雨の日 黄金の在処
ハンナ先生いわく。
「黄金?ああ、あれはね、校長先生が毎年、挨拶の時に言っているけど、先生たちも黄金がどこにあるのかも、本当に用意しているのかも分からないのよね。まあ、いつものことすぎて、毎年聞き流しちゃってるんだけど、もしも見つけたら、どこにあったか教えてね」
マリア先輩いわく。
「黄金ねぇ…私は探したこともないのよね。それに、黄金を探そうなんて、最初のうちだけで、ほら、この学園って、そもそも、魔法学校でしょ?学園生活が始まったら、魔法のことで頭がいっぱいで、みんな入学式の時に言われた黄金のことなんて忘れちゃうんだよね。だって、学校ってお金よりも経験を得る場所でしょ?違うかな?」
ラウル先輩いわく。
「黄金?さあ、知らないな。そうだ、それよりも、リリャ、雨の日でも鍛えられるように、室内での特訓のメニューを考えて来たから、今日からこれを一緒にこなしてだな…って、おい、どこに行く、逃げるな!」
クリス先輩いわく。
「確かにこの学園には、そんな噂があるな。ただ、どうだろう、たとえ、黄金を見つけたとしても学園が用意したものだとしたら、その黄金はたいしたものじゃないないんじゃないか……おっと、すまない、夢の無い話しをしてしまったな、まあ、手伝えることがあったら言ってくれ」
ルコいわく。
「黄金か、リリャちゃんなら、絶対に見つけられと思うよ。だけど、本当にあるかは気になるよね…あ、だけど、リリャちゃん、私にできることがあったら何でも言ってね、私、リリャちゃんの役に立ちたいから」
アガットいわく。
「黄金か、それって宝石とかだよな、だったら、とっても価値のあるものなんだろ?それなら、それを売って、大金が手に入ったら、たくさん美味い飯が食えるよな。え、それはいいアイディアだって?そ、そうだろ…へへ。なんか、お腹空いて来たな、リリャ、一緒に売店に行かないか?」
オルキナいわく。
「黄金が庶民の手に渡る前に、わたくしとリリャ、二人で協力して探し出すのです。いいですわね?黄金なんて庶民の手にあまりますもの。え?なんですの、早い者勝ちですって!あなたそれは、聞き捨てなりませんことよ!」
レキ先生いわく。
「黄金のことで悩んでいる?そうか、ふーん、まあ、それなら、手っ取り早く、本人に尋ねてみればいいんじゃない。ん、本人が誰だか分からない?そんなの決まっているじゃないか、入学式に君たちを黄金探しに駆り立てた本人にさ、僕が話しを通してあげるよ」
という紆余曲折経て集めた情報の最後のレキ先生の助言で、私は、この魔法学園アジュガの校長先生であるフォース・ブランジュルド校長に会いに行くことにした。
校長室は本館の二階にあった。校舎本館の二階は、エントランスから階段を上ってすぐのところにあり、職員室など、先生たちがよく通る場所でもあった。そして、職員室とは、反対側の西校舎側の通路に、校長室はあった。校長室は、職員室のような部屋を繋げたような大部屋ではなく、個室だった。
私が、二階の校長室扉をノックすると、校長室の扉はひとりでに開いた。私が入っていいか迷っていると、校長室の中から声がした。
「どうぞ、お入りなさい」
優しい声だった。
校長室に恐る恐る入って行き、辺りを見渡す。本で一杯の棚や、何かの賞状やトロフィーなどが飾られていた。それだけじゃない、沢山の魔法の杖が飾られていたし、立派な額縁に入った絵画などもずらりと壁に立てかけられていた。全体的に、お金は掛かっているようには見えないものばかり飾られていたが、歴史や思い出が深く詰まっているようなそんな重厚感のある部屋だった。
そんな部屋の奥の机の椅子に、魔法学園アジュガの校長である、フォース・ブランジュルド校長先生が、穏やかな笑顔を浮かべて座っていた。
「朱雀組の一年、リリャ・アルカンジュです。その、校長先生にお話があって来ました」
