軍人の家系
リーベ平野。レイド王国北西にあるリーベルト地方に広がる広大な平野。青い草原が広がり、平野からさほど遠くない場所には、龍の山脈があり、そこから心地よく気まぐれな風が流れ込んで来る。比較的魔獣などの脅威も少ない平穏な平野だった。
リーベ平野は、レイド王国だけではなく、アスラ帝国、シフィアム王国と二か国をまたいで広がっているため、人為的ないざこざは絶えない場所ではあるが、それと同時に国家間でのイベントなどの祭事などにはよく、利用される土地でもあった。
リリャたちが訪れたこの飛行レース場『リーベウィング』には、六階建ての超巨大な観客席が設けられた建物があった。その前には競技場である飛行サーキットがあり、選手たちがしのぎを削って、空の最速を競っていた。観客たちはそんな選手たちの爽快感のあるスピードあるレースに熱狂していた。
まだ観客席がある建物の前の広場にいたリリャたちの元にも、その熱狂する歓声はよく聞こえた。
「凄い盛り上がってるよ!ねえねえ、二人とも早くレース見に行こうよ!」
リリャがルコとキアの手を引いて、建物に走り出そうとするが、そこで声がかかった。
「おい、貴様、キア様にそんな口の利き方があるか!?それと、少し待ちなさい、我々の護衛部隊が観客席の安全を確保しにいっている」
怒り気味に声を上げたのは、キアの護衛としてついて来ていた先輩のひとりの、【マグリカ・セイブ】だった。
「なんで、あなた達までいるんですか…」
リリャが不貞腐れた顔でマグリカに向かって言った。
「あのね、あなたは何も知らないから、そうやってのうのうとしていられるけど、キア様は、本来あなた達のような庶民が関わるべき人間じゃ…」
「マグリカ、安全は確認できた?」
そこでキアが話しを遮るようにマグリカに尋ねる。
「キア様、もう少しお待ちください、今、オルフィン隊長の部隊が席の確保をしています」
「そう」
キアが、リリャとルコに振り返る。
「ごめんなさい、ただ、休日にレースを見に来ただけなのに、こんな大事になってしまって」
「全然、構わないよ。だって、チケットとか用意してくれたり、ここに連れて来てくれたのだって、全部キアのおかげだし」
リリャとルコは、キアが用意してくれた護衛付きの馬車でパースの街から、このリーベ平野のリーベウィングへと移動していた。護衛の馬車が二台付き、明らかに過剰防衛だとも思ったが、キアにはこれが普通のようで、特に彼女が気にしている様子もなかった。
庶民のリリャとルコからしたら、ここらでキアがどれほど地位のある人間なのか知りたくなってくるほどではあったが、馬車の中ではそんな彼女の素性よりも飛行レースのことで頭がいっぱいで、キアにはレースのことばかり質問していた。
「キア様、準備が整いましたよ」
リリャたちの元に、髭面のいかついおっさんが現れた。腰には剣がぶら下がっており、彼が騎士であることは容易に想像ができた。
「オルフィン隊長、休日だというのに、今日は、わざわざありがとう」
キアが礼を言うと、その隊長は豪快に笑った。
「いやぁ、とんでもない。いいんですよ、私もちょうどレースで賭けをしようと思っていたので、好都合でした。それよりも、キア様も、今日は心置きなくお友達とレースの観戦お楽しみください。あ、もちろん、護衛任務はちゃんとこなしますので、ご安心を」
髭面のおっさんは、連れていた部下たちに簡単に指示を出すと、彼は賭けのチケット売り場へと向かっていった。
「キア様、ご案内いたしますのでついて来て下さい」
リリャたちはキアの護衛について行き、飛行場のスタジアムへと歩き出した。
「ねえ、キア、さっきのいかついひとはキアの護衛なの?」
「そう、【オルフィン・バーバン】、私の家の護衛隊長で、今日は私がここに来るからって家の方からわざわざ来てくれた」
「そうなんだ…」
どうやら、キアの家はやはり、相当凄い名家なことがだんだんと浮き彫りになってきた。
「ところで聞きたかったんだけど、キアの家ってえっと確かグランド家なんだよね?」
「そう」
「私、貴族とかのことあんまり分からないんだけど、キアの家はどれくらい凄いの?」
