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保健室で過ごした三日間と、休日の飛行レースで、リリャが教室に顔を出すのは四日ぶりだった。
教室の扉を開ける。リリャがいつもどおり、ルコと一緒に自分の机まで迷いなく進む。着席して今日使う教科書を机の中に放り込むと、リリャはすぐに隣の席のルコと、昨日いった飛行レースの話題で盛り上がる。だが、そうやって話している時だった。
リリャの机の前にひとりのクラスメイトがやって来た。名前は【ウィナ】といった。クラスの中でもひときわ背が小さく元気な女の子で、テレーズたちのグループと仲のいい女の子だった。リリャと同じ庶民の出で、何度か話したことがあったが、とても裏表の無いいい子なことは間違いなかった。
「ねえねえ、リリャちゃんって、飛行部に入部できたって聞いたけど、本当なの?」
リリャは突然現れたウィナに驚いたが、すぐに自分のペースを取り戻すと言った。
「うん、条件付きだけど、テストには合格したよ」
飛行部の入部に必要な、親からの承諾はまだもらっていなかったが、そこは特に気にしていなかった。リリャの親は放任主義的な一面もあるのもそうだが、それよりも、挑戦には背中を押してくれるようなそんな理解ある両親でもあった。
「じゃあ、リリャちゃんは、今年からもう飛行部の部員なんだね?」
「まあ、そうなるね」
「すごいね!」
「それほどでもないよぉ…」
ウィナの素直な言葉にリリャは少しばかり照れる。
「ねえ、みんな、やっぱり、リリャちゃん、飛行部に入るんだってよ!!」
そういうとウィナが、近くの席でこちらの様子を窺っていた女子たちに向かって言った。するとそこからぞろぞろと、リリャの前に五人の女子たちが集まって来た。
『な、なにごと?』
リリャは急に集まって来た女子たちに少しばかり気圧される。
まず、集まって来たのは、このクラスの学級委員である【テレーズ】だった。
ちなみに、リリャも学級委員に立候補していたが、その時、テレーズも立候補したため、素直に辞退するという前に出ることに何のためらいもないリリャらしからぬ一面を見せてしまうほど、学級委員が似合っているのがテレーズであった。それにこの学園では関係ないが彼女は貴族の出のようで、常に上品さを兼ね備えている同学年でも尊敬すべきような生徒であった。
そんな彼女と親しい、おしとやかで優雅な午後には紅茶と焼き菓子でも嗜んでいそうなこれまた貴族の出の二人【エリエット】、【パトリシア】。
この三人は、貴族の令嬢という境遇も近いことから馬が合ったのか、常に一緒に行動していた。
そして、そこにウィナという元気いっぱいの少女がひとり入ることで、みごとな調和がとれているグループでもあった。それはまるで三人のお姉さんたちが、愛くるしい妹を可愛がっているそんな感じだった。
そして、もう二人のクラスメイトは、【エーラ】、【イグネ】であった。彼女たちは、優雅に紅茶を飲んでいるというよりは、野性味のある運動系を好むような女の子たちだった。アガットほど圧と鋭さを持ち合わせているわけではないが、彼女たちからはそのようなスポーツをする人達が持つ特有のオーラがあった。
そんなクラスの女子たちが一斉に押し寄せて来たのだ。最初、みんな一斉にリリャに質問したり話しかけたりしてくるので、さすがのリリャも混乱した。
「みんな、リリャさんが、困っています、ここはひとりひとり話しましょう」
やはり場を治めたのはテレーズだった。
「リリャさん、飛行部に入ったというのは本当なんですね?」
同じ質問、しかし、テレーズに聞かれるとなんだか、真剣に答えなくちゃいけないような気がして、リリャの背筋も伸びる。それに、どうやらその質問の回答をみんな聞きたくて、うずうずしている感じだった。
「えっと、そうだよ、飛行部に入るのは本当だよ」
「ということは飛行部のテストにも合格したんですね?」
「うん、部長のクリス先輩とも話して、直接合格って言ってもらったから間違いないと思う。まあ、私の場合条件付きなんだけどね…」
そこで「おお…」と静かな歓声があがった。
「なあ、それだったら、やっぱり、事故ったっていうのも本当なのか?」
横から覗き込むようにエーラが尋ねた。
「え?事故…ああ、まあ、うん、ちょっと飛行魔法の制御ができなくて」
飛行場で起きたリリャの飛行魔法の暴走。
本来なら魔法発動時、エーテルを魔力に変え、魔力を魔法に変えたとする。その時、たとえ大量の魔力を練り、魔法発動時にその魔力を一気にすべてその発動する魔法に消費したとしても、せいぜい出力する際に限度があるはずであった。
ただ、今回リリャの場合、その上限が飛び切り高い位置にあった為に、あのような飛行魔法でも大規模な魔法に分類されるほどの魔法になってしまったと、検査をしていたベトアラ先生は言っていた。
現在のリリャの身体には、ベトアラ先生が施したエーテル孔の解放を抑制する魔法が掛かっていた。そのため、暴走はありえなかったが、飛行魔法が使えるようになった今、リリャにはその訓練も必要であった。
「ケガと大丈夫だったか?」
「飛行魔法って、どんな感じだ?」
「ラウル先輩って知っています?」
「お空綺麗だった?」
再び怒涛の質問攻めが始まり収拾がつかなくなり始めた時だった。
教室の扉が開き、また、生徒がやって来た。
「ご機嫌麗しゅう、どうやら、盛り上がっているようだけれど、なにかありまして?」
リリャを囲んでいた人たちの内、貴族の出の者たちが思わず、固まっていた。