「ああ、ここに君が来ることはレキ先生から聞いているよ、さあ、そちらのソファーに腰を掛けて、今、お菓子を用意しよう」
校長室の脇には、小さな暖炉の傍に、来賓を迎えるための赤いソファーと、テーブルがあった。
私が、緊張しながらも、赤いソファーに座る。
校長室の窓の外では、連日振り続けていた雨が、窓に打ち付けられていた。
お菓子の袋を持って来た校長先生が、テーブルを挟んだソファーに、持って来たお菓子を用意した皿に移し、そして、自分で先にひとつ齧ると、私の正面のソファーに座った。
「すまないね、私は焼き菓子に目が無くてね。遠慮せず、食べてくれ」
テーブルの上に置かれた焼き菓子が入った皿に私も手を伸ばした。それは真ん中に赤いジャムが載ったクッキーだった。口に運ぶと程よい甘さのジャムとサクサクのクッキーの感触が、口の中に広がった。
「美味しいです」
「フフッ、そうだろ?実はそれ、私が焼いたんだ」
「そうなんですか!?校長先生は、お料理が得意なんですね!」
「いや、得意とまでは言えないが」
「こんなに美味しいのにですか?」
クッキーの出来はかなりよく、市販されているものと大差はないどころか、この校長先生が焼いたものの方が私好みではあった。
「そうだね、まあ、長く生きていれば、お菓子作りにはまることもある、それだけだよ」
フォース校長は、そう言うと、もう一度皿のクッキーに手を伸ばしていた。
「それで、リリャくん、君が私を尋ねに来た理由を教えてくれるかな?」
美味しいクッキーに気を取られ、ここに来た本来の目的を忘れかけていた。一度お菓子を食べる手を止めて、校長先生に真っすぐ向き直った。
「私、校長先生が入学式の時におっしゃった、黄金を探すために、ここに来ました」
すると、そこでフォース校長もお菓子に手を伸ばしていた手を止めて、私の方を見た。彼の威厳と優しさを兼ね備えた銀の瞳が、私を覗き込んだ。
「黄金。ああ、そうか、そうか、なるほど、君は黄金を探してくれるんだな!」
「ええ、そうです、けど…」
そこで探してくれるという言い方に少しだけ私は引っかかった。黄金などみんな欲しいから探すに決まっているはずだった。
「いやあ、嬉しい、実に嬉しいね。そう言ってくれる生徒がこうして私のもとに尋ねてくれるなんて」
フォース校長は、クッキーよりもずっと私の方に興味が移っているようだった。
「何というかね、みんな黄金といっても、現実味がないのか、誰も興味を示さないのだよ」
私は嘘だと思ったが、校長先生がこれだけ喜んでいることからも、何だか、本当のように聞こえ始めていた。
「悲しいことに、この学園が創立されて以来、誰も、その黄金を探し当てたものはいない。というより、こうして、私と黄金のことについて話そうというものもいなかった、百年くらいあったのにだ」
フォース校長はとても楽しそうだった。ずっと抱え込んでいた悩みが晴れていくかのようなそんな感じでもあった。
私は、校長先生の本気で嬉しそうな表情や話し方からも、どうやら、彼の言っていることは現実味があるような気がしてならなくなっていた。
「みんな、黄金よりも、この学園で魔法を学ぶ方に夢中だったのだな」
その言葉で、私もようやく納得した。確かに、この学園に来てから、黄金というどこにあるかも分からない価値あるものよりも、目の前にあっていくらでも価値あるものにできる体験の方が優先していた。
私も、実際に、ここ最近まで、ずっと、魔法のことばかりで、黄金のことなどすっかり忘れていた。
「黄金よりも魔法。いや、それはいいことだと私も分かっていたからこそ、入学式の最初に言うだけで、それ以降は生徒たちの自主性に任せていたのだ。今、この魔法学園アジュガは魔法を学ぶところであって、黄金を探す金鉱じゃないからな」
その通りだとは思ったが、私は、黄金も価値のあるものに変わりはないと思っていた。