庶民であるリリャは普通の小学校の出であるため、貴族のことに関してはまだまだ知見が狭かった。それに、リリャ自身貴族の派閥に全く持って興味が無く、生涯無縁だと思っていた。だから、知ろうとも思わなかった。
唯一レイド王国の王族であるハドー家のことはよく知っていた。王都に住んでいたこともあり、王様のことを知らないということはリリャでもなかった。だが、地方貴族のことになると、どうにも複雑で覚えきれないことがあった。そこを治めている領主など知る由もなかった。
「凄くはない」
「え、でもこれだけの護衛がいるって、相当凄いんじゃないの?」
リリャからしたら、護衛がいるというだけでそれはもう凄いことだった。
しかし、キアからしたら護衛がいることは日常風景だった。
「凄いかどうかは別として、私の家は、軍人の家系だから」
「軍人…」
キアは自分の家のことを語り始めた。
「私の父は、このリーベルト地方を治めている領主で、リーベルト辺境伯と呼ばれてる人だから、貴族としては上位貴族にあたるようだけれど、父は戦いのことしか頭にないから、きっと、領主としては失格だと思う」
キアがそんな話をしていると、近くを歩いていたマグリカが補足するように言った。
「キア様、お言葉ですが、主様は、レイド王国の国境警備をなさっておられるこの国でも要となるお方です。戦いに心血を注ぐのは当然のことかと…」
そんなマグリカの言葉に、それでもキアはリリャだけを見て言った。
「私の父は十二年前の【竜光戦争】に参加していたの」
竜光戦争は、十二年前シフィアム王国とレイド王国の国境沿いで行われた小規模な国境沿いの戦争だった。五百年戦争が終わった後も、国々での小さないざこざは各地で絶えなかった。
特に国境沿いでは頻発して敵国の貴族同士での争いがあった。だが、国そのものが動くかは、その国境に面していた領主たちの手腕に任せられていることもあった。
五百年戦争が終わって以来一度も国家間での大規模戦闘になるまで発展する戦争は起こってはいなかった。だが、各国は五百年戦争が終わってから国境沿いには戦闘と統治に優れた有能な貴族を配置し、国家防衛に務めていた。
「その戦場で父は【黄金】と呼ばれていた。」
「黄金…なんかカッコイイね…」
黄金、それはリリャにとってとても聞き心地の良い言葉だった。だが、キアにとってはそうではなかった。
「全然、その黄金の二つ名は、どうしようもなく血塗られているから、私は嫌い」
「そっか…」
リリャも何となく察した。たしかに戦場でつけられた名の背後にあるのはどうしようもなく血なまぐさい。英雄などと呼ばれる者が歩いた後には必ず大量の屍が築かれているものだった。
「大勢の人を殺して得た黄金に価値はない」
キアの顔はどこから暗く沈んでいた。そこでマグリカが口を挟んだ。
「キア様、それは違います。キア様のお父様は、素晴らしいお方です。この国を守るために必死に戦ったお方です。それをそんな言い方をするのはあんまりだと思います…」
しかし、キアが彼女の言葉に耳を貸すことはなかった。あくまで彼女はリリャに話しかけていた。
「私は別に父のことは憎んでない。だけど、それでも、私が黄金姫と呼ばれたくはない理由はそこにある」
「黄金姫?」
「そう、私の政界での呼ばれ方、みんな父が黄金って呼ばれてたから、その娘は黄金姫だって…」
それからキアはそれ以上その先のことを語ろうとしなかった。
『黄金姫って、とっても素敵な呼び名のように思えてしまうのは私だけだろうか…でも、キアはそのことで悩んでいる…』
リリャはまだキアという女の子がどのような立場でどんな人物なのかいまいち掴みきれていなかった。ただ、よく分かったことは、グランド家が、軍人の家系であることだけだった。
『キアは、お父さんと仲が悪いのかな…家族同士で仲が悪いのは、嫌だよね…』
リリャは、すっかり元気が無くなってしまったキアを見て、何か元気づけてあげようかと思ったが、そこでふと、そんな沈黙をかき消すような熱気がリリャたちのもとに吹き込んでいたことに気付く。
歓声が聞こえて来る。
それはサーキットを飛んでいた選手たちを応援する大歓声だった。
観客席にたどり着いた途端、それまでリリャたちの周りに漂っていた重たい空気はどこかへ遠くへと吹き飛んでいた。