「あら?みんなでリリャを囲んで何のお話をしていたのかしら?わたくしも、交ぜて欲しいものですわぁ、ねえ、いったい何を話していたのかわたくしにも教えて下さらないかしら?さあ、早く、愚民ども」
オルキナが現れると、明らかに場の空気が良くない方向に変わっていた。みんな彼女の存在を受け止められずにいるようだった。だが、やはり、そこで強いのはリリャのような庶民の出のものだった。
「オルキナ、少しはその上から目線やめな、みんな怖がってるよ…」
「リリャ、あなたがわたしくしに意見する気なのかしら?」
「するよ」
リリャが真っすぐオルキナを見つめた。明らかに彼女が入って来たことで場の空気が悪くなったというより、彼女が場の空気を荒らしたといった方が合っていた。これは良くなかった。
リリャはすでにオルキナという貴族のお嬢様に耐性が付き始めていたが、みんなはそうじゃない。オルキナの高圧的な態度には不慣れなはずであり、学園で身分の違いは関係ないがやはり、それでも、完全に消えてなくなるわけではないようだった。テレーズでさえ、オルキナに意見するどころか完全に委縮していた。
「あなたにそんな権利ありませんわ、自分の立場を考えての発言ですの?」
オルキナは負けじとリリャのまっすぐな赤い瞳を見つめ返すが、今にも視線をそらしそうなほど、気を張っているようだった。
けれども、リリャからしたら、なぜそんなにオルキナが、怒っているかもわからなかった。
「立場とかそんなの知ったこっちゃないけど、私がオルキナに意見する権利はあると思うよ」
「な、なんですって!?」
「だって、友達だからさ」
「え…」
「友達が間違ってたら、普通、間違ってるっていうでしょ、違う?」
リリャは特に怒気を含まず、ただ、説き伏せるように淡々とオルキナにそう伝えた。
「友達…」
オルキナが目を大きく見開き固まる。
なぜオルキナが怒っていたかは分からなかったが、冷静になってくれたので、リリャが続けた。
「みんな、私が飛行部に入部したのか、気になってその話をしてただけだよ」
「ああ、そうだったのね、それならいいんだけれど…」
オルキナはそう言うと、どこか放心状態で、後ろの席に静かに座った。そして、いつも通り彼女の後ろに控えていたブルトとジョアがおり、リリャに挨拶をした。
「いい朝になりましたね」
比較的明るい性格のオルキナの従者でクラスメイトのジョアが、ニコニコしながらそう言った。
「え、ああ、うん…」
リリャは、彼女の言った意味がいまいち理解できなかった。
ブルトとジョアは、そのまま、人だかりができていたリリャの机の横を通り過ぎて、机に伏せたオルキナに声を掛けていた。
オルキナが去ったことで、リリャへの質問は、再び再開した。一人一人の質問はやはり飛行部に関することばかりで、話題の中心は常に飛行部に入部することの話だった。そして、やはり、女子たちが集まると、異性である先輩の話しにも繋がった。とくに飛行部には女子たちに人気の先輩が集まっているようで、リリャのことを羨ましがってもいた。ラウル先輩についても話題にあがった。やはり、あの魔法特区で空から登場したことが、みんなの印象に残っているのだろうか?このリリャのクラスでも彼のことはかなり好評のようだった。
そこで時間間際、再び教室の扉が開く。
リリャが一番早くその時間ぎりぎりに入って来たクラスメイトを見つけると声を掛けた。
「アガット、おはよう!!」
すると教室の扉の前には、学年で男女合わせた中で一番背が高く、そしてガタイもいい、赤い髪をなびかせた、暗い闇のような獣のように鋭い瞳で睨みを利かす、アガットがいた。
アガットがリリャの元までやって来ると、リリャとルコに挨拶をした。
オルキナとはまた違った意味で脅威のある彼女に、今度は本能的な危険を察知した生徒たちが蜘蛛の子を散らすように去って行った。
アガットはすでになんとうかこのクラスでも、ボスみたいな風格を纏っていた。男子ですら、アガットには逃げ腰なところがあるほどなので、女子たちから見たアガットは相当恐いはずであった。
「リリャ、もう、いいのか?」
「ばっちりだよ、アガットが、お見舞いに来てくれたからかな?」
「私は、何もしてない、それよりもまたリリャがこうして教室にいると落ち着くよ」
「うん、また、よろしくね」
リリャが拳を突き出すと、アガットはすぐにそれに答えた。
「ルコもリリャの面倒みてたんだよな、お疲れ様、大変だったろ?」
「ううん、全然、リリャちゃんずっと元気だったし、それに保健室のお泊りは楽しかったから、ちょっぴり怖かったけど…」
「そっか、お泊りかそれは楽しそうだな…」
そうやって、アガットと話していると、散っていったはずの女子生徒のうち、エーラだけがまだ残っていた。
「あ、あの…」
そこでエーラが、アガットに話しかける。
「あ?」
アガットのあまりにもリリャたち以外への冷たい反応に、エーラは震えあがりそうになっていたが、それでも、エーラは勇気を振り絞って言った。
「お、おはよう!」
緊張からか肩を震わせながらもエーラはアガットに挨拶をしていた。
「あぁ、おはよう」
アガットも普通に挨拶を返す。
「そ、それじゃあ…」
エーラはすぐに友達のアグネの元に戻り、緊張から解放されたからなのか、後ろの方でやたら嬉しそうな顔をしていた。
アガットが不思議そうにしていたところで、教室にハンナ先生が入って来た。
「さあ、席に着いて朝のホームルーム始めるよ!」
またいつも通りの魔法学園の一日が始まるのだった。




