黄金翼杯 予言
「ケインコーチ、教えてください、約束通りあなたのメニューをこなし、こうして万全の状態で今日という日を迎えました。あなたの言う魔法の言葉とはなんですか?」
ケインの言ったことをラウルはしっかりと守っていた。そして、約束通り彼からの言葉を待った。
助言。それは彼の言うところの予言なのか?ケインという師が生徒たちに与える言葉には常にそのような予感がついてまわった。突拍子もないことも後を追って振り返ってみれば彼の言った通りだったなんてことはざらだった。だからこそ、ラウルもいざそんな彼の迷信のようでいて、それでもなお確実に迫ってくる現実のような助言に耳を傾けることは、不安でもあった。
ケインコーチは、ラウルを一瞥した後、もったいぶった様子で手に持っていた紅茶をテーブルに置いた。
「ラウルくん、君は今までずっと私のことを信じてついて来てくれた。私が出した練習メニューもサボることなく毎日、毎日、この四、五年ほどだね、毎日決して飽くことなく続けてくれた。まずはそのことに感謝を述べたい。ありがとう、私に信じてついて来てくれて」
ケインが深々と頭を下げたので、ラウルも慌てて頭を下げた。
「いえ、こちらこそ、ありがとうございます。ケインコーチ、あなたがいなければ、私はここまで来れませんでした。ただ、俺はどうしてもこの大会で優勝したかったので、今になって自分の実力不足に焦っているだけなんです…なんで、自分だけ五速が出せないのかと……」
テントの遠い外では人々の喧騒が聞こえた。大会はすでに始まっていた。ラウルの中にほんのりと焦りが滲んでいた。早く答えが欲しかった。早く飛んでしまいたかった。抱えている問題や将来の不安や自分という存在の何から何まで、忘れて飛んでしまいたかった。
ケインがゆっくりと言った。
「たとえ目に見えない成長が君を不安にさせても、君の中で培われたものが消えてなくなるわけじゃない。君が積み重ねて来たものすべてが無駄になる瞬間なんて、一瞬だってないことを忘れてはいけない」
「それなら、魔法の言葉は、俺を救ってくれますか?」
「私がこれから君に授ける、魔法の言葉というのは、決して君を救いはしない」
その言葉にラウルは恐れていた予言が的中したようなそんな絶望感に襲われた。
「では嘘だったんですか?私を勝たせないため、他の誰かを勝たせるために、私に努力させないために?辛くもなんともないあんな軽い練習メニューで満足させようと?」
ケインの練習メニューは決して軽いものではなかった。けれどもっと厳しくしようとすれば、いくらでも厳しくできた。その余力がラウルは恐くて、焦って、だから、今、苛立たしくて八つ当たりまでしていた。自分の出来の悪さを人のせいにしようとしていた。だけど、それだけラウルには酷く焦る理由があった。そして、それが自分のためだったらどれほど良かったことか。あの人のことを思うだけではやる気持ちを抑えられずにいた。
「ラウルくん、焦って結末を先読みしてはいけないよ」
「だったら、なんで、あなたは、俺に!!」
感情が抑えられなかった。
しかし、そこでケインがねじ伏せるようにラウルの言葉を遮って言った。
「私は、今年、この大会で、君にしか勝つ可能性を見いだせなかったんだ!!」
温厚だったケインの迫力に、ラウルも気圧されてしまい、思わず黙ってしまった。
「私はね、本当は皆に勝って欲しんだ。勝って空を飛ぶということが楽しいと思って欲しんだ。なんなら、空を飛ぶそれ自体がすでに素晴らしいことで競うべきことでもないと本当は思っている。だけど、人はどうしようなく争う生き物だからね。その先の勝ち負けに固執して、いずれ飛ぶということ自体にすら興味を無くすんだ」
ケインはハッと我に返ると、静かにラウルを見た。気が付けば辺りには静寂だけが鳴り響いていた。
「私はね、強く信じているんだ。空を飛ぶということで世界が変ることを、誰も見たことのない景色に到達できることを、ラウルくん、君はきっとこの大会でそれを体感するだろう。だからこその魔法の言葉だ」
「それは何なんですか?」
ラウルが尋ねると、ケインは言った。
「救いなさい」
「救う?」
「そうです。他の誰でもない、ラウルくん、あなたが救うんです」
ラウルは頭の中で救うという言葉を何度も唱えた。
「これが私から君に送る魔法の言葉です」
しかし、何度唱えたところでその意味がラウルにはさっぱり分からなかった。
「救うって、どういう意味ですか?」
「意味ですか?あなたはどういう意味だと思いますか?」
救うと聞いて、ラウルの頭の中にあるのは、あの人のことしかなかった。ラウルがずっと助けだしてあげたかったあの人のこと。しかし、ケインがラウルの事情を知っているわけがなかったし、このことを知っているのはビンセントの他に誰もおらず、ビンセントは商人である以上秘密にたいして口は固い。
そもそも、今、救って欲しいのはラウルの方だった。
「ケインコーチ、あなたは本当に…」
顔を上げた時、ケインコーチの姿が無かったことに、ラウルは心臓が止まりそうなほど驚いていた。
「は?」
目と鼻の先にいたはずの大人が何の前触れもなくそれも跡形もなく消えたことに、ラウルは自分の目を疑ったし、夢の中にいると思ったが、確実に今いるここは現実だった。
「どういうことだ…」
すると急にテントの外の喧騒が耳に入って来た。急に現実がラウルのことを認識したかのように、外の時間を進めたようなそんな違和感があった。そして、それと同時に飛行部の部員たちがなんてことない顔で本部のテントに入って来た。
「あれ、ラウルさん!なんでまだこんなところにいるんですか!?もう、レース始まってますよ!」
ラウルは現実を受け入れると、すぐにテントの出口へと駆けだし、外に出ると空高く飛び上がり、レース場へと急ぐのだった。