「す、すごーい!!!」
リリャたちがスタジアムの観客席に入ると、そこに溢れていた熱気に思わず、圧倒されてしまった。
観客席の向こうのサーキットでは、すでに飛行レースが開催されており、選手たちが物凄い速さで観客席前のコーナを曲がっていく姿があった。
「ねえ、ルコもキアも、今の見た?速すぎない!?」
リリャがサーキットの方に目を輝かせていると、キアがリリャに微笑みかけて言った。
「連れて来て良かった…」
それから、リリャたちは、プロ選手の飛行レースの観戦を楽しんだ。それはもうリリャを夢中にさせた。子供の頃に見ていたらきっと絶対に、もっと、空を飛ぶことに憧れを抱いていただろうと思うほど、プロの選手たちの飛ぶ姿はかっこよかった。
「あー楽しかった!」
そうして、リリャたちが飛行レースを楽しみ終わると、その日は、何事もなく無事にパースの街に帰った。
パースの街が夕暮れに染まっていた。リリャたちはそのまま、魔法学園アジュガの寮へと、キアの馬車で帰宅するのだった。
***
「お嬢、ちょっといいですか?」
キアが、帰りの馬車に戻る前に、警護隊長のオルフィンに呼び止められた。
「なに?」
「彼女たちは魔法学園のお友達で?」
オルフィンの視線の先には、リリャとルコが馬車に乗り込む姿があった。
「ええ、そうだけど」
「そうですか、ちなみにお二人はどこの貴族の令嬢で?」
「貴族じゃない、普通の庶民の出よ」
「そうですか」
オルフィンは安堵と共に肩をなでおろしていた。
「なにか?」
怪訝そうな顔でキアは彼の顔を見る。
「ああ、いや、違います。別に庶民だからどうこうなど私は言うつもりはありません。私だって庶民の出ですからね」
オルフィンもその腕を買われてグランド家に仕えている護衛だった。
「お嬢があんなに人とよく話しているところ初めて見ましたよ」
「そう…」
キアはそっけない返事をする。
「ただ、お嬢、中にはお嬢のような高貴な人を取り入ろうとする卑しい下民もいるということ忘れないでください」
護衛隊長としての忠告だったが、キアにはどうにも癪に障った。
「リリャとルコは、そんな人間じゃない。私の友達の侮辱はあなたであろうと許さない」
キアがオルフィンを睨みつけると、彼の顔からあからさまに血の気が引き、冷や汗が垂れ始めていた。
「お嬢、まあ、落ち着いてください、そういうやつもいるって話です。とくにお嬢のように力を持つ人間が利用されると厄介なことになります。それはあなたが一番よくご存知でしょう?」
キアはオルフィンの言葉に耳を貸し静かになった。
「いいですか?あの魔法学園は、レイド王国の支配下にあるとはいえ、中立地帯のような場所です。なので、お嬢は学園に居る時、敵味方関係なく様々な人間がいると思ってください」
「では、誰とも関わるなと?」
「いえ、そういうことを言っているのではなく、我々の手も届きにくい場所なので、交流する人間は慎重に見定めてくださいと言っているんです。お嬢に万が一のことがあった場合、私たちの首も飛ぶので」
キアはそこで少し考えてから答えた。
「わかった。あなたの忠告は素直に受け取る。けれどリリャとルコ、あの二人とは今後も友達として仲良くしていくつもりだから、護衛の人たちにもそれを伝えておいて」
「ああ、あの二人ですね。わかりました。まあ、彼女たちを今日見ていても無害すぎましたし、というより、本当にただの庶民の子供でしたからね。お嬢の友達としても何の問題もないでしょう。まあ、ただ、庶民すぎるというか、なんというか、お嬢も友達を選ばれてはとも思いましたがね」
オルフィンのそのリリャたちを見下すような言葉に、すこしいらついたキアがきつくお返しをした。
「庶民の出のあなたが何をいうの?」
「おっと失敬、確かにその通りでした」
オルフィン隊長は、参ったと言わんばかりに笑ってその場を去っていった。
「おーい、キア、どうしたの?早く帰ろう!」
そこでキアは馬車で待っていたリリャに呼ばれていた。
「うん、すぐ行く」
キアはすぐにリリャたちの乗る馬車へと向かった。
キアの初めての友達との休日はそこで幕を閉じるのだった。