「どうやら、みんな、入学式のことなど、魔法の授業が始まった頃には忘れてしまうようでな、誰も黄金に興味を示さなかった。それはとても悲しいことでもある…」
顔の生徒たちの黄金よりも魔法に対する熱い思いが、フォース校長の勢いを失速させ、彼は少し落ち着きを取り戻しつつあった。
「あの、ひとつだけ質問をしてもいいですか?」
「ああ、ひとつと言わず、なんでも聞いてくれ、ただし、黄金の在処以外で頼むよ」
フォース校長が冗談めいて言う。
「ええ、それはもちろんです」
もちろん、そのつもりだった。そして、何でも聞くつもりはなかった。ただ、ひとつだけ、これだけは確認しておきたかった。
「黄金は、本当にこの学園に存在するのですか?」
黄金の存在。それが実在するのか、それをこの校長が知っているのか、この質問の答えは極めて重要なものだった。
「ああ、ある。それだけは絶対に私が保証しよう。だから、どうか、最後まであきらめずに探してみて欲しい」
「なるほど…」
その答えを聞けただけで、十分だった。そして、その校長の答えから分かることは多かった。
まず第一に、その黄金は校長が用意したものの可能性があるということ。これは黄金探索でも極めて大事なことでもあった。もしも、校長自身も黄金の場所を知らないとしたら、そこには学園としての未知の部分があるという意味になる。未知があるということは、それだけ危険があるということになる。だが、校長が黄金の場所知っているというなら、命の危険まではないということになる。これで、黄金探索に気兼ねなくルコも連れ出せる。
第二に、小等部である今の私でも、その黄金にたどり着けるということ、ただ、まだこの学園に来て知らないことの多い分、かなりハンデはありそうだが、それでも、校長の話しからも絶対に無理ということはなさそうだった。
そして、最後に、やはり、黄金はこの学園のどこかに必ずあり、そして、それは見つければ手に入れられるという、夢が現実に繋がった瞬間でもあった。
『百年、見つかってないのなら、私がこの学園で一番最初の黄金の発見者になる可能性もあるってことか…ん?百年?』
何か、気になるところはあったが、自分の聞きたいことはもう聞けたので、校長室を去ることにした。
「校長先生、クッキーありがとうございました」
「あれ、もう行くのかい?」
「はい、知りたいことは知れたので」
私はがめつく、席を立つ前にさらに盛られたクッキーをいくつか手に取った。
「知れたって、私はまだ、この学園に黄金があるとしか言ってないが…」
「十分です。それだけ分かれば後は、自力で見つけます」
フォース校長は唖然としていたが、そう簡単に手に入るものじゃないことは重々承知していた。
私が、フォース校長に分かれの挨拶を告げて、部屋を出る時だった。
「リリャくん」
「はい?」
「ひとつだけ、言いたいことがあるのだが、いいかな」
私が振り返ると、フォース校長と目が合った。その彼の銀色の瞳が優しく私に向けられていた。
「ええ、いいですよ」
すると、彼はさらに優しくそれでもどこか寂しそうに告げた。
「この魔法学園アイビーという場所をもっと深く知って欲しい。ここが君にとっても特別な場所となるような、そんな場所になるように、リリャくん、君の今後の学園生活が素晴らしいものになることを私も祈ってる」
「ありがとうございます。フォース校長先生」
私は、校長室を後にした。
***
元気な一年生が、黄金を求めて出て行った校長室はとても静かに、静寂に包まれた。
フォース・ブランジュルドは、校長室の窓際に立って、雨が降る外を眺めた。
「この場所が過去にならないように…」
フォースは、そっと、隅の壁にひっそりと掛けられた立派な額縁に入ったボロボロの人物画を見つめた。
「ここがいつまでも未来のある場所であるように…」
そして、再び、窓の外を見つめた。
「私が守りますよ」
雨が降り続けている。この雨が止むにはもう少し時間が掛りそうだった。




