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それぞれの夜

オペレーター室には、まだ緊張の余韻が残っていた。

ラックのLEDが一定間隔で点滅し、空調だけが均一に鳴っている。

風巻たちが帰投したと報せが入った瞬間、ようやくその音が耳に届いた。


でも、安堵はない。


「……識別完了」


端末に向かっていた二ノ宮が、小さく呟く。

素早く確認された照合結果に、彼女は静かに声を重ねた。


「GF社の武器ユニットです」


モニターに映るコードを見て、草薙が低く唸る。


「やはりもうGF社はここを狙うために周りを切り崩していたか……」


その一言に、彼女の呼吸が浅くなる。


今回の敵は、友好関係にあったはずの会社。

次回の大型プレゼンの協力企業。

芹沢が時間をかけて調整し、信頼を繋いできた相手。

──そのはず、だった。


「何故、私たちを裏切ったのでしょうか……」


二ノ宮は思わず、そう呟いた。

それは報告じゃない。人としての問いだった。


「心理的に追い詰めるためだろう。

 友好関係を金と力で奪い取り、孤立させる。……すでに血生臭い戦いは始まってるのだよ」


草薙の声は平坦だ。

事実だけが置かれる。


二ノ宮は何も言えなかった。

その現実を、まだ飲み込めない。


「我々がどんなに戦いを拒んでも、向こうから押し寄せてくる。命を奪うことを厭わずにな。……事故として処理される」


「でも……命を奪うのは……」


その言葉には、躊躇があった。

それでも、口にせずにはいられない。


「……わたし、間違ってますか?」


彼女は顔を上げた。

草薙を、まっすぐに見据えていた。

迷いではない。ただ答えを求めていた。


草薙はしばらく黙っていた。

そして、やがて淡々と返す。


「……そういう者が、真っ先に殺される」


「……!!」


答えは重すぎた。

反論の言葉は、どこにも見つからない。


「勝ち残った者が、正義なんだ。

 そういう戦いを強いられているんだ」


草薙の声音は変わらない。

けれど、その中には確かに──覚悟があった。


二ノ宮は、ふと視線を落とした。

震える指先を握りしめ、言葉を探す。


草薙は、その様子に気づいていた。

だが、何も言わない。


「……それでも、信じたいか?」


静かな声が落ちる。

優しさではなかった。選択を突きつける言葉だった。


二ノ宮は、答えなかった。

──沈黙が、答えだった。


「勝つしかないんだ。この戦いには」


草薙の声だけが、無機質な室内に残された。


二ノ宮は、俯いたまま何も言わない。

ただ、彼女の拳は、まだ震えていた。






草薙は、まっすぐに天道の居室へ向かった。

足音ひとつ乱さない。感情の揺れも見せない。

その歩みは、秒単位で組み上げられた構造物のように正確だった。


扉の前で立ち止まり、ノック。

すぐに、重い声が返る。


「入れ」


草薙は一礼し、静かにドアを開けて踏み込む。

扉が閉じた瞬間、空気が変わった。


ここは戦況の外にあるはずの部屋。

だが、どこよりも濃く“戦場の匂い”が漂っていた。


「戦果は?」


椅子に座る天道は、草薙の顔を見ない。

ただ結果だけを問う。

乾いた声。情も憶測もない。


「戦闘は敵機撤退。目的は完遂しました」


草薙の報告もまた、迷いがない。

けれど、天道は返さず、瞼を伏せた。


「そうか……」


数秒の沈黙。

耐えきれず、草薙が口を開く。


「……ですが、セーフティ解除決定の動揺がみられました。まだ解除はされてないというのに」


「……」


天道の視線が、一瞬だけ動く。


「覚悟はあるようですが、実際に解除となるとまだ彼らには……」


言葉を濁した草薙に、天道は切り込んだ。


「そんな悠長なことを言っていれば、敵に潰されるだけだ」


草薙の瞳がわずかに鋭さを増す。


「しかし、法を超えた戦いを強いることに納得がいかないことは、私も理解するところです」


真正面の反論ではない。

だが、明らかに“異論”の熱を含んでいた。


「……」


天道は応えない。

それでも、草薙は一歩踏み込む。


「天道部長!政府への働きかけを急いでくれませんか!このままでは、前の大戦を繰り返すことになります!」


その声には、いつになく熱が宿っていた。


天道は少しだけ視線を上げ、リモコンを取る。

カチ、と小さな音。

大モニターに、政府発行の文書が映し出された。


草薙は眉を寄せ、視線を走らせる。


──GF社。

──営業活動の一環。

──当事者間で処理。

──国の関与なし。


読んだ瞬間に理解できる。

だが、最後の一行を目にした時、呼吸が止まった。


「社装ユニットの事故は、これまで同様に営業活動の一環として扱い、事故の処理は当事者同士で行い、これに国は関与しない」


「我が社としてもこの決定を不服として、司法からの援助も得るよう動いているが、時間がかかる」


天道の声が、背中から落ちてくる。


草薙は、苦いものを飲み込むように言葉を吐いた。


「そ、そんな……」


口に出たのは、それだけだった。

それ以上の言葉は、現実に打ち消された。


「セーフティ解除の戦いは、国公認と言ってもいいだろう。どんな綺麗事を並べても、始まっている」


それは、企業の戦いではない。

兵器を伴った“殺し合い”が、法の裏で肯定されたということだった。


「……」


草薙は黙る。

だが、その沈黙は絶望でも諦めでもない。


