後ろからの視点
二年朱雀組の教室はいつも通り、平穏で退屈な朝の時間を迎えていた。
オルキナの左の席に座っていたブルトは静かに、着席して、朝のホームルームが始まるのを待っていた。
ブルトが隣の席の主人であるオルキナを見ると、彼女は、とても退屈そうに本のページを文字に目を通さずパラパラとめくっていた。さらにその奥にいた、オルキナの右隣の席では、ジョアが朝に弱いため居眠りを決め込んでいた。
ブルトはよく人を見ていた。
レイド王国三大貴族の令嬢である【オルキナ・ルノワール】の従者ということもあり、彼女は常に相棒のジョアと共に後ろに控えていることがほとんどだった。後ろからの景色、その分だけ他人からの視点が自分に向かないことが多く、ブルトはそれをいいことに、人間観察というものを主人の後ろからこっそりとしては、主人と話している人がどのような人物なのか自分なりの解釈をするのがブルトの趣味というよりも、従者としての役目でもあった。
それは主人が参加する社交界などでその真価は発揮された。どういうことかというと、まず、オルキナが、出会った人々の顔と名前を忘れて恥をかかないように、変わりにブルトがすべて記憶するのだった。
相手の顔と名前を頭に入れ、それと主人と相手の会話から覚えておいたほうが友好関係を維持できそうな話題を取り上げて覚えておき、それを次の機会にオルキナに手短にその情報を伝えることで、主人と相手の友好関係を円満なものにした。
ブルトはこの手のことに関しては天賦の才があるといってもよいほどだった。しかし、それは数えきれないほど繰り返された社交界への出席と、自分の人間観察の趣味が入っていることも相まって、それらのことは造作もないことへと昇華し自分の特技ということになっていた。
主人もブルトのこの特技にたいそう関心と信頼を寄せていたが、ブルトからしたら、これは特技でもなんでもなく、ただ、したいからしていることだった。
オルキナという大光に隠れて、影から人のことを観察することが、ブルトにとっても楽しみのひとつになっていた。ブルト自身、それほど社交的でもなければ、人にそれほど興味があるわけではないため、自分から進んで人と関わろうとするつもりはなかった。それでも、人間観察という行為を他者との関りの間に挟むだけで、その瞬間からブルトにとって人間は情報という新たな記号に置き換わり、それらの情報化された人間の記号を集めるのがブルトの趣味になっていた。
あの人は怒りっぽいから赤くとげとげしい記号だとか、この人は穏やかな性格だからオレンジ色をして柔らかいイメージの記号など、その人の持っている情報が記号となってブルトの頭の中にはしまわれていた。そして、その記号は、その人を知れば知るほど、形は肥大化してはねじ曲がり、さらには色んな色が入り混じって、情報は複雑化していった。
そのような、ブルトの記号を通してみると、まず、たいていの人は、単色の色で仕分けされる。この人は明るい人だから赤、この人は物静かな人だから青、そのような分かりやすい色で仕分けされたあとは、その人由来の特徴を客観的側面からみていく。会話中、この人は良く笑うなどだったら、笑顔の記号が付与されるし、この人は全く笑わない人だ、など、会話中に発生するその人の突出した特徴を浮き彫りにし記号化する。そうして、まず最初の記号、第一印象が完成する。それは今後の人付き合いをしていくうえで重要な要素となっていく。ブルトはこのように脳内で人間を記号で捉え分類し、コレクションすることで、オルキナを助けつつ、背後にしかいられない自分の退屈を紛らわせているのかもしれなかった。
こんなことをしているブルトは、自分のことをつまらない人間だと思っていた。
周りの人たちは素敵な色や、美しい形の記号を持ち合わせていた。
例えば、ブルトがもっともよく知る、ジョアは、いつも等身大のままでいるため、主人であるオルキナともまるで友達のように接することもでき、それは彼女の飾らない素直さがそうさせていた。
主人のオルキナもそうだ。攻撃的で苛烈に見える彼女だが、実際それは三大貴族の令嬢という立場がそうさせているだけで、本来、彼女は決して権力を笠に着ない人だった。彼女は自分の置かれている立場に相応しい人になろうと日々の努力を決して欠かさない。それはもちろん外からは分からないため、彼女の振る舞いは権力者がよくしてしまう横暴そのものにしか見えない。しかし、彼女がそれだけの努力を積み重ねているのもまた事実だった。そんな彼女の形は歪だがとても美しい色をしていた。
彼女たちに比べたら、ブルトは自分を無色透明の形もただの楕円といった退屈極まる評価をしていた。自分はつまらない人間で、他者に興味を持つこともない、人間観察ということだけが取り柄となってしまった哀れな人間だと。
だが、なぜだろう?
