生命の選択
──照明は、沈黙を映すためにあるのかもしれない。
半遮光のブリーフィングルーム。落とされた光の下、壁面の大型パネルには静止されたニュース映像が映っていた。
画面右下の文字だけが、この空間の意味を主張している。
「速報:サイバネ社にて事故──複数名負傷」
席に着いた二ノ宮は、何も言わない。
その正面、草薙の姿。
矢口は腕を組み、芹沢は無言のままモニターを見据えている。
風巻は──まだ、そこにいる理由を理解していなかった。
「……あの、すみません。なにか……あったんですか?」
自分の声が場違いなもののように響く。
芹沢は視線を動かさずに、冷たく答えた。
「……朝のニュース。見てないの?」
「いえ、その……出勤準備で、あまり」
間の悪さを悔やむように、風巻は背筋を正した。
「……サイバネ社。現地支部で事故、って報道されとった」
画面を見たままの矢口の声には、湿った怒気が混じっていた。
「事故……?」
呟いたその言葉の直後、草薙が立ち上がり、机上のホロデバイスを起動する。
仄白い光が、空気を切り替えた。
「──事故、ではない。……正確には、“交渉中の暴力行使”だ」
誰もが、草薙に視線を向ける。
「今朝方、サイバネ社から我々アステリアに情報共有があった。GF社のプレゼン中、社装ユニットが物理的に交渉担当者を攻撃。複数が重傷を負った」
映像が切り替わる。
乱れたオフィス、崩れた机、散乱したデータ端末。
荒れた空気が画面から漏れ出してくるようだった。
矢口は眉をひそめ、ぼそりと漏らす。
「……まじか。……ここまでやるんか、あいつら」
芹沢は感情を隠そうとしない。噛み殺すように言い放った。
「“心理戦”じゃなかったの? 言葉と態度だけで勝負する、それがルールでしょ」
草薙の声が静かに重なる。
「──その“ルール”を、GF社が初めて破った」
二ノ宮は何も言わず、ただ指先でタブレットを操作していた。
「重傷者は三名。うち一人は神経接続ユニットを破壊され、意識戻らず。……現地は混乱している。政府もすでに事態を把握しているが、正式声明はまだ」
「そ、そんな……」
風巻の呟きは、誰にも届かないほど小さかった。
芹沢は立ち上がる。声に怒りが混じる。
「じゃあ、何? 私たちは“見てるだけ”? ……これ、もう交渉じゃない。どこから見ても、これは“攻撃”よ」
「……政府は、なんか言ってんのか?」
矢口の問いかけに、草薙は目を伏せたまま応える。
「……GF社が実力行使に出た。──その一点だけ、アステリアには伝えられている」
言葉の余韻だけが部屋に残る。息を呑むような静けさの中、草薙はゆっくりと目線を上げる。
「その他の情報は非公開だ。現在、我々としての対応を協議中。午前中に天上会議が行われる予定だ」
「天上会議って…まさか、社装ユニットのセーフティを外すつもり?!」
芹沢の目が見開かれる。草薙は顔色ひとつ変えず、応じた。
「相手は手段を選んでいない。我々も自衛のための手段は持たなければならない。政府がアステリア・リンクスに情報提供してきたのは、そういうことだ」
「脱法を促す政府……笑えんわ」
矢口の冷笑。その裏にある恐怖と焦りは、風巻にだけ見えていた。
「相手が手段を選ばんのだ。あくまでも自衛。通常のプレゼン戦闘にはセーフティをかける」
「相手が別の会社を名乗るGF社なら、俺ら犬死にやな」
皮肉が、部屋の空気を削った。
草薙の声は、わずかに怒りを含んでいた。
「そんなことはさせない。調査は入念に…」
「させないやあるかい!向こうは会社を潰しにきてんねん!法を超えてや!何するか予測なんてできるかい!!」
机が揺れた。矢口の叫びが、天井を叩いた。
「法を破ったことには変わりないはずだけど、GF社に国内でのプレゼンに制限はかけられないの?」
芹沢の問いに、草薙は視線を落としたまま答える。
「政治家にもGF社の根回しが効いているかもしれん……会社内の事故と報道されたのもおそらくは……」
「クソッタレが……ワイらの命をなんやと思ってんねん」
再び机が叩かれる音。風巻は知らず手を握っていた。
汗が指の隙間に滲む。鼓動が、耳の奥で跳ねていた。
──命をかける。
──引き金を引く。
そういう“選択”が、この部屋にあることを、ようやく実感した。
草薙は咳払いで空気を断ち切る。
「君たちを危険な目に遭わせるわけにはいかない。営業部や関係各部門全体で今後の対応について協議しているところだ」
そこで、ようやく、二ノ宮が顔を上げる。
その声は、冷えた刃のようだった。
「──その“協議”の間に、もう一人死んでいたら?」
言葉が空気を凍らせた。
誰も返せない。
誰もが、応えを持っていなかった。
二ノ宮はそれ以上、何も言わずに視線を落とす。
草薙がゆっくりと息を吐く。視線を、全員に戻す。
「……“戦争”だとは、言いたくない。けれど──“始まった”とは、言わざるを得ない」
沈黙が、深く沈む。
風巻は、僅かに顔を上げた。
「──ぼくらが、やるんですね」
その言葉に、誰も返事をしなかった。
ただ──
二ノ宮が、目を閉じて、そして静かに言った。
「──言葉にした瞬間、その出来事は“自分ごと”になる。もう外から見てるだけじゃない。“関わる側”に立つ、ということになります」
その声は、低く、澄んでいた。
誰もが黙ったまま、それを受け入れた。
風巻は──まだ撃つ覚悟を決めてはいなかった。
けれどそれは臆病ではない。
命の重さを、真正面から見ている証だった。




