夜の保健室にて
保健室で過ごす最初の夜。日中の賑やかな校舎が夜の静寂に支配されている。保健室から暗闇が広がる廊下に顔を覗かせると、いつも見ていた景色の様変わりように、リリャは恐怖よりもワクワクしていた。
けれどすでにもう就寝時間。リリャは夜の校舎に繰り出すのではなく、保健室の扉を閉めて自分の占有していたベットに戻ろうとしたが、保健室に戻る。
そこにはベトアラとルコが、夜も遅いというのにエーテル制御に関する医療分野の勉強を教わっていた。
ルコは、リリャの看護という名目でこうして保健室にいたが、どうやら、こうしてベトアラ先生から知識を吸い取ることが目的のようで夜遅くまで勉学に励んでいた。
だが、リリャはすでに身体の方はなんともなく、様子見ということもあり、ルコに看病してもらうこともなかった。
リリャは椅子を持ってきて、医学書を読んでいたルコの隣に座った。
「頑張るね」
「え、あ、うん、ごめん、リリャちゃんはもう寝る?」
「いや、いいよ、私にも見せて、まだ眠くないんだ」
リリャがルコの見ていた本に横から目を通す。一緒に同じ本のページに目をやる。ルコはページを何度も行ったり来たりする。ルコがページの内容を理解するよりもずっと早くリリャは、そのページの内容を頭に入れてしまう。そして、ページを行ったり来たり、めくればめくるほど、リリャの頭の中に溜まって行く単語や文が、知識の意味を形成し、生きた知識となってリリャのものになると、たちまちその本はリリャにとって退屈になってしまった。
リリャは昔から物覚えは早かった。特に本から吸収する知識となると、それは常人よりも遥かに優れた頭脳を見せた。だが、リリャはあまりこの本の速読を使うことが好きではなかった。普通に読むより酷く頭が疲れた。次の日にはろくに頭が回らず、酷い頭痛に見舞われる時だってあった。だから、普段の勉強の時も、この速読という特技は封印すらしていた。
けれども、たまには使わないとこの速読の感覚が衰えるような気がして、ふとした時、どうでもいい本で実践することはあった。速読は、テスト前など時間が無い時などにはやはり便利なことに変わりはなく、いざという時にあった方がいい特技であった。だから、廃れさせるのももったいないとも思って、こうして、目的の無い読書をするときはやる様にしていた。
「リリャちゃん、聞いてもいいかな?」
「なに?」
「このエーテル孔と身体の説明がされていたページってわかる?」
「三十二ページだね」
リリャは自分の頭の中に収まったその本のページを即座にめくり口にだしていた。ルコが言われたとおり、三十二ページを開くと、彼女の求める文章がちゃんと書いてあった。
「ありがとう、リリャちゃん、やっぱり、あれしてたんだ、速読」
ルコにはこのちょっとした特技を話していた。というより、ルコがリリャのことで知らないことなどほぼない、といより、ルコの方がリリャのことに詳しいまであるかもしれない。という矛盾があるくらいルコはリリャの傍にいてくれるのだから、仕方がない。
「そう、たまにはこうして、自分の頭に負荷を掛けてあげないと、馬鹿になっちゃうから」
「リリャちゃんは、もとから天才だから、馬鹿になんてならないよ!私たちとは頭の出来が違うんだから!」
「わたしたちって?」
「そりゃあ、全人類だよ!」
「主語がデカすぎる…」
それはもはや崇めているんじゃないかと思うくらいの勢いがあった。根拠なく褒めてくれる彼女の言葉は、リリャにとって心地よかったが、そのすべてを受け入れてうぬぼれるほど、リリャもバカではなく、ただの人だった。
しかし、それでも、ルコの悪意なき純粋な誉め言葉は、分かっていても心地よく耳に届き、リリャも図に乗せられることはたたあった。
「私はちょっと本を読むのが得意ってなだけ、それにルコにだって凄い才能があるでしょ」
「たとえば?」
「努力家なところ」
「努力はみんなできるから、別に才能じゃないと思うんだけど…」
「いや、ルコは努力の天才だよ。私が感心するほどにね」
「そ、そうかな…」
褒められて照れているのかルコは頬を軽く赤らめていた。
医術や医療魔法など人助けとなる医療に熱中している、そんなルコが少しリリャは羨ましいと思うと同時に、自分も何か頑張らなくちゃ、と彼女を見ているとそう思わされる。
自分の熱意をリリャは何に回せばいいか?魔法か?勉学か?友情か?それとも?
