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雨の日 黄金教 (下)

 聖典アウルム。

 そこに記された教えの言葉の数々には、セウス王国がどのような国だったかをイメージさせてくれるには十分だった。


 黄金教の教えの中心は、簡単に言ってしまえばお金の使い方だった。もっと分かりやすく抽象度を上げて言うと、経済をもとに生み出された宗教であった。

 黄金という、セウス王国の国民の生活を左右した重要な財宝をきっかけに、黄金にまつわる神話や、寓話、成否の物語などを体系化し、思想として成立させ、当時の国民たちの生活に根付かせたものが、黄金教であった。


 黄金教の中の教えのひとつに、二人の概念上の人物が出て来る話があった。それが『冨人(ふじん)』と『貧人(ひんじん)』の物語であった。

 それぞれが富んだ人、貧しい人と読み取れるが、この物語のよいところは、この冨人と貧人が、いつ何時、誰にでも当てはまると記述されているところにあった。

 なぜならそれは、すべての富人の上にもまた必ず神がいらっしゃり、その神を超えて富む者には、決してなれないという、到達不可能な限界が設定されているからであった。

 これにより、黄金教の考え方は、すべての者に通用する、教えとなり、いつ何時でもこの冨人と貧人になりうるということを示し、黄金教の教えに誰もが自分という立場を当てはめることができた。


 例を挙げると、富人が黄金つまりは富を持っていたとしよう。それをいかに他の貧人たちにも分け与えられるかが記されており、与えすぎても自らが貧人になり、与えすぎなくても貧人たちから恨みを買い、やがて、略奪されるであろうなど。

 貧人側に関しても、教えがあり、富を分け与えられたものは、分け与えてくれた富人に感謝をするなど、当たり前であるが大事なことが綴られていた。


 黄金教は、こういった財を成した者や、いまだ財を成していない者たちへの、教訓をまとめたものであった。ただ、この聖典アウルムは、経済、お金のことに関して事細かく記述されており、これは経済の教科書としても使える代物でもあり、ずっと実用的だった。


「ふーん」


 私は、この聖典アウルムの写本を、何度か周回し、速読で読むことによって、おおかた何が書かれているかをおおかた把握した。


「まあ、おおかたは作り話なんだろうけど…」


 要するに、前にしらべたセウス王国の歴史と、今回の聖典の内容を比較すると、やはり、そこにはズレのようなものがいくつか散見された。

 ただ、これに関しては歴史的に正確性を持たなければならない歴史書と、神の教えを伝えることを重視する宗教的書物である聖典という、二つの立場で、それぞれの用途を考えると、内容に違いが生じてくるのはいたって自然なことではあった。


 それに私にとって重要なことは、そんなことではない。


 黄金の在処。


 それが記されたものにたどり着くための道筋それが、重要だった。黄金発見という未知を得るため、そのためにここにおり、こうして、セウス王国の歴史や宗教を調べるに至っているのだから、私はその聖典の中から手がかりを探していた。


 そして、私は、この聖典アウルムから、一種の答えのようなものにたどり着いていた。


「黄金神ゴルティネスの秘宝…」


 黄金教の原点となる教えで、始まりとなる物語。それは、セウスという青年がとある未開の山に鉄鉱石を掘りに行くところから始まり、その山で鉄ではなく巨大な黄金を発見し、その黄金に宿っていた、黄金神ゴルティネスから啓示を受けるところから始まる。

 セウスは、神ゴルティネスから、この土地に国をつくる助言を受け、それから、セウスは、神の言葉を信じ、発見した黄金を使って、その山を削り取り、そこに自らの名のセウスという国を立ち上げ、神の黄金を元手に商業で繁栄する国となった。


 重要なのはここからであり、以降、セウス王国は、神ゴルティネスを崇め、神から頂いたその黄金には手を付けなかったと書かれていた。


 そして、その黄金がどこにあるかも、ちゃんとその聖典には書かれていた。


「黄金は、お城の地下にある…」


 私は着実に黄金に近づいていた。

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