「おはよう」
その時、教室に入って来た少女の一声で、みんなが感じていた退屈があっという間に覆るのを感じた。
それと同時に、ブルトは自分の記号が鮮やかな赤みを帯びた金色に染まっていくような気がしてならなかった。
隣では、退屈に沈んでいたオルキナが本を閉じて、冷静にけれどもその瞳には燃えるような激しい感情が浮かんでいたのをブルトだけが見た。
そして、さっきまで別のグループの女子たちと話していた主人の友人であるアガットも、その少女が現れるとすっとんで彼女の方に駆けていく。
「リリャ!!!」
アガットが、復帰したリリャを強く抱きしめながら二人で楽しそうに話していると、オルキナの顔があからさまに不機嫌に歪み、椅子を引いてその身をわざわざ出向かせた。それに、ブルトも後ろからついていく。
「久しぶりね、リリャ、あなた死んでなかったのね」
オルキナが開口一番に言ったのはそんな攻撃的な言葉だった。言い方はきついがこれは主人なりの最大限の心配だった。
「うん、心配かけてごめんね」
普通ならそんな高慢な態度で来られたら、不快に思い怒ったりもするのだが、リリャという女の子は、主人の言っている本質だけをそっくりそのまま捉える感性を持っていた。だからか、主人は、初めて話の通じる対等な相手を持てたと思っていた。
「いいかしら、あなたがいない間、私は誰に文句を言えばいいか、ずっと行き場のない感情を抱えていたのよ?その責任はとってもらうから」
リリャが来て主人の顔に活気が戻ったのはブルトからすれば火を見るよりも明らかだった。それでも、その事実はずっと傍にいた人間観察が得意なブルトにしか気づけないことでもあった。
「はいはい、わかったよ、オルキナ。あ、ブルト、おはよう、ごめんね、心配かけちゃって、また会えて嬉しいよ」
リリャが、さらっとそんなことをブルトにも言ってくれる。
「心配していました。ですが、こうしてリリャ様がご無事でなによりです」
そう、彼女は、光の影に隠れているブルトにも必ず光を当てた。自分はつまらない存在で、関わる価値もないのに、必ず声を掛けてくれた。その時の自分にだけ向けられた彼女の笑顔を脳裏に焼き付け、それを絵画のように自分の秘蔵の記憶の中にしまったことを、ブルトは誰かに言ったりしない。
それから、いつものメンバーでホームルームが始まるまで会話は続いた。ブルトはオルキナの後ろに控えて決して自らその会話に交ざることはなかった。彼らの邪魔をしないそれだけに徹していた。それでも、リリャが主人などと話しているのを聞くと、どこか、その話しの中に自分にも関連することがないか探してしまっている自分がいた。自分との接点を探して、それで自分だったらどう答えるか?どう返答したら、彼女はさっきの午後の穏やかな日差しのような笑顔を浮かべてくれるのか?そんなことを考えながらみんなの話しを聞いていた。そして、そんなふうな思考を回していると、気が付かないうちに自然と見つめる先にはいつもリリャがいるようになってしまい、そんな熱心な視線を送っていると、ふいに気づいた彼女がいたずらっぽく笑うので、こちらも無言のまま微笑して返した。その一瞬だけはどこか二人の秘密裏な関係があるように思われたが、実際にそんな関係を結んだ覚えはなく、目を反らし、いつもの従者としてのひとりに戻ると、やはり、ブルトとリリャの間には何の関係もない主人の友人であるという認識に戻った。
そして、話してもいないのに無性に喉が渇くのは、すでに自覚しなければならないことだったのかもしれない。
鐘が鳴った。
ホームルームが始まるのでみんなが席に戻っていく。
ブルトも席に着く前に、ジョアの机によって、まだ夢の中にいた彼女を起してから着席した。
隣の席の主人をこっそり盗み見ると、前の席の少女のことを、楽し気な瞳で見つめては顔色は全体的に喜びに溢れていた。
リリャ・アルカンジュ。
彼女がいるのと、いないのとでは、教室の雰囲気ががらりと変わるのは分かっていたが、これほどまでに目に見えて分かると、いろいろと察せてしまうことが多々あった。ただ、それは自分事でもあるということを忘れてはならなかった。
「みなさん、おはようございます」
ハンナ先生が入って来ると、その後に続いて教壇には、黒髪セミロングの女の子が立っていた。
「えー、今日は、ホームルームを始める前にみんなに紹介したい人がいます。わけあって、青龍組から、編入することになったキア・グランドさんです。みんな、短い間ですが、仲良くしてあげてくださいね!」
紹介された彼女はよろしくお願いしますと軽く頭をさげていた。
ブルトはその女の子を見て、どことなく、怪しい雰囲気を感じ取っていた。なぜなら、彼女の視線が常に、全体ではなくたった一点に絞られ、それもリリャだけを熱心に見つめていたからだった。
『波乱の予感がする』
ブルトはそう思うと、この先、目に浮かぶ気苦労が増えることを静かに悟のだった。




