣にいるのは、全身がまるで装甲のような巨大ユニット──石動の機体だった。
その社装スーツは、彼の体格にあわせて特注されたもの。
ブースター出力、フレーム剛性ともに通常機の数段上。
目視するだけで“圧”を感じる構造だ。
三機目。
草薙のユニットは風巻たちの斜め後方、最も後列に配置されていた。
カスタム機体でありながら、奇をてらったデザインはなく、むしろ研ぎ澄まされた静けさがあった。
その全機が、すでに沈黙のなかで熱を帯びている。
ガラス越しに見下ろすオペレーター室では、SIGを装着した二ノ宮が、タスクを次々と捌いていた。
「風巻・石動・草薙、三機、内部OS応答確認。生命反応、安定……接続シーケンス、完了」
「機体冷却、強制停止」
「外部接続ライン、遮断完了。ユニット、スタンドバイ状態入りました」
インカム越しの指示が飛び、周囲のスタッフたちも慌ただしく動く。
戦闘は、もう始まっていた。
オペ室の隅では、すでに回復した芹沢と矢口が立ち上がっていた。
だが、その表情には焦燥が滲んでいた。
「草彅さん!体調を整えられなかった私たちに非があることは認めます!私たちにも出撃許可を!」
芹沢がインカムに向かって叫ぶ。
その声は、コクピットの草薙にも届いていた。
「ダメだ。命に関わる戦いに、二日酔いの二人を社装ユニットに乗せることは断じて許可できん」
返答は冷静だった。
だが、切り捨てるような冷たさはなかった。
「でも!!」
芹沢は、拳をぎゅっと握りしめる。
その手は、かつて風巻を叩いたときと同じ手だった。
「これは命令だ。そこで座っていなさい」
草薙の声は揺れない。
その一本の線を超えることは、たとえ芹沢でも許されなかった。
「風巻くんだけが出るなんて無茶苦茶です!!」
言葉に熱が走った、その瞬間。
「ガッハッハ!ワガハイのことをお忘れかな?お嬢ちゃん?」
石動のユニットから、外部スピーカーを通した豪快な声が響いた。
「お、お嬢……!!」
子供扱いされたことに、芹沢の顔がカッと赤くなる。
「私は!営業一課の芹沢です!!」
「ガッハッハ!!しってるぞ!一課のエースといえば芹沢だからな!」
笑いながらも、その声には敬意が混じっていた。
風巻は、それを聞いて少し驚く。
……芹沢さん、そんなふうに評価されてたんだ。
彼はマイクに向かって言う。
「芹沢さん。僕なら大丈夫です!」
コクピットのなか、目を閉じてから深く息を吸う。
「昨日、すごく反省しました……僕のせいで芹沢さんに辛い思いさせてごめんなさい……」
「風巻くん……」
「頼りないかもしれませんけど、僕、やります!みんなを守りますから!」
まっすぐな声だった。
「ガッハッハ!!よい!よいぞ坊主!!」
石動が高らかに笑う。
その余裕は、後輩たちを受け止める器の大きさそのものだった。
「ぼ、坊主?」
「そのくらいにしておけ、石動」
草薙が静かに制した。
「おっと!これはこれは……社装ユニットの乗り心地はどうかな?草薙よ!」
「フッ……この老骨でも血が沸るよ」
「ガッハッハ!良いぞ良いぞ!アステリア・リンクスの老人の力を見せてやろうぞ!!」
その瞬間、二ノ宮が発信許可をコントロールパネルから出す。
「発進許可、確定。全機、出撃プロトコルに移行します」
前方のゲートが、重々しい音を立ててゆっくりと開き始める。
白い光が、格納庫の奥へ差し込む。
草薙が短く言った。
「では、風巻、石動いくぞ。道中で簡単なブリーフィングだ」
「はいっ!」
「おおぅ!!」
そして三機の社装ユニットが、光の中へ滑り出していった。