天道は椅子を回し、背後のデスクを開ける。

一枚のICカードを取り出し、草薙の前に差し出した。


「草彅。特殊営業課に話はつけておいた。向かってくれ」


その言葉に、草薙の眼がわずかに動く。

何も問わずとも理解できた。


──この男は、本気で部下を戦場に立たせる気だ。

そして、もう引き返さない決断を下したのだ。


草薙はカードを受け取る。

一礼。

それ以上の言葉はなかった。


居室を出た草薙の背に、声は落ちてこなかった。



**************


定時を終えた芹沢は、人気のない路地を抜けて、小さなバーへ入った。

繁華街から少し外れた、大学生の頃によく背伸びして通った店。

古びた看板。磨かれたカウンター。低く流れるジャズピアノ。


誰にも告げずに来た。

けれどマスターは、何も聞かない。

ただ彼女が好んでいたカクテルを、一杯、すっと差し出す。


手際も、言葉もなくて――それがいい。


静かにグラスを持ち上げる。


「なんや、この店、芹沢さん知ってたんかいな」


背中に、聞き慣れた関西弁。

振り向かずに、芹沢はもう一口飲んだ。


矢口が横に腰を下ろす。

いつもの調子でマスターに言う。


「マスター、適当にたのむわ!」


軽い声。けれど、少しだけ間があった。


「つけてきてたのね」


「なんでやねん! たまたまやで」


「……そう」


短く返し、またグラスに口をつける。

氷が、わずかに鳴った。


空になったグラスをカウンターに滑らせ、そっと言う。


「もう一杯」


マスターは頷き、無言で準備を始める。

矢口にも、それっぽいカクテルを手際よく作って出した。


けれど――グラスを差し出すとき、マスターがちらりと芹沢を見る。

心配そうに、少しだけ目を細めて。


「芹沢さん。飲み過ぎやないか?」


「うるさいわね、ほっといてよ」


その返事に、矢口が苦笑する。


「なんや、荒れてるなぁ……原因は、今日のことか?」


「……」


芹沢はグラスを見つめたまま黙る。


矢口は視線を外さずに続けた。


「気にしてもしゃーないやろ。あいつは叩かれてもへこたれへん」


「そうじゃないの」


言葉が遮るように落ちた。

声が、わずかに揺れていた。


「叩いた事は悪いと思ってる……私も今回、セーフティがない戦いを想定していた。でも風巻君をあの位置に立つことを止めなかった責任は私にあるわ」


ゆっくりと重ねる。

そこには言い訳の色はなかった。


「そうかぁ? 芹沢さんやなくて草彅さんが立たせたんとちゃうか?」


「いいえ。現場の判断は私に任されてる。つまり撃たれる位置に立っていても、私は風巻君に指示を出せなかった……いえ、戦闘全体が見えていなかったわ」


ほんの一瞬、声が掠れる。

芹沢は手のひらをグラスに添え、目を伏せた。


「私……明日からやっていけるのかしら。セーフティなしで、もし風巻君を死なせることになったら……私……」


言葉の先を、矢口が静かに受け止める。


「そんな落ち込まんでええと思うで? 風巻はそんなやわな男やない」


「……」


返さない。

指先で氷を転がす。


「それに、あの一撃を止めるべきはワイの責任や。相手さん、最後のすかしっぺみたいに撃ってくるとは俺も思ってなかったからな」


「矢口くん……」


「明日は明日の風が吹く……てな?」


ふっと軽く笑う矢口に、芹沢は小さくため息をついた。


期待していたわけじゃない。

何かを変えてほしかったわけでもない。


ただ――夜の静けさと、懐かしい苦味の残るカクテルのなかで。


ほんの少しだけ、心がほどけた。





同じ頃。


風巻は、一人で夜道を歩いていた。

ジャージ姿。

頬に残るのは冷たい夜風と――叩かれた痕のじんじんとした痛み。


それは皮膚よりも深く、心を抉る痛みだった。


――今日はセーフティが動いていた。だから無事で済んだ。

――でも、次は。命に関わる。


脳裏に浮かぶ。

芹沢機が被弾し、腕ごと爆ぜた瞬間。

閃光。破片。守られた自分。


「――っ!」


思わず立ち止まる。

蘇るのは叩かれた瞬間。

鋭さよりも、そこに込められた思いの重さ。


歩くほどに、記憶が重なっていく。


――明日、同じことが起きたら。

――僕は、なんのために乗るんだ。


誰かを傷つけるため?

違う。

僕は――。


揺らぐ覚悟。

答えを探す旅人のように、行き先も定まらず歩き続ける。


気づけば、アステリア・リンクスの本社ビルが見えていた。

その時。


地下から轟音。

地上にせり上がる社装ユニット。

光粒を纏い、夜を押しのけるように姿を現す。


――守衛か。


GF社の一件で警戒は強化された。

五時以降は守衛がユニットに搭乗し、警戒にあたる――そんな通達を思い出す。


――なにを思って乗るんだろう。


自然と口が動いた。


「……守るため」


小さな声。だが確かだった。


守る対象はそれぞれだ。

家族。

会社。

愛する人。


理由は違っても、戦う理由はある。


風巻にとっての理由は――仲間を守ること。

営業一課を守ること。


積極的に傷つける戦いじゃない。

“守る戦い”。


どう敵に向き合うか。

その一点を、もう一度心に刻む。


風巻は足を速めた。

走り出す。夜の道を駆け抜ける。


帰路の先に――守るべき仲間たちがいる。



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