託す
アステリア・リンクス社 本社──
上層階の会議室にひとり、草薙修也は座っていた。
室内は無音。遮音処理された壁に音は吸われ、端末の起動音さえ、どこか遠くに感じられる。
天井灯を半分だけ落とした部屋に、昼前の白い陽光が窓から差し込む。
都市の遠景は、逆光に沈んで輪郭を滲ませていた。
彼の前にあるモニターが、ゆっくりと明転する。
通信回線の確立。淡く映し出されるのは、営業一課部長──天道令司。
草薙の手が微かに震えた。けれどその指は寸分違わずキーを押し、まるで感情など存在しないかのように言葉を紡ぎ出す。
「先ほど、現地からの報告を受信しました。
GF社の部隊が接触。サイバネ社敷地内での制圧行動を確認。サイバネ者の対応部隊は複数名が負傷──うち一名は重篤です」
語調は一定。呼吸も淀みなく。
ただ──声のない沈黙が、その言葉の背後に張りついていた。
「……加えて、今回の戦闘発生について、上層部からの照会が入っています。天上会議の開催が午後に予定されています」
言い終えた草薙は、ゆっくりと視線を落とす。
手元に置かれた小さなメモ。
そこに記された震えた文字を、一度だけ見て──裏返した。
何も言わずに。
その動作には、誰にも見せられない感情が、確かに宿っていた。
***
「──セーフティを解除すべきだという声も、関係部署から上がっています」
彼は言った。低く、押し殺した声で。
部屋に差し込む光が、草薙の頬の輪郭を鋭く切る。
「ですが一課のメンバーは態度を保留しています。自分たちが命を奪うのではないかとかんがえているようです」
画面の向こう、天道は応えない。
ただ、深く息を吸って、ゆっくりと吐いた。
「全体的には、物理攻撃を認めるセーフティの解除の意見が大半を占めています」
天道の瞳がかすかに細まる。
「……その声が、“正義”を語るものであるなら。
我々もまた、正義の名のもとに判断を下さねばならない」
草薙は、わずかに眉を寄せた。
けれど表情は変えない。ただ、視線が一瞬だけ泳いだ。
「……ですが営業一課では、これは戦争だと思うものもいるようです」
天道は静かに問い返す。
「君はなんと回答したのか」
草薙は首を振った。
答えなかったことが──答えだった。
その沈黙を、天道は受け止めた。
「戦争とは利益を一方的に奪う行為。我が社の営業はお互いの利益を最大化する提案。そもそも本質が違う」
その言葉に、草薙はただ小さく頷く。
「はい。存じております」
天道はさらに言葉を重ねる。
その声に込められたのは、冷静な理性ではなく──
彼自身の過去の記憶だった。
「わかりにくい資料を視覚的にわかりやすく有意性を示すための社装ユニットだ。アステリア・リンクスは武力には屈しない」
草薙の瞳がわずかに揺れた。
「過去、セーフティをつける理由を知らない者もいます。あなたの過去を知らない者も多い」
しばしの沈黙。
天道は、何も言わなかった。
「本当に良いのですか?セーフティを外しても。まだ政府に働きかけると言う道もなくはない」
草薙の声は、もはや“報告”ではなかった。
それは、組織の一員としてではなく、“ひとりの判断者”としての問いかけだった。
「相手がどんな手段でも、社装ユニットを使う以上引いてはならない。どちらかに正義があるか…それを問われている」
草薙の呼吸が、一瞬だけ乱れる。
「ではその“正義”は、誰かを殺してでも守るに、値するものですか」
モニターの向こう。
天道の目元に影が落ちる。
沈黙──
「……その問いの答えは、君も会議の場で聞くことになるだろう」
***
端末の通信が切れる音がした。
画面が黒くなっても、草薙はそのまま座っていた。
机の下。
彼の右手がわずかに震えている。
だが──その顔には、何の表情も浮かんでいなかった。




