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それでも私は照合する

格納庫に、金属の軋むような音が響いた。


 社装ユニットのハッチがゆっくりと閉じ、搬送用のアームが滑るように動く。静かな帰還だった。派手な損傷もないが、修復ログは明らかに長い戦闘時間を物語っていた。


 風巻 程時は、黙ってスーツを脱いでいた。


 汗に濡れたインナーの背中が、冷たい空気にさらされる。機体から転送された内部ログが、管理サーバへと送られていく。自分の戦闘データ、照合記録、提出時刻。


 そのどれもが、彼にとっては“通らなかったはず”の記録だった。


 提出時刻:17:00:42

 承認ステータス:未承認

 照合結果:成立処理済(ログ未保存)


 ──照合された。けれど、なぜ。


 風巻は誰にも言葉をかけず、静かに頭を下げてその場を去った。


 


 社内資料室。冷たい白の照明が、ふたりのデスクに均等に降り注いでいた。


 草薙 修也は、自席の端末に向かっていた。承認ログの中に、ひとつだけ異質な文字列がある。

 《草薙 承認ログ:信じた。それだけだ》


 その言葉を、彼は何度も読み返す。

 操作はしない。ただ、指を置いたまま静かに目を閉じる。


 


 隣で、数列が流れる音が響く。

 二ノ宮 梓が、SIG-MIRRORの照合記録にアクセスしていた。


 表示された照合履歴には、成立判定がついていない。視線による照合の記録は残っているが、それが正式に保存された形跡はない。

 ──それでも、照合は“通っていた”。あの瞬間だけは。


 彼女はマニュアル通りの操作で、“保存せずに終了”の手続きを行う。

 内部処理ログにだけ、「閲覧済み」の文字が浮かぶ。


 草薙の端末にも、それが同期されていた。


 草薙はその通知に目をやり、わずかに視線を落とした。

 了承のジェスチャーも、是非の表情もなかった。ただ、ほんの一瞬、画面にまばたきを落としただけだった。


 


 そのときだった。

 二ノ宮はゆっくりと椅子を引いた。背後に草薙の足音が近づいてくる気配を感じても、彼女はレンズを外したまま、席を立つことはなかった。


 「草薙さん……ご存じでしたか。

  あの資料、構文としては未成立です。

  照合されなければ、戦闘中に無効化される危険があると、私、何度も警告しました」


 「ええ、承知していました」


 草薙の声は、静かだった。

 彼は一歩だけ近づき、端末の横に立った。


 「では、なぜ……それでも承認に、類する動作を」


 「……風巻ひとりに賭けたつもりは、ありません。

彼の資料が通らなければ、芹沢が補完するはずだった。

撃ち損ねたなら、矢口が隙を埋める。

“あの三人で出せば、穴はない”と、そう信じていました」


「だから、あえて残したんです。

未成立のまま、あの資料を。

二ノ宮さん……あなたが見つけると、思っていたから」


「通すとは言っていません。

  ただ――“残した”だけです。

  照合できる誰かがいると、信じていたので」


 二ノ宮はしばらく言葉を探すように沈黙し、やがて短く息をついた。


 「……危うい橋でした。

  でも、成立は……しました。私が通しました。

  構文上は否定されても、“信号”としては……強かった」


 草薙は、わずかに目を細めた。


 「危険を承知で動いたのは彼です。

  あなたも、それを“受けた”側でしょう?」


 二ノ宮は、ゆっくりとうなずく。


 「……はい。照合不能。でも、意味はありました」


 


 その直後、SIG-MIRRORのレンズにひとつのログが浮かび上がった。


 照合フィールドには、風巻 程時の名と、ひとつの記録。


 ──《視線記録ログ:風巻 程時》

 > 「照合されなくても、撃つと決めた。二ノ宮さんのために」


 二ノ宮は、ふっと口元を緩めた。

 その微笑は、安堵とも、肯定とも違う。ただ、そこに確かに届いたものがあったという証のように。


 彼女はゆっくりとレンズを置いた。


 冷たい機器音のなかで、ひとつだけ――机にレンズが置かれる音だけが、確かに響いた。



もうそのレンズは、何も照合しない。構文照合の任務を終えた今、それはただの記録装置に戻っていた。



 それでも彼女の視線は、前を向いていた。


 


 「照合不能……それでも、意味はあった」


 その声はログには残らない。

 けれど、彼女自身の中に確かに刻まれていた。


 構文を超えた照合。

 それが、風巻 程時の戦いと、彼女の“信じたという行為”により、成立したのだ。


 それだけで、十分だった。


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