『あれ、私、何か忘れているような………』
速読をして頭が付かれたからなのか、リリャは自分が何かを忘れていることに気付く。だが、その内容を思い出す前に、後ろで見守っていたベトアラ先生が言った。
「二人とも、そろそろ眠らない?もう、夜もずっと更けて来たよ」
色気のある声に、リリャは元気よく返事をする。
「はーい、わかりました。ルコ、そろそろ寝よう、夜更かしは美容の天敵だ」
「正解!ほら、わかったら、ルコちゃんも本を閉じてもう寝よう」
リリャとルコが、勉強していた机を片付ける。その間、ベトアラ先生が持参した寝巻に着換え始めていた。リリャがその先生が着替えていた様子をごく自然に覗こうとすると、ルコに後ろから目を塞がれて視界が真っ暗にされた。
「リリャちゃん、覗こうとしてたでしょ」
「え、なにが?」
「先生の着替え」
一瞬の沈黙の後、リリャが不自然に体を動かしながら答える。
「い、いやあ、ルコさん、そんなこと私がするわけないじゃないですか…」
「私の着替え姿ならいくらでも見せてあげるから、それで我慢して」
「いや、そんなのいっつも見てるし…」
「我慢して」
「ア、ハイ…」
ルコのよくリリャとの間だけで見せる威圧的な声に萎縮する。
「それじゃあ、もう、寝ましょうか、私、あっちのベットで眠るから、何かあったら、言ってね!」
先生の寝巻はとてもなんというか、異性を惹きつけるような大人の女性向けのものだった。白いワンピースでスカートにはレースの刺繍がきめ細かく編み込まれていた。
「先生、そのパジャマとっても似合ってますね」
「あら、ありがとう、これお気に入りのパジャマなのよね」
先生が少女のように一回転して見せてくれる。
リリャは心のそこから綺麗と思うと同時に、自分も先生のような色気が欲しいとも思った今日この頃であった。
「それじゃあ、先生、おやすみなさい」
「おやすみなさい、ベトアラ先生」
リリャとルコが自分たちのベットに戻る。
「はい、おやすみなさい」
ベトアラ先生もリリャたちのベットとは反対方向にある自分のベットに向かった時だった。
タッタッタッタッタッタッタッ。
保健室の外の廊下で、誰かが走る足音がした。
現在、この校舎内には、リリャとルコそれとベトアラ先生を除いた人は、誰もいないはずであった。それなのにも関わらず、その足音は保健室の前を通って、一階の廊下を駆けていった。
その足音を聞いた途端、ベトアラ先生が立ち止まった。
「そうだ、二人は、この学園に来てまだ日が浅いから、知らないだろうと思うけど」
どこか恐い雰囲気のある言い方に、ルコがリリャの背中に隠れた。
「この学園出るんだよ」
「なにがですか?」
「幽霊が…」
リリャはいまいちピンと来ていない様子だったが、ルコは口を開けて小刻みに震えていた。
「先生は幽霊を信じているんですね?」
「あら?リリャちゃんはその様子だと信じてないわけ?」
「ええ、幽霊なんてほとんど魔法ですべて説明が付くはずですからね」
子供とは思えない返しに、それでもベトアラ先生は負けじと続けた。
「でもね、リリャちゃん、この世には魔法や、本に書かれたことでは説明できないことがあるってことを、知った方が今後のためになると思うわ?人生はどんなことがあるかわからないから」
「そんなこと言われたって、幽霊なんて一度も見たことないですし、見たことないことはなかなか信じられないですよ」
リリャはそれなりに現実的な思考を兼ね備えている女の子ではあった。夢見がちなところはあるが、その夢に対してもしっかりと現実のレールを敷くような、丁寧さがあった。
「じゃあ、少しこの学園にまつわる面白い噂話しをしてあげましょうか?」
「え、なんですか、それ!?めちゃくちゃ聞きたいです!!」
「いいでしょう、じゃあ、ちょっとお肌の艶を犠牲にする代わりに話してあげる」
そう言うとベトアラ先生は、リリャたちをベットに座らせて、自分もその向かいに座った。
「この学園の七不思議を…」




